12人目)ママの家出
2022年5月6日
マディは、よその家の匂いに耐えられない。よその家の食器も、変な匂いがしたし、化学的な味がするというので、加工食品も苦手だった。雨が降るより前に、頭は痛くなるし、車に乗ると、5分で酔ってしまう。家の中以外、安心な場所がない子どもだった。
そんなマディがある日の夜、夜中にママに起こされた。「着替えて、マディ」
どこへ行くのかな…また、ドライブかな…と、マディはしぶしぶ服を着た。そのあと、車に乗ったら、寝てしまって、気がついたら、知らない人の家にいた。
別の部屋で、ママが誰かと話し合っている様子が、半開きのふすま越しに見えた。とても難しい問題を話し合っているみたいだ。髪の長い女の人がママと話し合っていた。
「あ、子どもが起きてる」
マディが起きていることを見つけた女の人は、しぃーという感じにママに目配せをした。
マディは、起きたとたんに、大泣きに、泣き始めた。知らない人の家にいたからだ。
そのあと、ママはマディを何とか泣き止ませようとしたが、無駄だった。マディのほうでも、なんでそんなに泣いているのか、分からない、という感じだった。
髪の長い女の人が、だから言った通りでしょ、という感じで、ママに帰るように促した。そして、ママはしぶしぶ荷物をまとめて車に乗った。
マディは車の中で高速道路のオレンジ色の光を見ていた。次に気が付いたときは、もう朝だった。
そのあと、ずいぶん長い年月がたって、マディは、あの夜は何だったんだろう…と考える。
ずいぶん後になって、あれは、お母さんの家出だったのではないかと推測するに至った。
しかし、そうなると、母は一度、マディだけを連れて、他の兄弟を捨てたということになる。
そのことはマディは自分の胸に仕舞っておき、長い間、誰にも話していない。どうしてママは、あの日、家を出たのか、今となっては知りようもない。それに、そのあと、子どもたちを愛さなかったということでもないだろう。
あの夜、マディが泣かなければ、もしかして、ママはそのまま、家出していたのだろうか?
そんなのいやだ、とマディは思う。
マディは、早く大きくなろうと思った。早く大きくなって、親の負担ではなくなること。これが、初期のマディの人生の目標だった。
それで、実際、18歳で家を出た。できるだけ早く、経済的自立を果たすことが、マディが心に決めた親孝行だった。
ママは、マディが働いて弟や妹の進学や生活を助けることを期待していたようだったけれど、マディには、それはいやだった。
長い間、マディは、経済的な仕送りをしないことで、親を捨てたという思いに苦しめられた。妹には、なんでお姉ちゃんは人に甘えないの、となじられた。その上、ママを捨てた、と言われた。
でも、マディができるベストは、高校時代、朝6時から学校に出るまでの間、働いて、自分の受験費用を捻出し、自分の昼ご飯代を出すということだった。受験勉強は家に帰るとできないので、夜12時くらいまで友達の家にいてやっていた。家に帰るのは、皆が寝静まってからだ。
マディは、自分で大学を選んで奨学金を申請し、自分の受験費用を自分で出し、大学進学の費用を出し、一人で受験し、受験したその日にバイトを決め、自分で学生寮を見つけてきて、そこへ引っ越した。マディの人生のスタートは、段ボール3個でしかなかった。
妹は、私学の高校へ通って、友達の誕生日プレゼント代が3000円ではなく、1000円しか与えられないことが不満だという学生時代を送った。マディは、自分で自分の受験費用を出しているような年齢のときにだ。マディが妹の年齢の時には、家族全員の食事を作る役目だった。妹がその役をしたことは、少なくともマディが家にいるときには一度もなかった。マディは、妹の手料理を食べたことがない。
そんな調子だったので、結局のところ、何を普通と考えるか?という基準が、かけ離れすぎていて、マディは妹とは分かり合えない、と思っていた。
それにママにもだ。マディがどうしてもわからないことは、なぜ、マディが実家の生活を見るのが、当然のことだ、と母が考えるのか?ってことだった。
母親はマディの自立を喜ばず、マディの学生寮まで追いかけてきた。
結局、考えても分からないので、マディは考えるのを辞めた。
しかし、進学した後も、マディの学生寮には、母が借りた分のサラ金の督促が来る。マディは、電話自体を避けるようになった。都合が悪いことに学生寮だと館内アナウンスで呼び出されてしまう。
呼び出し電話は、大抵は、見知らぬ男からの督促の電話で、「お母さんがどうなってもいいのですね」と脅される。実家の経済状況がさらに悪化しているのだろうということが、推測できた。そうした電話は、必ず忘れたころにかかってきて、実家を助けろ、という声なき声になった。
が、一方では、このような街金につかまっては、骨の髄まで搾り取られるだけなのではないかと思えた。そうでなくても、マディの収入は、世間の一般より低く、自分一人で精いっぱいなのに。その頃、マディと同年齢の人たちは、まだ親のすねをかじっているころだった。
そうこうしている間に、マディは海外へ行くことになったので、住所を変更することができた。帰国したら、誰も督促の電話を掛けることができないはずだった。それでマディの心はだいぶ穏やかになった。その後、就職してマディは長屋の暮らしを辞め、普通のアパートで暮せるようになった。
その頃、突然、弟の訃報が入った。突然死だということだった。マディは、18歳で家を出てから、8年間、弟に会っていなかった。マディは夜学に進んだため、5年も大学を出るのにかかったし、その上、2年海外で働いていたので、トータルでは7年だった。だから、まだ勤めだして1年で、やっとこれから、少し生活が楽になるというところだった。
遺体になった弟は、マディが覚えている16歳の少年の姿ではなく、24歳の大柄な男性だった。飲んで帰って横になり、そのまま朝には冷たくなっていたそうだった。ただ朝を迎えるだけで本当に命とはありがたいものなのだ、とマディは思った。弟には、3人も彼女がおり、弟が残した靴の数は、150足だった。母は300人の盛大なお葬式を行った。
そのあと、妹が自殺未遂した。半狂乱になった母親から電話があった。それで、マディが妹を引き取ることになった。まだ、マディが、新しいアパートに引っ越してすぐのころだったから、妹は、マディの長屋での貧しい暮らしを見ていない。
妹はマディの会社用の靴を勝手に履いては、マディの足よりも大きくして足に合わなくしてしまうし、マディの服を勝手に着るし、家の中にいて、そのまま何もしないで生活しても、マディに悪いとは思わないようだった。マディのほうでも、自殺未遂だということだったので、そっとしておき、当然、何も言わなかった。妹が必要なのは無条件の愛だったからだ。マディは理解していた。しばらくして、妹がやっと出ていくということになり、マディは、お見舞い金を包んだ。
それで、マディが妹を見た最後だった。弟を見た最後は、遺体だった。
マディが妹からもらったのは、「お姉ちゃんはママを捨てた」という呪いの言葉だけだった。
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本の目的: 妹から掛けられた呪いの言葉を捨てるため
幼児決断: 家に帰りたい
出来たスキーマ: 血縁が何より大事
健全な大人の考え: 家族であっても、助けるべきでないときもある
メンタルブロック: 家族なら仕送りをするべき、愛する者からひどい仕打ちを受ける
昇華: 人を助けるには自分が、まずは救われていなくてはならない
解説はこちら https://storytelliingschema.blogspot.com/2025/02/blog-post_96.html
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