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2025年2月3日月曜日

ママの家出とマディのその後

 12人目)ママの家出 


2022年5月6日


マディは、よその家の匂いに耐えられない。よその家の食器も、変な匂いがしたし、化学的な味がするというので、加工食品も苦手だった。雨が降るより前に、頭は痛くなるし、車に乗ると、5分で酔ってしまう。家の中以外、安心な場所がない子どもだった。


そんなマディがある日の夜、夜中にママに起こされた。「着替えて、マディ」


どこへ行くのかな…また、ドライブかな…と、マディはしぶしぶ服を着た。そのあと、車に乗ったら、寝てしまって、気がついたら、知らない人の家にいた。


別の部屋で、ママが誰かと話し合っている様子が、半開きのふすま越しに見えた。とても難しい問題を話し合っているみたいだ。髪の長い女の人がママと話し合っていた。


「あ、子どもが起きてる」


マディが起きていることを見つけた女の人は、しぃーという感じにママに目配せをした。


マディは、起きたとたんに、大泣きに、泣き始めた。知らない人の家にいたからだ。


そのあと、ママはマディを何とか泣き止ませようとしたが、無駄だった。マディのほうでも、なんでそんなに泣いているのか、分からない、という感じだった。


髪の長い女の人が、だから言った通りでしょ、という感じで、ママに帰るように促した。そして、ママはしぶしぶ荷物をまとめて車に乗った。


マディは車の中で高速道路のオレンジ色の光を見ていた。次に気が付いたときは、もう朝だった。


そのあと、ずいぶん長い年月がたって、マディは、あの夜は何だったんだろう…と考える。


ずいぶん後になって、あれは、お母さんの家出だったのではないかと推測するに至った。


しかし、そうなると、母は一度、マディだけを連れて、他の兄弟を捨てたということになる。


そのことはマディは自分の胸に仕舞っておき、長い間、誰にも話していない。どうしてママは、あの日、家を出たのか、今となっては知りようもない。それに、そのあと、子どもたちを愛さなかったということでもないだろう。


あの夜、マディが泣かなければ、もしかして、ママはそのまま、家出していたのだろうか?

そんなのいやだ、とマディは思う。


マディは、早く大きくなろうと思った。早く大きくなって、親の負担ではなくなること。これが、初期のマディの人生の目標だった。


それで、実際、18歳で家を出た。できるだけ早く、経済的自立を果たすことが、マディが心に決めた親孝行だった。


ママは、マディが働いて弟や妹の進学や生活を助けることを期待していたようだったけれど、マディには、それはいやだった。


長い間、マディは、経済的な仕送りをしないことで、親を捨てたという思いに苦しめられた。妹には、なんでお姉ちゃんは人に甘えないの、となじられた。その上、ママを捨てた、と言われた。


でも、マディができるベストは、高校時代、朝6時から学校に出るまでの間、働いて、自分の受験費用を捻出し、自分の昼ご飯代を出すということだった。受験勉強は家に帰るとできないので、夜12時くらいまで友達の家にいてやっていた。家に帰るのは、皆が寝静まってからだ。


マディは、自分で大学を選んで奨学金を申請し、自分の受験費用を自分で出し、大学進学の費用を出し、一人で受験し、受験したその日にバイトを決め、自分で学生寮を見つけてきて、そこへ引っ越した。マディの人生のスタートは、段ボール3個でしかなかった。


妹は、私学の高校へ通って、友達の誕生日プレゼント代が3000円ではなく、1000円しか与えられないことが不満だという学生時代を送った。マディは、自分で自分の受験費用を出しているような年齢のときにだ。マディが妹の年齢の時には、家族全員の食事を作る役目だった。妹がその役をしたことは、少なくともマディが家にいるときには一度もなかった。マディは、妹の手料理を食べたことがない。


そんな調子だったので、結局のところ、何を普通と考えるか?という基準が、かけ離れすぎていて、マディは妹とは分かり合えない、と思っていた。


それにママにもだ。マディがどうしてもわからないことは、なぜ、マディが実家の生活を見るのが、当然のことだ、と母が考えるのか?ってことだった。


母親はマディの自立を喜ばず、マディの学生寮まで追いかけてきた。


結局、考えても分からないので、マディは考えるのを辞めた。


しかし、進学した後も、マディの学生寮には、母が借りた分のサラ金の督促が来る。マディは、電話自体を避けるようになった。都合が悪いことに学生寮だと館内アナウンスで呼び出されてしまう。


呼び出し電話は、大抵は、見知らぬ男からの督促の電話で、「お母さんがどうなってもいいのですね」と脅される。実家の経済状況がさらに悪化しているのだろうということが、推測できた。そうした電話は、必ず忘れたころにかかってきて、実家を助けろ、という声なき声になった。


が、一方では、このような街金につかまっては、骨の髄まで搾り取られるだけなのではないかと思えた。そうでなくても、マディの収入は、世間の一般より低く、自分一人で精いっぱいなのに。その頃、マディと同年齢の人たちは、まだ親のすねをかじっているころだった。


そうこうしている間に、マディは海外へ行くことになったので、住所を変更することができた。帰国したら、誰も督促の電話を掛けることができないはずだった。それでマディの心はだいぶ穏やかになった。その後、就職してマディは長屋の暮らしを辞め、普通のアパートで暮せるようになった。


その頃、突然、弟の訃報が入った。突然死だということだった。マディは、18歳で家を出てから、8年間、弟に会っていなかった。マディは夜学に進んだため、5年も大学を出るのにかかったし、その上、2年海外で働いていたので、トータルでは7年だった。だから、まだ勤めだして1年で、やっとこれから、少し生活が楽になるというところだった。


遺体になった弟は、マディが覚えている16歳の少年の姿ではなく、24歳の大柄な男性だった。飲んで帰って横になり、そのまま朝には冷たくなっていたそうだった。ただ朝を迎えるだけで本当に命とはありがたいものなのだ、とマディは思った。弟には、3人も彼女がおり、弟が残した靴の数は、150足だった。母は300人の盛大なお葬式を行った。


そのあと、妹が自殺未遂した。半狂乱になった母親から電話があった。それで、マディが妹を引き取ることになった。まだ、マディが、新しいアパートに引っ越してすぐのころだったから、妹は、マディの長屋での貧しい暮らしを見ていない。


妹はマディの会社用の靴を勝手に履いては、マディの足よりも大きくして足に合わなくしてしまうし、マディの服を勝手に着るし、家の中にいて、そのまま何もしないで生活しても、マディに悪いとは思わないようだった。マディのほうでも、自殺未遂だということだったので、そっとしておき、当然、何も言わなかった。妹が必要なのは無条件の愛だったからだ。マディは理解していた。しばらくして、妹がやっと出ていくということになり、マディは、お見舞い金を包んだ。


それで、マディが妹を見た最後だった。弟を見た最後は、遺体だった。


マディが妹からもらったのは、「お姉ちゃんはママを捨てた」という呪いの言葉だけだった。


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本の目的: 妹から掛けられた呪いの言葉を捨てるため


幼児決断: 家に帰りたい

出来たスキーマ: 血縁が何より大事

健全な大人の考え:  家族であっても、助けるべきでないときもある

メンタルブロック: 家族なら仕送りをするべき、愛する者からひどい仕打ちを受ける

昇華: 人を助けるには自分が、まずは救われていなくてはならない


解説はこちら https://storytelliingschema.blogspot.com/2025/02/blog-post_96.html

2025年1月31日金曜日

たぬきどんの事情

 これは、泥の船を作っているたぬきどんのお話です。

いったいどんな理由で、たぬきは、泥の船を作ることになったのでしょう?

それはむかーしむかし、たぬきどんがまだ赤ちゃんだった頃、です。

その冬は特別寒く、夏も短く、お母さんタヌキとお父さんタヌキは、赤ちゃんタヌキを置いて、二人とも餌を取りに行くのでした…

たぬきの住まいは暗い穴の中ですが、たぬきどんは、寂しくてたまりません。

まだ赤ちゃんだったからです。

えーん、暗いよう、怖いよう、お腹が空いたよう…

そうして泣いても、泣いても、おかあさんタヌキもお父さんタヌキも出てしまって、なかなか帰ってきませんでした。

帰ってきても、お母さんタヌキは、「ほら、お食べなさい」というだけで、くたびれてしまって、静かに横になってしまいます。お父さんたぬきに「遊んでよう」とお願いすると、お父さんたぬきも「あとでね」と言って寝てしまいます。

そうして、たぬきどんは、寂しいなぁと思って大きくなったのでした。

そんな厳しい冬が終わり、春になって、皆が穴から続々と這い出して来ると…

あらー!びっくりしたことに、たぬきの他の家族は、みんな子だくさんで、3匹も4匹も、時には5匹も子たぬきがいるのです。

たぬきどんは隣の家のタヌキに言いました。

 「とってもさみしい冬だったね」

すると隣のタヌキは言いました。

 「そんなことないよ!」

実は、そっちの巣穴では、ぎゅうぎゅうで大変だったのです。

でも、たぬきどんには、そのことは分かりません。

 「僕はひとりぼっちなんだ…」

みんなは、兄弟がたくさんで、楽しく温かく過ごしたんだ…そんな風にたぬきどんは思ったのです。

たぬきどんは、大きくなったら、楽しくて大きな家族を作るんだ!と思いました。

それで、船を作ることにしたのです。

船ならみんなが乗ってみたいといいますからね。

でも、たぬきは、木を切ってきたり、軽いもので船を作ることは思いもよらなかったので…いつも自分が住んでいる巣穴と同じ素材で、船を作ることにしたのでした。

それで泥の船ができることになったのでした…

お終い。

■ 心理学的要約



1. 幼少期の孤独感と愛着形成

たぬきどんが赤ちゃんの頃、両親から十分な愛情やケアを受けられず、「寂しい」という感情を抱えながら成長しました。これは愛着理論における不安定な愛着形成を示唆します。

2. 比較と自己概念の形成

春になり、隣の家のたぬきが子だくさんであると知ったたぬきどんは、他者との比較から「自分は孤独だった」と思い込みます。この主観的比較が「自分だけが不幸」という認知バイアスを生みました。

3. 補償行為と目標の追求

たぬきどんは孤独感を埋めるために「大きな家族を作る」という目標を持ち、みんなが乗れる船を作ろうとします。これは過去の欠乏感を克服しようとする補償行為の例です。

4. 失敗と学びの欠如

しかし、巣穴の泥で船を作るという選択は、新しい環境や挑戦への適応力の欠如を示しています。過去の慣れに囚われた結果、非効果的な方法を選んでしまいました。

教訓

  • 幼少期の愛情不足は長期的に影響する。
  • 他者との比較は認知バイアスを生みやすい。
  • 過去の欠乏感が行動の動機となる一方、適切な学びがないと失敗を繰り返す。

この物語は、孤独感や補償行為が人生に与える影響と、失敗からの学びの必要性を象徴的に描いています。

【機能不全家族の寓話】たぬきどんと泥の船 

あるところに、今にも沈みそうな泥の船をこしらえて、仲間を誘っては乗る、そんなたぬきどんがおった。

泥の船には、ほかにウサギどんとカメどん、それに犬が乗っていた。

しばらくは楽しく景色を眺めながら乗っていた船だが、泥の船だったので、だんだんと浸水するようになってきた。

言い出しっぺのたぬきが、一生懸命、泥の舟から、水をかきだしているのを見て、犬が言った。

「なんか大変そうだね」

そして、たぬきと犬は、一緒に力を合わせて、船から水をかきだした。

でも、ウサギとカメは、泥の舟が沈みそうなのを見ても、おろおろするばかり…。

犬は、言った。「君たちも手伝ってよ!」

ウサギは、言った。「僕、ウサギだから無理だよ。それに、のろまのカメに水をかいてもらっても、何の足しにもならないよ」

それを聞いた犬は、バカらしくなって、「ごめんね、たぬき君。僕、先に行ってるよ」と言って、犬かきして泳いで行ってしまった。

それを見たカメは、「ずるい!犬なんだから、もっとタヌキを助けるべきだ!」と言った。

「泥船に乗っている僕たちを助けてくれないなんてひどい」

そして、相変わらず、たぬきが一生懸命水をかくのを、頑張って~と言いながら見ていた。

しかし、終に泥の船は沈み始めた。

ウサギが言った。「僕、泳げないんだよぉ。死んじゃうよぉ」

そして、一番端っこの良いところに立っていたんだが、結局、舟は沈んでしまった。

たぬきがウサギの手を引っ張ったが、ウサギは悲しい目をして溺れてしまった。

カメは?というと、カメにとっては水は住処と同じことだったのだ。

ウサギが死んじゃったと嘆く狸の声が遠くで聞こえた犬は、大急ぎで戻ってきたけど、結局、溺れてしまったウサギを見ることしかできなかった。

その時カメは、「お前のせいだぞ、犬。お前が悪いんだぞ」と言った。「お前がタヌキを手伝わなかったから、ウサギは死んだんだぞ」

犬は、そんなことあるもんか!と思ったが、チクリと心に棘が刺さったみたいな気がした。

ホントは、俺のせいなの…?

たぬきは、相変わらず、溺れているウサギと泳いでいるカメを救おうとしていた。たぬきの大きなお腹が浮き輪になって、狸自身は、何もせずとも浮いていられるのだった…。

犬かきで泳いでいる犬は、タヌキみたいに悠長に浮いてはいられない。さっさと陸に上がりたいと泳いで行ってしまった。

陸に上がる犬の背にカメがくっついていたが、犬は気が付かなかった。陸につくと、カメは、よっこらしょ、水辺の草むらにそっと隠れた。

陸に立ち上がると、犬は、ぶるんと身震いして、水を振るい落とした。

そして、濡れた体を乾かすために、温かい日向の岩の上に座って体を丸めると、たぬきがウサギを助けられなかったのは、自分のせいなのかどうか、長いこと考えることになったのだった。

カメのほうは、自分がそんなことを言ったことすら忘れて、もう泥の船はこりごりだ、とだけ言った。

タヌキは、タヌキで、また泥の船をこしらえて、一緒に乗ってくれる仲間を集めるのだった。

■ 解析

この物語は、心理学的な視点から、家族やグループ内での「機能不全のダイナミクス」を象徴している。

それぞれのキャラクターに対応する心理的役割や行動パターンを以下のように説明できます。


1. タヌキ:救済者/自己犠牲的なヒーロー

  • 特徴: 泥の船を作った発案者であり、問題が起きると率先して解決しようとする。しかし、自分の限界を無視して他者を救おうとすることで、自分も疲弊していく。
  • 心理学的視点: タヌキは「過剰適応者」または「共依存的役割」を担っています。このような人は、他人を助けることで自分の価値を感じますが、助けられる人たちが成長する機会を奪うことにもつながります。また、「修復者」の役割を果たそうとするため、無限ループに陥ります(泥の船をまた作るのもこの象徴)。

2. 犬:巻き込まれるが自立を試みる現実的な人

  • 特徴: 一度は助けようとするものの、自分の限界を察して抜け出そうとする。罪悪感を抱えながらも、自分を守る選択をする。
  • 心理学的視点: 犬は「個別化を目指すメンバー」に見えます。機能不全な環境から抜け出そうとしますが、罪悪感や他者からの非難に囚われやすい。これは、家族内で「スケープゴート(責任転嫁の対象)」にされる人が抱える葛藤とも重なります。

3. ウサギ:依存的で無力化された人

  • 特徴: 自分の役割を無力だと言い訳し、困難に直面しても対処しようとしない。最終的には他者に依存し、自らは行動を起こさない。
  • 心理学的視点: ウサギは「無力な被害者役」を体現しています。この役割を持つ人は、他者に助けられることでしか生存できないと信じています。この態度は、依存的な行動を強化し、周囲にフラストレーションを与えることが多い。

4. カメ:傍観者/批判者

  • 特徴: 自ら積極的には動かず、結果を傍観する。そして、状況が悪化すると他者を非難し、責任を負おうとしない。
  • 心理学的視点: カメは「批評家」の役割を果たしています。機能不全な家族やグループでは、このような人が責任を取らずに他人を批判することで、状況の悪化を助長します。また、自分に都合の悪い記憶や行動を忘れ、自分を守る傾向があります。

5. 泥の船:機能不全なシステムそのもの

  • 特徴: 初めから安定せず、少しずつ浸水していく。乗り手たちはそれを修復しようとするが、根本的な解決策には至らない。
  • 心理学的視点: 泥の船は「機能不全な家族システム」や「崩壊しつつある共同体」を象徴しています。構造そのものが不安定であり、努力しても修復不可能な状況があることを示しています。

6. ダイナミクスの心理学的解釈

この寓話には、機能不全な家族やグループの典型的なパターンが含まれています:

  • 役割の固定化: 各キャラクターが特定の役割(救済者、被害者、批評家、スケープゴート)を持ち、役割から抜け出せない。
  • 責任転嫁: カメが犬を非難するように、問題の責任を押し付け合う。
  • 境界の曖昧さ: 泥の船という共有の空間が、全員の不安定さを強調している。
  • 反復行動: タヌキが再び泥の船を作るように、問題解決に至らず、同じパターンが繰り返される。

まとめ

この寓話を通じて、「個々が適切な役割を果たさないと、全体が崩壊する」という教訓が浮かび上がります。心理学的には、健康なグループや家族では、役割が固定化されず、互いに協力し、責任を分担することで、困難を乗り越えることができます。この寓話に描かれる問題は、固定された役割や相互不信が招く機能不全を象徴的に示していますね。

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