🌫第一章:影の父を探して
少女は、生まれたときから父という存在を持たなかった。
そこには「不在」があった。空席。深い沈黙。
けれど、少女は成長し、知恵をつけ、心にこう刻んだ。
「私がしっかりしていれば、大人は安心する。だから私はしっかり者でなければならない。」
そして長い時間を経て、ようやく――青という人に出会った。
彼女は、彼の背中に、**"父のようなもの"**を見た。
知っている、落ち着いている、教えてくれる。
山道を歩く彼の姿は、「こういう人に守られたかったんだ」と少女の心にささやいた。
🪨第二章:幻の父、崩れる
だが、青はやがて変わった。
少女が怪我をして弱っているとき、彼は登ろうとした。
少女を道具として使おうとした。
そして、それが叶わないとわかると、今度は彼女の体を求めた。
少女は拒んだ。
「いや!」
けれど、彼は少女を置き去りにした。
そして最後に残したのは、損得と打算だけの言葉だった。
「おまえなんかより、妻のほうがずっとよくしてくれる」
あの瞬間、少女の中にあった「父のようなもの」は砕け散った。
信じたかった。預けたかった。
でも、それは父ではなかった。
🌧第三章:沈黙の谷で
少女は泣かなかった。けれど、深く沈んだ。
静かな谷に一人座り、足を抱えて思った。
「私は、またしても誰にも守られなかった。
でも、今回私は“気づいて、拒んで、去る”ことができた。」
前とは違う。
もう、差し出された幻想にしがみついたりはしなかった。
🌿第四章:内なる火を守る者
谷にひとりでいる夜、少女は夢を見た。
その夢の中で現れたのは、焚き火のそばに座る静かな人物。
彼は、少女に何も教えようとしなかった。
ただ、火を守っていた。黙って、揺れる火を見守っていた。
少女は訊いた。
「あなたは誰?」
彼は微笑んでこう答えた。
「君の中にずっといた。
君が“誰かに父を探すのをやめた”そのときから、私は育ち始めた。」
✨エピローグ:再生
少女は、歩き出す。
まだ、父という言葉がしみる。
でももう、「父を外に探す必要はない」ことも知っている。
少女の内に、あの火を見守る者――静かで、責任ある、優しさを湛えた父性が芽吹き始めたのだ。
もう誰かの背中に幻想を見なくても、
自分の足で登れる。
🌄目覚めの花
彼女は、一人で山を降りた。
足はまだ痛んでいた。でもその一歩ごとに、心の中の霧が少しずつ晴れていった。
ときどき立ち止まり、深く息を吸った。
高原の風の中には、もう彼の声はなかった。
代わりにあったのは――木々のそよぎ、岩肌の匂い、太陽のぬくもり、そして自分自身の鼓動だった。
彼女はふと振り返った。
遠くに、彼と歩いた尾根道が見えた。
あのときはリードクライマーの青を追っていた。
でも今は、自分の影と、自分の足跡だけがそこにある。
やがて、山のふもとに、小さな花が咲いているのを見つけた。
地味な色をしていた。
誰も目を留めないような、風に揺れるだけの小さな花だった。
すぐそばで、ひとりのリスが、夢中になって木の実を探していた。
枝を登っては滑り、葉っぱの間に顔を突っ込んでは跳ね返ってきた。
まるで、命を遊ぶことに全力投球しているようだった。
彼女は立ち止まり、ふと笑った。
花もリスも、誰に見られるわけでもなく、
自分の時間の中で、ただ、いのちを咲かせ、楽しんでいた。
その姿を見て、胸の奥で言葉が生まれた。
「私も咲くわ。そして遊ぶわ。」
それは、誰に向けた言葉でもなかった。
でも、その言葉を口にしたとたん、なぜか山の匂いが少し変わった気がした。
そして彼女は決めた。
この旅を記録に残そう。
それは復讐でも、警告でもない。
誰かが、かつての私のように、見えない罠に心を置いてきぼりにされないように。
その記録は、日記になるかもしれない。
絵になるかもしれない。
もしかしたら、ただ夜に語るひとつの物語になるだけかもしれない。
けれど、それで十分だった。
目覚めの花は、もう咲いたのだ。
この花を、次に歩く誰かが見つけたとき、
その人もまた、自分の火を見つけるかもしれない。
そしてまた、歩き出せるかもしれない。
今度は、自分の名前で。自分の足で。