第1章:合理的な学習者(出発)
「理論を理解すれば、体は動く。」
それが、理論派きぬさんの持論だった。
彼女はこれまで、登山やクライミング、バレエなど、さまざまな運動を大人でスタートして習得してきた。
すべて独学であり、まず論理的に理解し、体系的に学ぶことで、着実に上達してきた。
そして今、新たに挑戦するのはアイススケート。
最初は気軽な気持ちだった。
「バレエの基礎もあるし、バランス感覚も鍛えている。コツさえ掴めば滑れるはず。滑れなくても、運動不足解消になれば、いっか」
しかし、実際に氷の上に立ったものの——リンクは大混雑。その上、フェンスのそばですら、ちびっこがちょこまかして、転ばされそう!その上、全然、滑れない(汗)!
「うーん…?これって運動不足の解消にならないどころか、怪我の元?でも、すぐ辞めるのは良くないわね…」
2,3日滑っているうちに、彼女は気づく。
「土日は大混雑しているが、平日は、ガラガラ」
そこで彼女は土日は捨て、平日オンリースケーターで通い始めた。
スケートは、やっていれば自然に身につくわけではないものなのでは…?と、疑い始めたころ、その内なる疑いの声に答えるかのように、受付の人が言った。
「初心者講習ありますよ、出て見ませんか?」
その声に導かれるように、初心者講習に出る。すると、すごい誤解をしていたことが分かった。
スケートは、”前に進むためには、後ろに重心を持たせないといけない” のだ。
なんというパラドックスだろう!
前に進みたければ、スケート靴の後ろに重心をかけなくてはいけないとは…。
このことは、きぬさんにとって、大発見だった。
講習会に出て以来、きぬさんは、いろいろな人たちに助言をもらうようになる。
「エッジはU字型に溝が入っているんだよ」
「インサイドエッジとアウトサイドエッジがあるんだよ」
「靴は、ブレードが取り外せるんだよ」
「フィギュアとホッケーでは滑り方が違うよ」
その度、「へぇ~」。きぬさんは、自分と同じように、大人からスケートしている人たちからの支援が、太陽の光のように降り注ぐことに驚いた。
そうか、みんな、こんなに楽しく助け合って生きていたんだ。
第二章:影との出会い
そんなある日、リンクに行くと、ロシア人親子がいた。3つになるかならないかの子供を無理やり滑らせようと、母親は悪戦苦闘していた。
母親は元プロスケーターらしかった。しかし、子供はスケートに興味を全然示していない…。母親は、途中で子供自ら滑るということをあきらめて、そりに子供を乗せ、彼女が押して、氷上を滑らかに移動することだけを楽しませようとした…。
ところが、男の子は退屈して寝てしまった…。
「これは、私のママが私にしたことだわ…」ときぬさんは内心思った。そう、彼女の母親も、幼い彼女に、あれやこれやと習い事をさせようとした…最初はピアノ…次は水泳…そして、幼稚園からのお受験。これは大学受験まで続いた。
その度に彼女は抵抗して、結局、何一つ、親の言うことは聞かなかった。さすがに、5回目には、もはやお受験ベテランで、なんということもなく、お受験の勝者になった以外は。
きぬさんは、そのロシア人の3つの男の子に、内心、声援を送った。
「君も、頑張れよ~」
第3章:光との出会い(ミラー)
リンクに通い続けるうちに、5歳くらいの中国人の男の子と出会った。母親はリンクの外にいて、子供が一人で無心に滑っている。
彼は 無心にただただリンクにいることを楽しんでいる。それでも子供なので、スピードは緩く、へたくそきぬさんでも、彼に追いついてしまう。
追いつくと、その子はとっても嬉しそうにスピードを速めるのだ。追いかけっこをしているみたいな気分なんだろうな。
ひとしきり、抜きつ抜かれつをしてあげた後、この子、スケート好きなんだな…と思ったきぬさんは、ちょっと自分が教わったことを教えてあげようかな?と思う。
「これ、できる?」 彼女は一番初歩の動き、”ペンギン”、をしてみせた。
「できない!」彼は即座に答えた。
きぬさんは少し考えた。
「そっか、君は技術習得しなくても楽しいから、こんな知識いらないね!」
すると、その中国人の男の子は うれしそうにニコッと笑った。一周回り終えて、お母さんに微笑みかける。母親もうれしそうだった。
「ハイタッチしよ! 」ときぬさんが声をかけると、3人で、イエーイ!とハイタッチした。
とっても嬉しそうにハイタッチする、その子を見て、きぬさんは心底うれしかった。
(私、今、楽しんでる!)
その頃、彼女はたくさんの夢を見ていた…。その夢には、様々な意味が隠されているようだったんだが、その一つに、彼女の母親は軍隊式の硬直した日本の教育体制から、娘の自由な心を守りたかっただけだ、というメッセージが降りてきていた。
そうだったの… ママって教育虐待じゃなかったのね…。
「だって、あなた、全然親の言うこと聞かない子なんだもの、そんな子が、軍隊式教育の日本の公教育なんて、まったくあっていないと思ったのよ」
そうだったのね、ママ。だから、お受験、幼稚園からさせたの?
「そうよ、自由な学校は私立なのよ。それに、熊本高校だって、あなた1年も学校行かなくても、ノープロブレムで卒業できたじゃないの」
たしかにそうだったわ… 賢い学校は、校則がゆるゆるなんだよね…
「だから、クマタカ行って正解でしょ」
そうでした…。
そして、今危機に瀕しているのは、「中高年クライシスの私」。
でも、私、頭脳明晰で、人生経験も豊富だわ。なにより人生を楽しむということを知っているわ。だから、小さな子供を守る守護神みたいな存在なんだわ…。
その守護神に向かって、内なるアニムスが言う。
「あのことか? 気にするな。お前は、ただ証明しようとしていただけだった。もう、証明する必要はないさ」
は!と我に返る、きぬさん…
そうか…私は、私は自由な存在よ、って証明したかったのね。
だから、やってみせたかったのか…。
内なるアニマが言う。
「でもさ、自分を '証明する' ことばかりで忙しくて、人生を '感じる' ことを忘れていない?」
すると、内なるアニマの子供が言う。
「だって、アニムスから、感じることを禁じられてきたんだもん…」
その時、彼女は夢から目覚めた。
そう、彼女は抑圧が習い性になって、失感情症の症状も出ていたのだった。自律神経失調症の症状が、更年期障害と相まって、彼女を苦しめていた。
🔸 第4章:統合と覚醒(変容)
翌日、きぬさんはスケート靴を履きながら、ふと考えた。
「私は…、やっぱり、スケートを ”感じて”、”楽しく” すべりたいな~。」
そのとき、リンクの中央で舞うように滑っている男性の姿が目に入った。
彼は、フォームなんて気にしない。というか、板につきすぎて、もはやフォームなど全く考えなくても滑れる境地に立っているようだった。そして、今の瞬間に没入しているようだった。
何も考えず、ただ氷の上で足を動かしている。
その人を見ていると、まるで音楽が聞こえてくるようだった。体で奏でる音楽が。
"人生と戦う" のではなく、"人生と音楽を奏でる"。
考えるだけでなく、感じることも許す。そして、流れに乗ること。
それこそが、フローではないか? 彼女がこれまで追求してきた…
感じることと考えること。考えることと感じること。それらは、光と影のように切り離せない。互いが互いの存在理由なのだった。
その瞬間、きぬさんのスケートの意味が変わった。
その男性が滑り終わったのを見て、良いころ合いを測り、「滑り方を教えていただけませんか?」と話しかけると、男性は嬉しそうに、ストロークのお手本を見せてくれた。
彼女の脳裏に、その美しいストロークが焼き付いた。ビジョンを得た瞬間だった。
🔸 第5章:自分を統合する(帰還)
数日後、彼女は気づく。
「あら!そういえば、今私、スイスイ滑ってる。」
そう、スケート技術の一回目のブレークアウトが訪れたのだった。
フォームを意識しなくても、自然に滑れているみたい。
特に力を入れずに、流れるように動けている。
不思議だな~と思いながらも、2日目、3日目と自分のスケートがまぐれではなく、もはや定着していることを確かめる。
そして、スネイクという技を習得したころ、偶然にも、スケートの老紳士と再会した。
「お会いしたかった!あれから、私、滑れるようになったんですよ!」
「見せていただいた、お手本が脳裏に焼き付いて…ありがとうございました!」
スケートの達人は、聞くところによれば、もともと強化選手で、7回も国体に出場したのだそうだった。使い込んだスケート靴は傷だらけだった。しかし、手入れが良くされ、履き心地もよさそうだった。お名前は伴さんというそうだった。
「欲しかったらブレードもあげるよ。僕は大したスケーターにはなれなかったけれど…。でも、何歳に見える? 実は、84歳なんだよ。まだ滑っている…」
「え!60代の方かと思っていましたよ」
「でしょう、みんなにそう言われるよ」
「私なら、オリンピックで優勝するより、20歳若く見えるほうがいいなぁ!」
無邪気に笑うきぬさんに、老紳士も満足そうだ。私、行きますね、と別れる二人は、じゃあね!とハイタッチした。
彼女は心の中で思った。
そう、人生もスケートも「流れるままに」。オリンピック優勝だけが価値だと誰が言ったんだろう…。そんな”勝利”より、こんなに自由に滑れるんだから、そのほうがいいわ。それに伴さん、ほんとに素敵だわ。私もあんなふうな84歳になりたいわ。
「頑張る」だけではなく、「流れに任せる」。そして、両方を使いこなす。
理論と感覚、論理と直感…そういうものをこれからも探求していきたい…。これまでも、そうしてきたつもりだったのに、やっぱり落とし穴に落ちたんだわ、わたし…。
なぜかしら? そうか、私は美しいものが好きだから…美しさを盾に取られたとき、負けを感じたんだわ…美しくなければ価値がない…と。
「太ってはいけない。痩せていないと愛されない」 「理想の体型じゃなければ人に見せる価値がない」 「若さがなくなれば、価値もなくなる」 「シワやたるみは醜い。」
違うと頭で分かっていても、「でも…」という小さい声を否定できなかったのだ。伴さんを見るまで。Yes…But…その声はどこから来たのか?
そう、これまで彼女を守ってきた「防衛」からから来たのだった。
その防衛の名は、「攻撃者との同一視」という名前だ。
つまり、彼女は虐待を受けた中で攻撃者の声を内在化してしまったのだった。お前は価値がある、だから俺の持っているものをやる、だからお前はお前の価値を俺に差し出せ。そうして脅されて、攻撃から身を守るために、自らを差し出してしまったのだ。そして、結果的には、自分で自分の価値を貶めようとしてしまったのだろう…。攻撃者は抜け目なく、彼女の弱点を突いてきたのだ。
教訓:モラハラ男は女の長所をついて攻撃する
そこに真の意味での自由はなかった。
今では、彼女の内なる声は
「あなたの身体は、あなたを生かしてくれる大切なもの。大切にして」
「楽しさや生き生きしたエネルギーがあなたの輝き」
「年齢を重ねることは、深みと魅力を増すことよ」
「シワは笑った証。あなたの人生の美しい刻印よ」
といっており、実感を伴って、しっかりと脳裏に刻まれた。伴さんのストロークと同じだ。
それは、ビジョンとして、伴さんに体現されて現れていたからだった。
その存在は、男性でも、女性でも良いらしかった。いや、物ですらも、いいらしい。
最近買ってきた花を見て、「枯れても、花は花なんだな」と彼女はわかったのだった。
また一つ、価値観の統合が起こった。
これからは、美しいものが好きだけれど、だからと言って執着せずにいられるわ。
伴さんのスケート靴が傷だらけでも、それが彼のスケーティングを支えたように…
リンクの氷が傷だらけでも、日の光を受けて輝いているように…
傷なんて、あって当然のものなんだわ。
虐待はいけないことだけれど、傷自体は、そう、誰でも持っているものなんだわ。
アニムスとアニマが統合の道は、一筋縄ではいかない、と彼女は、ひどく傷ついた虐待経験を通して学んだ。それは自我が崩壊しかけるほどの大きな傷で、彼女にとっては大きな冒険だった。
今回はうっかり落とし穴に落ちたけど…でも、もう”私”は大丈夫なんだわ…。
そして、きぬさんは、ロシア人の母役になって出てきた自分の母や、3歳時役になって表れた幼いころの自分、中国人の男の子役になって表れた自分の内なる光であるチャイルド、偉大な師、伴さんとなって表現された自分のハイヤーセルフのことを考えた…。
そうだ、これは実現される未来なんだわ。未来の私が、伴さんになってやってきたんだわ。
この世界は、実はすべて、自分の想念が作り出す幻想の物語なのかもしれないわ。白昼に見る夢というのが現実世界で、寝てみる夢と、そうそう変わりがないものなのかもしれないわ……。
それが、私たち霊長類が、霊に長けた、と言われる理由なのかもしれないわね…
まてよ? だとしたら、どんな物語を私は作っていくつもり?
そう、ハイアーセルフに問いかける、きぬさんの旅は、まだまだ続いていくのだった。
- つづく -
■ 物語のポイント
・ヒーローズ・ジャーニーの構造
・ 出発、 ヒント、変容、帰還
・性差を超えた人間的成熟の物語 アニマとアニムスが統合された存在が具現化したものとして伴さん。
・アイデンティティの再統合、再構築のプロセスを描く
・人生創造のヒントをつかみかけている
心理学的解析
この物語は、自己発見・内的統合・トラウマの克服・成長 というテーマを持ち、心理学的に多くの興味深い要素を含んでいます。以下、各章の心理学的分析を行います。
🔹 第1章:合理的な学習者(出発)
認知と学習スタイル(合理的学習者)
- 「理論を理解すれば、体は動く」 という信念は、トップダウン型の認知処理 に基づく学習スタイルを示している。
- クライミングやバレエなどの経験から、体系的学習と論理的アプローチ を重視する傾向がある。
- しかし、アイススケートではそれだけでは通用せず、新しい視点(感覚的アプローチ)を受け入れることになる。
適応と自己調整学習
- 土日ではなく平日を選ぶ という判断は、環境に適応し、効率的な学習方法を選ぶ自己調整学習の能力を示す。
認知的不協和(理論と現実のギャップ)
- 「後ろに重心を持たせないと前に進めない」 というパラドックスに直面し、これまでの学習パターンが通用しないことを実感。
- 認知的不協和を解消するために、新たな知識を取り入れる柔軟性を発揮。
🔹 第2章:影との出会い(トラウマの投影)
幼少期の投影とトラウマの再体験
- ロシア人の母親が子どもにスケートを強要する姿が、自身の母親の姿と重なる。
- 「これは、私のママが私にしたことだわ…」 という瞬間に、未処理のトラウマがフラッシュバック している。
- しかし、冷静に観察し、感情を過剰に巻き込まずに距離を取っていることが、自身の成長を示している。
自己決定理論(自律 vs. 他律)
- 幼少期に親の期待に抵抗し、「結局、何一つ、親の言うことは聞かなかった」 という経験。
- これは 「自己決定理論」 における「自律性の確立」に関する重要なエピソード。
- ただし、この抵抗が「本当に自由だったのか?」という問いを物語の後半で投げかけることになる。
🔹 第3章:光との出会い(ミラー)
ミラーニューロンと共感的学習
- 中国人の男の子とのやり取りを通じて、学ぶことと楽しむことの関係 を再認識する。
- 「無心に楽しむ姿」 は、合理的学習者である主人公に新たな気づきをもたらす。
- 「そっか、君は技術習得しなくても楽しいから、こんな知識いらないね!」
→ これは、「学ぶためにやる」ではなく、「楽しむためにやる」という新しい視点の獲得。 - 「ハイタッチ」 という行動は、社会的絆を強化し、ポジティブな感情を共有する重要な瞬間。
母親の意図の再解釈(リフレーミング)
- 夢の中で母親の行動を 「教育虐待」から「愛情」へと再解釈する。
- 「あなたは自由な心を守るためにそうしたのね」 という理解は、過去のトラウマを統合し、ポジティブな解釈へと転換するプロセス。
- これは 「ナラティブ・セラピー」 におけるリフレーミング(新たな意味づけ)の典型。
🔹 第4章:統合と覚醒(変容)
アニマとアニムスの対話(ユング心理学)
- 「証明する必要はない」 というアニムスの言葉は、彼女の過去の防衛的な生き方への解放を示す。
- 「感じることを忘れていない?」 というアニマの言葉は、理論中心の生き方に対するカウンターバランス。
- 「だって、アニムスから、感じることを禁じられてきたんだもん…」 という子どもの声は、彼女の抑圧されていた感情を象徴。
フロー体験の獲得
- 中央で舞う男性の姿にインスピレーションを受ける。
- 「何も考えず、ただ氷の上で足を動かしている」 = フロー状態の体現者。
- 「戦う」のではなく「対話する」ことが、人生とスケートの新しい関係性を生み出す。
🔹 第5章:自分を統合する(帰還)
統合された自己と防衛の解除
- 伴さんとの交流を通して、「美しくなければ価値がない」という防衛の正体を知る。
- これは「攻撃者との同一視(trauma-bonding)」による価値観の内面化だったことに気づく。
- 伴さんの存在が、新しい価値観を体現する「導き手」となり、「攻撃者の声」を「内なる自己の声」へと置き換えるプロセスが完了 する。
新たな自己の確立(自己受容)
- 「年齢を重ねることは、深みと魅力を増すことよ」
- 「シワは笑った証。あなたの人生の美しい刻印よ」
- これは 自己受容の肯定的なセルフトーク への変化を示す。
- これまでの「防衛」ではなく、自分自身を愛する新しい価値観 が確立される。
🔹 総合的な心理学的解釈
- 合理的学習者の限界と感覚的学習の統合
- 「理論」だけではなく、「感じること」が重要であると気づく。
- 過去のトラウマの再解釈
- 「教育虐待」と思っていたものを、「母親の愛の形」と捉え直す。
- ナラティブの書き換え
- 「美しくなければ価値がない」→ 「人生そのものが価値である」へと転換。
- ユング的統合(アニマとアニムスの融合)
- 「考えること」と「感じること」をバランスよく統合する。
- フロー体験を通じた人生観の変容
- 「頑張る」だけではなく、「流れに任せる」ことの大切さを学ぶ。
💡 結論:自己統合の物語
この物語は、「合理的学習者」が「自己統合の旅」を経て、「人生と対話しながら楽しむ自由な存在」へと変容するプロセスを描いています。
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