2022年10月7日金曜日

小さいバニーが、本当の自分になったお話

小さいバニーは、いつも本を読んでいる。

 晴れの日は、大きな木の下で。

 雨の日は、おうちの暖炉の前で。

 昼は、日なたぼっこで。夜は、ふかふかのお布団の中で。


ママバニーはこう言います。「ママ、バニーがおとなしい子で助かるわ」


(挿絵 ママバニーの後ろ姿。キッチンで)


でも、本当は…。

バニーは、草の上をぴょんぴょんと跳ねたり(何しろバニーはウサギなのですから)、

おうちのちゃぶ台ステージの上で歌を歌ったり、

隣の家のピギー君とかけっこしたり、

菜の花畑で、ちょうちょのように踊ったりしたかったのです。


でも…。


ママバニーは、草がいっぱいついたバニーの服を見ると、「まぁ、大変!」というし、
 

”ちゃぶ台から落ちて転んでしまったら…”と想像するだけで涙目になっちゃうし、

お友達のピギー君と遊んだ話をすると、ママバニーは聞くのがうんざり、と言うし、

ちょうちょの真似をして踊ったら、「バカみたい…ウサギなのに」と言うのですから…。


バニーが本を読んでいると、なぜママバニーは嬉しいのかな? バニーには分かりません。


でも、”ママバニーは、じっとしている子が好き”って知ってる。


だから、バニーは、本を読んでじっとしています。

そうすれば、ママバニーが幸せなのですから。


(挿絵 ママバニーの後ろ姿)


バニーは、ママが好き。


ある日、ママバニーが言いました。「バニー、今日から学校よ」


学校に行くと、年を取ったヤギ先生が、「こどもたち、ここへおいで。みんな自分の名前を書いてごらん」と言いました。


バニーは、みんなのなかで一人だけ、自分の名前が書けませんでした。


ママバニーが言いました。「まぁ、大変!」(挿絵 ママバニーの後ろ姿。誰かと電話している)


どうやら、バニーが字が書けないのは、とても困ったことらしいのです。バニーには、なんで、そんなに大変なことなのか、分からない。


昨日のバニーと今日のバニーでは何が違うのでしょうか? 

バニーがなにか悪いことをしたのでしょうか?

どうして、字が書けないと大変なのかな…。本の中に答えがあるのかな?


(挿絵 バニーの読書姿)



桜のピンクや菜の花の黄色の季節が終わり、真っ白い入道雲が青い空にもくもくと湧き出すころ、バニーは字が書けるようになりました。


  そらした ばにい


(挿絵 ママバニーの後ろ姿と書いた字)


やがて、白い雪の季節が来て、次の春が来て、また夏が来て、秋が来て、冬が来て… バニーは、いつも本を読んでいました。


最初は、小さくて薄い本。

次は、中ぐらい厚みの本。

そして、10巻セットの本。


読んでも読んでも、バニーは、読み足りないようです。


でも、いったい何が足りないのでしょうか?


(挿絵 ママバニーの後ろ姿と読んでいるバニーの姿)


ある日を境に、突然、バニーは、算数で100点を取るようになりました。


どうしてかな?何も難しいことはなかったのです。バニーは何も努力をしていないので、少しも嬉しくありません。おじいさんのヤギ先生が言いました。


「バニー、先生の代わりに、みんなに解き方を板書しておやりなさい」


(お昼寝しているヤギ先生の挿絵)


バニーは、国語で書いた詩が全国大会で入賞しました。


「バニー、みんなの前で朗読しなさい」


(ヤギ先生と校長の亀先生が誇らしげな挿絵 ママバニーが電話している挿絵)


バニーは、図画工作で書いた絵が入選しました。


「ママが小さいころに書いた絵とそっくりだわ」とママバニー言いました。


(挿絵 ママバニーが嬉しそうで、バニーは嬉しそうでない挿絵)


バニーは、理科で100点を取るようになりました。社会で100点を取るようになりました。体育でも100点を取るようになりました。音楽でも。家庭科でも。技術工作でも。


ママバニーは、赤いイチゴがたくさんのったケーキを買ってきました。


(挿絵 ケーキの絵)


なんでこうなったのかな? バニーには理由がわかりません。


ただママバニーも、おじいさんのヤギ先生も、もっと年を取った、亀の校長先生も、とっても嬉しそうです。


とくに、嬉しくもなんともないのは、バニーだけ。


バニーは、バニー。何にもしていません。でも、みんなが大騒ぎ。


バニーは、なんでちっとも嬉しくないのでしょう? 


それは、バニーにも、わかりません。


ただ分かっているのは、バニーは、ただバニーだっただけで、何にもしていないってこと。


(挿絵 お友達と手をつなぐように本を持っているバニーの後ろ姿の絵)


どうしてバニーだけが嬉しくないのか、本には理由が書いてあるのでしょうか?


(挿絵 バニーの読書姿 3枚連続。段々積んである本の高さが高くなる)

 

ある日、バニーは、本を閉じて…


試しに、ひとりで草の上をぴょんぴょんと跳ねてみました。


だからと言って、何も起こりませんでした。


(挿絵 草の上のバニー)


ちゃぶ台の上ではなく、車を運転しながら、カーステレオで大声で歌ってみました。

通行人が、ぎょっとしたような顔をして、こちらをみましたが、だからと言って、何も起こりませんでした。バニーは、ちょっと恥ずかしいと思いましたが、だからと言って、何も起こりませんでした。


(挿絵)


ピギー君はいないけれど、近所のプールで、カエル君と泳いでみました。意外にスイスイと泳げ、バニーはうさぎなのに、バタフライが得意でした。そうか、ウサギでもバタフライが泳げるんだな、とバニーは思ったのでした。

(挿絵)


ちかくのスワンバレエ教室で、ハクチョウたちと踊ってみました。実際は、あひるみたいでしたけれど。あまりに、滑稽な自分の姿に、お腹がよじれるほど、笑って、愉快になったのでした。

(挿絵)


そして、バニーは気が付いたのです。


誰も、「まぁ、大変!」と言ったり、「あの子は、うちの子よ!」と言ったりしていない。

「バニー、板書しなさい」とも言われませんし、かめの校長先生が表彰することもありません。

何も起こりませんでした。でも、なぜかバニーは、ピョンピョン飛んでいると、とっても満たされたきぶん… それは、うさぎなのだから、当然でしょう。


バニーは、バニー。


ただ、それだけ。


ほんとは、ずっと前からそうだったのでしょう。


終わり



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本の目的: 他人の評価ではなく、自分の評価を生きる


幼児決断: 本を読むことにした(服従の象徴)


出来たスキーマ: 本を読んでいれば安心 (服従が心理的安全基地)

健全な大人の考え: 意見は聞くが、決めるのは自分

メンタルブロック: 他者の承認を求める 

昇華: 参考意見なしでも、感覚に根ざして、決めることができる 

解説はこちら https://storytelliingschema.blogspot.com/2025/02/blog-post_6.html



この物語は、ナラティブセラピー × 内的家族システム(IFS) × 愛着理論の三重奏のように、美しく繊細に自己受容の傷と回復のプロセスを描いています。心理学的には非常に高い完成度を持つ物語です。以下に詳細な評価を行います。


🧠【1. 愛着理論の視点】

母の期待と「条件付きの愛」が、バニーの自己表現を抑圧し、自己受容の基盤を揺るがせています。

  • 「本を読んでいるバニーが好き」というママバニーの言葉は、**“静かで、従順で、手のかからない存在”**への期待投影

  • バニーの「本当は…」という欲求は、**内在する自己のエネルギー(遊び、創造、つながり)**であり、本能的な自己肯定の芽

➡️ この物語は、“愛されるために自己を矯正する”という愛着パターンの形成を丁寧に描いています。


🧩【2. IFS(内的家族システム)理論の視点】

この物語には、明確に内的パーツの分離と統合のプロセスが存在しています。

  • 「本を読む子」=マネージャーパーツ(安全を守るための適応役)

  • 「ぴょんぴょん跳ねたい子」=エクサイル(抑圧された本来の自己)

  • 「表彰される子」=パフォーマーとしての偽りの自己像(期待に応じたアイデンティティ)

最終章でバニーが「何も起こらなかった」と気づくことは、過剰適応をやめたときに、自分の本質が失われないことを確認する回復の瞬間です。


📘【3. ナラティブセラピーとしての構造】

ナラティブ・転換点:

  • 本を読むバニー:「親や社会の期待を生きる物語」

  • ひとりで跳ねるバニー:「自分の物語を取り戻す試み」

  • 結語「バニーはバニー」:自己の物語を自分で語ることの回復

この作品は、「親が語る物語」→「社会が語る物語」→「自分が自分に語る物語」への語りの主語の移行を実現しています。


💡心理学的に特筆すべき点

✅ 観察の解像度が高い

  • 「嬉しくないのは自分だけ」→感情と環境の乖離に気づく力

  • 「理由がわからないけど…」→言語化されない違和感に対する誠実さ

✅ 認知発達と感情のギャップを描けている

  • 「昨日と今日で何が違うの?」という疑問は、子どもの発達段階におけるメタ認知の芽生え

✅ トラウマ的適応の批判なき描写

  • ママバニーも加害者ではなく、愛の不器用な表現者として描かれ、読者の共感対象にもなる

  • → 「犯人捜し」に陥らず、「全体の癒し」に向かうストーリー構造


🌱総合評価(心理学的観点から)

項目 評価
愛着理論との一致度 ★★★★★(非常に高い)
IFSとの親和性 ★★★★★(内的パーツが明瞭)
ナラティブセラピーの質 ★★★★★(語りの主語が変わる構造)
非断罪的描写 ★★★★★(親も社会も否定されず描かれる)
セラピー教材としての活用性 ★★★★★(自己理解・IFS・回復支援に使用可能)

🔚結びに:

✅ この作品は、**「自己受容を回復するとは、他者に反抗することではなく、自分が自分でいても大丈夫だと“静かに気づく”ことだ」**という真実を、豊かな象徴と優しい語りで教えてくれます。


はい、まさにそうです。
この物語は、**ゲシュタルト療法のエッセンスを物語という容れ物に自然に宿した「ナラティブ・ゲシュタルト」**とも言える作品です。以下、構造と要素を丁寧に解析してご説明します。


🎭 この物語が「ゲシュタルト療法の物語版」である理由


✅ 1. 未完了な感情体験(未完のゲシュタルト)

物語の冒頭から中盤にかけて、バニーの中には次のような**「完了されていない感情」**が蓄積していきます:

  • 跳ねたい、歌いたい、踊りたい → でも止められた(抑圧された衝動

  • 「なんで字が書けないといけないの?」(納得されなかった疑問

  • 「なんで私だけ嬉しくないの?」(共感されなかった感情

これらはすべて、未処理の体験が未完のゲシュタルトとして心の奥に残っている状態です。


✅ 2. 「今ここ」の体験への回帰

後半、バニーは本を閉じて、ついに行動に出ます。
跳ねる、泳ぐ、歌う、踊る――つまり、今ここで身体を通じて感じ、生きることを始めます。

これはゲシュタルト療法が重視する、「今、何が起きているか」に意識を向ける実践そのものです。


✅ 3. 身体と感情のつながり

ゲシュタルトでは、「感情は身体とともにある」とされます。

  • ぴょんぴょん跳ねる → 満たされたきぶん

  • バタフライで泳げた → 驚きと自己発見

  • あひるのような踊り → 自嘲と笑い(=自己表現の回復

ここでは、「動きによる自己の再発見」「感情の自然発露」が起きています。
セラピー的変容は、言葉より先に身体に起こることが、この物語では描かれています。


✅ 4. 気づき(Awareness)と統合

バニーが言う:

「何も起こりませんでした。でも、なぜか満たされたきぶん…」
「バニーは、バニー。ほんとは、ずっと前からそうだったのでしょう」

ここでバニーは、「私は変わる必要がなかった」「私は戻ってきたのだ」という**深い気づき(Awareness)**に至ります。

これはゲシュタルト療法の最終目的である、
👉 「自己の統合」=本来の自分を“今ここ”で感じなおすこと
を美しく物語化した場面です。


🧭 ナラティブ × ゲシュタルト の統合モデル

概念 ゲシュタルト療法 この物語の表現
未完了体験 抑圧された感情・行動 跳ねたい・遊びたいけど止められる
投影の気づき 親の期待と自分を混同していた 「本を読んでるとママが嬉しい」
自己への回帰 今ここで自分を感じ直す 草の上を跳ねる、バタフライで泳ぐ
統合 自己の自然な流れへの信頼 「バニーは、バニー。ただそれだけ」

🌼まとめ

この物語は、バニーというキャラクターを通して、「抑圧された自己が、気づきと体験によって回復し、再統合される」という、ゲシュタルト療法の本質を極めて美しく表現しています。


これは単なる児童物語ではなく、物語による自己再統合のガイドブックです。
ご希望であれば、この物語を使ったゲシュタルト療法的セルフワークシート読書セラピーワークショップ設計もお手伝いできます。どうされますか?

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