2025年2月28日金曜日

【ナルシストアビュース】銀の狼 リラの物語

 🐺 銀狼リラと天空の鷲 🦅

🌲 Ⅰ. 森を駆ける狼

深い森の奥に、一匹の美しい銀色の雌狼がいた。彼女の名は リラ

リラはしなやかに走り、鋭い爪で獲物を仕留める、誇り高き狼だった。
彼女は仲間を持たず、群れに縛られず、自由そのもの のように生きていた。

「私は、誰のものでもない」「私は、私のまま生きる。」

しかし、心の奥にはリラ本人すら、触れることができない 暗い影 があった。


🌑 Ⅱ. 過去の影

幼い頃、リラはとある群れにいた。しかし、群れのリーダーであった黒狼 グローム は、彼女を支配し、傷つけた。

グロームはリラに言い聞かせた。
「お前は取るに足らない存在だ。俺に従わなければ生きていけない。」

彼女の食べ物は奪われ、身体は痛めつけられ、時には狩りの「道具」として使われた

「私は、グロームの道具じゃない…!」

そう叫びたかった。でも、声を上げるたびに牙を向けられ、沈黙することを覚えた。

やがてリラは成長すると、群れを捨てた。夜の闇にまぎれて逃げ、二度と振り返らなかった。

「私は自由になった。もう誰にも支配されない。」

それは、リラの宣言だった。


🦅 Ⅲ. 天空の鷲との出会い

ある日、リラは険しい崖の上で、一羽の大鷲と出会った。

その鷲は、悠々と大空を舞いながらリラを見下ろしていた。
「お前は速いな、狼よ。でも…まるで何かから逃げ、怯えているように見える。」

リラは鋭く睨んだ。

「私は逃避などしていない。私は自由なの!」

鷲は首を傾げた。「本当に?」

「では、なぜお前は、他の雌狼や子狼を見る度に、悲しげな声で吠える?」

リラの心臓が跳ねた。

「…。私は、他の狼に同情したりなどしない!!!」

「そうか?」鷲は冷静に言った。

「お前は、自分の過去を慰めるために、過去の自分のように不自由な狼たちに自分の生き方をアピールしようとしてはいないか? それを認めたら、自分の強さを失うと恐れているのではないか?」

リラは反射的に唸り声をあげた。「そんなことない!」

「ならば、なぜ ‘過去の影’ に触れると、吠えてアピールするんだ?」

リラは言葉を失った。


🔥 Ⅳ. 森の嵐(苦悩の時)

その夜、リラは森の奥へと走り去った。

空には黒雲が広がり、風が唸っていた。

「…何よ、あの鷲!いけすかない奴!」

彼女は苛立っていた。

「弱い奴らを助けることは良いことだっていうのに! 何だっていうの? 私に自信があることの何が悪いことだっていうのよ!」

怒りにまかせて、獲物を狩ろうとした。だが、怒りのあまり、上手く前足が使えない。腹が立っているせいで、喉が渇き、息が荒れる。

もうっ!もう今日は狩りはやめよ!とリラは息まき、銀色の毛並みを炎のように逆立たせて、怒りながら巣穴に帰って行った。

何かが心の奥底で崩れかけていた。

彼女の耳の奥で、グロームの声が蘇る。

「お前だって、俺そっくりじゃねえか?」

「お前だって、俺みたいになりたいんだろ? 正直になれよ」

「……違う。」

でも、本当に?

彼女は、自分が本当に「自由」なのか分からなくなっていた。

グロームに虐待されていた、みじめな過去を認めたら、「私は傷つけられる存在でしかなかった」と証明されてしまうのではないか?

気が付くと、冷たい雨が降り始めていた。

リラはずぶ濡れになりながら、森の奥の巣穴で小さく丸くなった。

「私は、どうすればいいの…?」

その夜、彼女は初めて、眠れぬまま震えた。


🌠 Ⅴ. 自分を取り戻す時

夜が明けた。外に出ると、雨は止んでいた。リラは気が付くと崖の上にいた。

鷲はそこにいた。

「戻ってきたのか。」

リラは、疲れた目で鷲を見上げた。

「私は…ずっと自由に生きてきたと思ってた。それにみんなも自由にしてやりたかった。でも、それは、自分がグロームとは違うということを言いたかっただけなのかもしれない。」

鷲は頷いた。

「自分の弱さを認めることは、弱さではない。お前がどれだけの試練を強く生き抜いたのか、それを示すだけだ。鉄は打たれなければ強くならないのだ。試練が与えられたことこそが、お前の強さを育てたのだ。

「……。でも、本当に卑怯者だったわ、グロームは。」

「そうさ、そしてお前はあいつから逃れたのだ。お前は、ただの ‘支配される存在’ ではない。」

リラは、ゆっくりと目を閉じた。

「そうね…。」

「お前の強さはすでに証明されているのだ。お前はほかの狼とは違うんだよ」

「いや!だめよ、そんなことを言ったら。私はまたグロームみたいな高慢ちきになってしまうわ」

「違いを認めることは、相手を支配下に置くこととは違うんだ」

「…お前は、リラだ。お前がお前であることが、何もしなくても強さなのだ」

「私は私であるだけでいい」

「そうだ、お前は助けなくていい。誰かのビジョンになるかどうかは相手が決める。お前には選択権はないんだよ。手放せ」

そこで、リラは目が覚めた。

その瞬間、胸の奥の何かが、すっと軽くなった。


🌄 Ⅵ. 夜明けの誇り

翌朝、リラは朝日を浴びながら、堂々と遠吠えをした

それは、過去の恐怖を超え、自分自身を取り戻した狼の誇り高き咆哮だった。

すると、なんと、次々と銀色の威風堂々した他の狼たちが集まり始めたのだ。

狼たちは、リラと同じ、一匹狼たちだった。

そして、ひとしきり、みなで一斉に咆哮を終わると、それぞれ散り散りに、狩りへ向かった。

その集まりは、それぞれの勝利宣言であると同時にリラが新しい仲間を発見した瞬間だった。自分のニーズを充足するのに、相手を虐げる必要がない仲間を。

彼女は、ただの「傷つけられた狼」ではない。

自由で、気高く、自分の足で生きる狼だった。彼女を満たすのに、誰かを虐げる必要もなく、完全に自由なのだった。

そして、彼女はもう二度と、グロームの虐待の記憶に怯えなかった。その記憶はまるで、逆の意味をすでに持ち始めていた。

「グローム、あなたが何をしようとしているのか、私からはグルっとお見通しよ」

そして、グロームは、尻尾を足の間に入れ、小さく丸まってしまった…。その様子は、敗北と服従を意味するポーズだった。

銀色に光り輝く狼リラは言った。

「私は、私だ。なんか文句あるか? 文句がある奴は前に進み出て見ろ」 

2025年2月26日水曜日

【人格の再構築】第二話 3人の楽しい仲間たち 自己探求と統合の物語

スケートを始めて数週間が経ち、きぬさんは、すっかり氷の上に慣れてきた。

足元の不安定さにも驚かなくなり、氷の感触が心地よく感じる瞬間すらある。滑りこまれてザラザラの日には、今日は紙やすりみたいね、ということができるほど、慣れていた。  

そんなある日、彼女はリンクで三人の「象徴的な」スケーターたちと出会った。  

■ 一つ目の出会い  赤いジャケットの青年(ミラー)  

その彼は、炎のような赤のジャケットを着た、練習熱心なスケーターだった。  

リンクの真ん中で黙々と円を描いていた。  

その姿はまるで、成功するまで辞めない研究者のようだった。  

「すごいなぁ…」と、きぬさんは彼を見つめた。  

それは、まさに彼女の「努力する自分」そのものだった。

こうしたら、どうかな?ああしたらどうかな?といろいろ試しているうちに、夢中で時間が過ぎて行ってしまう…  

「理論を理解すれば、体は動く!」  

彼女の持論が、まさに彼に必要なもののようだった。ところが今のきぬさんは、クライマーではなく、スケートではまだ入門者の域を出ない。

ああ、山本先生がいたらいいのに…伴さんがいたらいいのに…そんなことを思いながら、彼の動きを観察していた。

すると、彼と目が合って、話しかけると、仲良く知っているスケート知識を分かち合うことになった。彼のほうも、スケート教室に行っているらしかった。

「おぉ…!なんかちょっと良くなった気がする!」  

そういって互いにほめたたえ合うのだった。

■ 白いシャツの青年(シャドー)  

リンクの隅で、もう一人の青年がいた。  

「僕も転びながら、スケート、習得したよ」

彼は白いシャツを着ており、同じく熱心に練習していたが…今日は、その顔はどこか悲しげだった。  

彼は前に会った時のように生き生きしていなかった。すいすい滑ってはいるが、時折、心ここにあらずで、リンクのフェンスに持たれては、スマホをチェックしている。

「何か気になることでもあるのかしら…」

彼はまるで、不安にさいなまれていたころの自分のようだった。

滑ることの楽しさを完璧に理解できても、気がかりなことがあっては、思い切り動けない…。

そんな彼を見ているだけで、心配になってしまい、彼にあれこれ探りを入れるきぬさん。別に相手は大人だし、そんな心配をしてやる必要はないのだが、あれこれと技術的質問をして、相手の気分を盛り上げようとしてしまう自分がいた。

きぬさんは、そう、HSPなのだ。相手の気分が伝染する。これは防ぐことができない。

そう、それに、きぬさんの中の小さな子供が、ママを慰めていたころに戻っていたのだ。  

一方、彼はそんなきぬさんの心境もしらず、滑っていたが…。

きぬさんが短期間で上達したことを見て取ると、「シーズンチケットかぁ。僕も来シーズンはそれにしようかな?」とか言っていた。

「じゃ!また…」と言って去る、元気のない彼に、気がかりの原因を知ってあげることができなかった…と思って、ちょっと無力感を感じるきぬさんなのだった。助けてあげたい病、メサイアコンプレックスの発動だ。

こうなると、その日の午後も、あれこれ考えを巡らせてしまう…。「誰かが病気とか?危篤とか、なのかなぁ」「就職の面接結果が気になるとか?」考えても仕方がない問いばかり。

そんなことを考えていたから、ある瞬間、ちょっとした段差に引っかかり——  

「あっ!」  

ズッテーン!!  

ものの見事に氷の上でコケた。立ち上がろうとすると、たまたま近くにいた子供が憐みのまなざしでこちらを見ているのが見えた。  カッコ悪い大人に見えちゃったなぁ…。

ああ、もう、帰ろ!その日の夜、お風呂に入ると、思ってもいないようなところに青あざが出来ていた。

今度から、膝パット持って行こう、と思ったきぬさんなのだった。

■  ターンを楽しむ年配の男性

それから、しばらくのことだった。

スケート教室は3回しか行かないことにしていたので、その週の土曜は、混んでいるからスケートはお休みのはずだった。だが、教室の小さいお友達、しゅう君が、来週も来るの?というので、来週は来ないよ、と返事をしたら、プイっと拗ねていっちゃったので、そこでも責任を感じたきぬさんは、プチプレゼントを彼に用意して、土曜の教室後の自由滑走の時間に会いに行って驚かせよう、と企んでいた。昔から、サプライズが大好きなのだった。

勢い混んでリンクに到着したものの、おにいちゃんの奏君が、「弟は今日はケガでお休みだよ」と言った。

「え?しゅう君、来てないの?」

「うん、公園で怪我しちゃったの。足首」

「えー、わたし、しゅう君にあげたいものが今日あるの」

「そうなの?ならお母さんにあげるといいかも」  

休憩室に行くと、若くてきれいなお母さんが奏君と座っていた。

「おかあさん、これ、しゅう君に…。怪我、早く治してねって伝えてくださいね」

「まぁ。お気遣いありがとうございます」

そういうやりとりをして、リンクに戻ると、リンクでは、子供たちに交じってスケート教室の大人がちらほらと熱心に練習しており、その大人の初心者に教える、陽気な笑顔を浮かべた年配の男性が、リズミカルに滑っていた。

習得したてのスネイクという技を見せると、リズムに乗って腰を振るといいんだよ、と楽し気にアドバイスしてくれた。  

そして、彼は、クルッと軽やかにターンを決めると、スーッと流れるように滑っていく。  

いや~上手なんだな~。そういえば、てんま君、この技、練習していなかったっけ?と赤いジャケットの青年のことを思い出す…

「はっはっは!スケートは楽しくやるのさ!」  

そう言いながら、大人スケートの達人らしいその人、友田さんは、スポコンを否定する。

「そう、今、野球が一番だめなんだよ」

「午後はバドミントンを教えるんだ」

スケート以外にも様々なスポーツで楽しんできた実績者らしかった。

そうかぁ‥こんな楽しい生き方をしてきた人がいるんだなぁ。

白シャツの青年に、何か個人的な不安が襲い掛かっているらしいことを思うと、人生には、光と影がある、と思う。  

「私はいつも土日に来ていますよ!」  

そうか、てんま君に、今度、土日に来るようにいってやらなくっちゃ!

翌週、きぬさんは、運よく二人を引き合わせることに成功した。

「いや~、今日は最終日だからか、いつもに増して、めちゃ混んでるね!」

「今日は近所の小学校から、来てるのさ」

「土日はキッズばっかりで、ちょっと練習する環境じゃないね」

「私たち、いつもは、平日組なんですよ。平日はガラガラなんですよ」

「え?私も平日だいじょうぶよ」と友田さん。こういう流れで、結局、みなで今度、平日に練習しよう!ってことになった。

友田さんは自動的に先生役になった。

「滑るなら楽しく滑るべし!」

名付けて、「子供のころスポコンが苦手だった大人のスケート教室(笑)」。

何か楽しいことが起こりそうな予感が、滑る前からしている名前だ、ときぬさんは思った。

■ スケート人生のヒント  

その日、きぬさんは改めて考えた。  

私はスケートで出会う人たちに何を「投影」していたんだろう…?

ひたむきに練習する赤いジャケットの青年てんま君。  

何か個人的に悲しい出来事があって、スケートをいつものように楽しめない白いシャツの青年。

スポーツの喜びを伝える年配の友田さん。  

…あぁ、私、全部やってたわ… 

そう、努力することも、何か邪魔が入って楽しめなくなることも、そして、スポ根ではなく「楽しむこと」も…。

そう、この人たちは、実は全部、私なんだわ。だから、みんな、「仲間」なんだわ…。

そういえば、私って、最近どういう問いを発したんだっけ…? ああ、そうだわ、投影が作り出す現実って、なんなのだろう?って問いを発したんだったわ。忘れていたけど…。

だから、この現実が今作りだされたんだわ。投影ってこういうことですよ、って私に示すために…。

えー、人生ってそういうことだったのか…。

■ エピローグ:ユーモラスな決意  

今日もスケートに行った、きぬさんは帰り際に思った。  

「あなたの村の村人はどんな人ですか?」って、このことなんだわ…

そういえば、山本先生も、まるでクライミングを教えているときの私みたいな先生だったし…

伴さんもきっと未来の私…

そうか、姿形を変えて、私のパーツが私の現実を作っているんだわ…

じゃ、カウンセラーの先生は、どの私のパーツなのかしら…

じゃ、荒木さんと私は?じゃ青木さんと私は?

次々と過去の人間関係が脳裏によみがえる…

あれは彼らの本質ではなくて私のシャドーだったのかしら…?

ということは、私は本音では、私だってこんなすごいのが登れるんだぞー、どうだ!ってやりたいのかしら?

ということは、私は本音では、ひけらかし、鼻に掛け、人を下にして見下したいのかしら…?

そんなダークな部分まで、楽しい気分と一緒くたに抑圧してしまったから、抑圧が取れるってことは、その部分までついでに出てきてしまうってことなのかしら?

それで、私は虐待経験を積むことになったの……?どういう投影で?

と、考え込むきぬさんなのだった。

物語の種明かしは、今始まったばかりなのかもしれない…。

心理学的分析

この物語には、投影・自己統合・成長・内的対話 などの心理学的テーマが多く含まれています。以下、主要なポイントを分析します。


🔹 1. 投影のプロセスと「三人の象徴的なスケーター」

この物語では、赤いジャケットの青年(ミラー)・白いシャツの青年(シャドー)・年配の男性(ビジョン) という3つの異なる人物に、主人公が自身の側面を投影しています。

  • ミラー(赤いジャケットの青年:ひたむきな努力)
    → 「理論を理解すれば体は動く」という自身の合理的な学習スタイルを象徴する存在。
    → 彼との交流を通じて、努力することへの肯定的な側面を再確認する。

  • シャドー(白いシャツの青年:不安と抑圧)
    → 何かに悩み、スケートの楽しさを感じられない姿に、かつての自分を投影。
    → 「他人の気分を察知しすぎる」「助けてあげたい」というHSP的特性が発動。
    → 彼の状態を気にしすぎることで、自身の過去の「メサイアコンプレックス(救済者願望)」を再認識する。

  • ビジョン(年配の男性:楽しむことの象徴)
    → 「スポーツは楽しむものだ」という価値観を体現する存在。
    → これまでの「努力・頑張る」思考から、「楽しむこと」へと意識が変化。
    → 彼との出会いが、「頑張らないで楽しむ」ことの大切さを実感させる。

→ 結論:この3人は、主人公自身の異なる側面(努力・不安・楽しむ)を外在化させたものと考えられる。


🔹 2. メサイアコンプレックス(救済者願望)の発動

主人公は、白いシャツの青年の不安定な様子を見て、無意識に「助けてあげなきゃ」という気持ちになっている。

  • 「助けてあげたい病、メサイアコンプレックスの発動だ」

    • 他人の気分に敏感であり、相手が落ち込んでいると放っておけない。
    • これは、幼少期に「母親を慰めていた自分」の再現であり、過去のパターンが発動している。
  • 「相手は大人だし、そんな心配をしてやる必要はない」

    • 理性では「助けなくてもいい」と理解しているが、感情が追いつかない。
    • ここで「幼少期の癖」としての行動が自動的に起こることに気づいている点が重要。

→ これは「共依存」や「過剰な共感」が働いている典型的な例。HSP気質の人が陥りやすいパターンでもある。


🔹 3. 投影の気づきと自己統合のプロセス

物語の終盤で、主人公は「これらのスケーターは、全部自分だったのか…」と気づく。

  • 「この人たちは、実は全部、私なんだわ」
    → 「ミラー・シャドー・ビジョン」の三者が、実は自分の異なる側面だったことに気づく。
    これはユング心理学でいう「自己統合(Individuation)」のプロセスの一部。

  • 「だから、みんな、仲間なんだわ…」
    → 自分の分裂した要素を統合することで、「他者とのつながり」もより健全なものになる。

→ 自己のさまざまな側面を統合することで、主人公はより成熟した自己を確立していく。


🔹 4. 「投影」のメタ認知(自己の影との対話)

最後に主人公は、「投影とは何か?」という疑問を持ち始める。

  • 「じゃ、カウンセラーの先生は、どの私のパーツなのかしら…?」
  • 「じゃ、荒木さんと私は?じゃ青木さんと私は?」
  • 「あれは彼らの本質ではなくて私のシャドーだったのかしら…?」

これは、「これまで関わってきた人々が、自分のどの部分を反映していたのか?」という深い問い。

  • 過去の人間関係の見直し

    • これまで出会った人々が、どのように「自分の無意識を投影する対象だったのか」を振り返る。
    • これは、ユング心理学における「投影の回収(Retracting Projections)」の過程。
  • 「ということは、私は本音では、私だってこんなすごいのが登れるんだぞー、どうだ!ってやりたいのかしら?」

    • 自分が嫌悪していた相手(ひけらかす人・自慢する人)が、実は自分の無意識の欲望を映していたことに気づく。
    • これは「シャドーワーク」の典型的なプロセス。

→ つまり、主人公は「過去の対人関係を通じて、自分が無意識に抑圧していたもの」に気づいている。


🔹 5. 防衛機制と虐待経験の再解釈

物語の最後に、主人公は**「自分がなぜ虐待を経験することになったのか?」** という問いに向き合っている。

  • 「それで、私は虐待経験を積むことになったの……?どういう投影で?」

    • 虐待が「運命」ではなく、「何かの投影の結果」である可能性を考え始める。
    • つまり、「自分が持っていた無意識の思考・価値観が、現実を作り出していたのでは?」という問い。
  • 「物語の種明かしは、今始まったばかりなのかもしれない…」

    • これは「ナラティブ・セラピー(物語療法)」における「自己の物語を書き換える」段階に入ったことを示す。

→ 自分の人生を「運命」として受け入れるのではなく、「どのように自分の意識が関与していたのか?」を見直すことで、新たなストーリーを作り出そうとしている。


🔹 まとめ:この物語の心理学的テーマ

テーマ 心理学的解釈
投影 他者を通じて「自分の側面」に気づくプロセス
シャドーワーク 過去の人間関係を通じて、自分の抑圧された部分を認識
メサイアコンプレックス 幼少期の「母を慰める役割」が対人関係で発動する
自己統合 異なる側面(努力・不安・楽しむ)を統合するプロセス
ナラティブ・セラピー 「過去の物語」を再構築し、新しい意味を見出す
虐待経験の再解釈 「被害者としての人生」から「主体的に自分の物語を創る人生」へ

🔹 結論:これは「自己探求と統合の物語」

この物語は、単なるスケートの話ではなく、「自分の内面と向き合い、投影を回収し、自己統合を果たすプロセス」を描いたもの。

そして、主人公はまさに「自分の人生の種明かし」を始めたばかりなのだろう。

【人格の再構築】本当に起きたリンクでの奇跡の日々

 第1章:合理的な学習者(出発)

「理論を理解すれば、体は動く。」

それが、理論派きぬさんの持論だった。

彼女はこれまで、登山やクライミング、バレエなど、さまざまな運動を大人でスタートして習得してきた。

すべて独学であり、まず論理的に理解し、体系的に学ぶことで、着実に上達してきた。

そして今、新たに挑戦するのはアイススケート。

最初は気軽な気持ちだった。

「バレエの基礎もあるし、バランス感覚も鍛えている。コツさえ掴めば滑れるはず。滑れなくても、運動不足解消になれば、いっか」

しかし、実際に氷の上に立ったものの——リンクは大混雑。その上、フェンスのそばですら、ちびっこがちょこまかして、転ばされそう!その上、全然、滑れない(汗)!

「うーん…?これって運動不足の解消にならないどころか、怪我の元?でも、すぐ辞めるのは良くないわね…」

2,3日滑っているうちに、彼女は気づく。

「土日は大混雑しているが、平日は、ガラガラ」

そこで彼女は土日は捨て、平日オンリースケーターで通い始めた。

スケートは、やっていれば自然に身につくわけではないものなのでは…?と、疑い始めたころ、その内なる疑いの声に答えるかのように、受付の人が言った。

「初心者講習ありますよ、出て見ませんか?」

その声に導かれるように、初心者講習に出る。すると、すごい誤解をしていたことが分かった。

スケートは、”前に進むためには、後ろに重心を持たせないといけない” のだ。

なんというパラドックスだろう!

前に進みたければ、スケート靴の後ろに重心をかけなくてはいけないとは…。

このことは、きぬさんにとって、大発見だった。

講習会に出て以来、きぬさんは、いろいろな人たちに助言をもらうようになる。

「エッジはU字型に溝が入っているんだよ」

「インサイドエッジとアウトサイドエッジがあるんだよ」

「靴は、ブレードが取り外せるんだよ」

「フィギュアとホッケーでは滑り方が違うよ」

その度、「へぇ~」。きぬさんは、自分と同じように、大人からスケートしている人たちからの支援が、太陽の光のように降り注ぐことに驚いた。

そうか、みんな、こんなに楽しく助け合って生きていたんだ。

第二章:影との出会い

そんなある日、リンクに行くと、ロシア人親子がいた。3つになるかならないかの子供を無理やり滑らせようと、母親は悪戦苦闘していた。

母親は元プロスケーターらしかった。しかし、子供はスケートに興味を全然示していない…。母親は、途中で子供自ら滑るということをあきらめて、そりに子供を乗せ、彼女が押して、氷上を滑らかに移動することだけを楽しませようとした…。

ところが、男の子は退屈して寝てしまった…。

「これは、私のママが私にしたことだわ…」ときぬさんは内心思った。そう、彼女の母親も、幼い彼女に、あれやこれやと習い事をさせようとした…最初はピアノ…次は水泳…そして、幼稚園からのお受験。これは大学受験まで続いた。

その度に彼女は抵抗して、結局、何一つ、親の言うことは聞かなかった。さすがに、5回目には、もはやお受験ベテランで、なんということもなく、お受験の勝者になった以外は。

きぬさんは、そのロシア人の3つの男の子に、内心、声援を送った。

「君も、頑張れよ~」

 第3章:光との出会い(ミラー)

リンクに通い続けるうちに、5歳くらいの中国人の男の子と出会った。母親はリンクの外にいて、子供が一人で無心に滑っている。

彼は 無心にただただリンクにいることを楽しんでいる。それでも子供なので、スピードは緩く、へたくそきぬさんでも、彼に追いついてしまう。

追いつくと、その子はとっても嬉しそうにスピードを速めるのだ。追いかけっこをしているみたいな気分なんだろうな。

ひとしきり、抜きつ抜かれつをしてあげた後、この子、スケート好きなんだな…と思ったきぬさんは、ちょっと自分が教わったことを教えてあげようかな?と思う。

「これ、できる?」 彼女は一番初歩の動き、”ペンギン”、をしてみせた。

「できない!」彼は即座に答えた。

きぬさんは少し考えた。

「そっか、君は技術習得しなくても楽しいから、こんな知識いらないね!」

すると、その中国人の男の子は うれしそうにニコッと笑った。一周回り終えて、お母さんに微笑みかける。母親もうれしそうだった。

「ハイタッチしよ! 」ときぬさんが声をかけると、3人で、イエーイ!とハイタッチした。

とっても嬉しそうにハイタッチする、その子を見て、きぬさんは心底うれしかった。

(私、今、楽しんでる!)

その頃、彼女はたくさんの夢を見ていた…。その夢には、様々な意味が隠されているようだったんだが、その一つに、彼女の母親は軍隊式の硬直した日本の教育体制から、娘の自由な心を守りたかっただけだ、というメッセージが降りてきていた。

そうだったの… ママって教育虐待じゃなかったのね…。

「だって、あなた、全然親の言うこと聞かない子なんだもの、そんな子が、軍隊式教育の日本の公教育なんて、まったくあっていないと思ったのよ」

そうだったのね、ママ。だから、お受験、幼稚園からさせたの?

「そうよ、自由な学校は私立なのよ。それに、熊本高校だって、あなた1年も学校行かなくても、ノープロブレムで卒業できたじゃないの」

たしかにそうだったわ… 賢い学校は、校則がゆるゆるなんだよね…

「だから、クマタカ行って正解でしょ」

そうでした…。

そして、今危機に瀕しているのは、「中高年クライシスの私」。

でも、私、頭脳明晰で、人生経験も豊富だわ。なにより人生を楽しむということを知っているわ。だから、小さな子供を守る守護神みたいな存在なんだわ…。

その守護神に向かって、内なるアニムスが言う。

「あのことか? 気にするな。お前は、ただ証明しようとしていただけだった。もう、証明する必要はないさ」

は!と我に返る、きぬさん…

そうか…私は、私は自由な存在よ、って証明したかったのね。

だから、やってみせたかったのか…。

内なるアニマが言う。

「でもさ、自分を '証明する' ことばかりで忙しくて、人生を '感じる' ことを忘れていない?」

すると、内なるアニマの子供が言う。

「だって、アニムスから、感じることを禁じられてきたんだもん…」

その時、彼女は夢から目覚めた。

そう、彼女は抑圧が習い性になって、失感情症の症状も出ていたのだった。自律神経失調症の症状が、更年期障害と相まって、彼女を苦しめていた。

🔸 第4章:統合と覚醒(変容)

翌日、きぬさんはスケート靴を履きながら、ふと考えた。

「私は…、やっぱり、スケートを ”感じて”、”楽しく” すべりたいな~。」

そのとき、リンクの中央で舞うように滑っている男性の姿が目に入った。

彼は、フォームなんて気にしない。というか、板につきすぎて、もはやフォームなど全く考えなくても滑れる境地に立っているようだった。そして、今の瞬間に没入しているようだった。

何も考えず、ただ氷の上で足を動かしている。

その人を見ていると、まるで音楽が聞こえてくるようだった。体で奏でる音楽が。

"人生と戦う" のではなく、"人生と音楽を奏でる"。

考えるだけでなく、感じることも許す。そして、流れに乗ること。

それこそが、フローではないか? 彼女がこれまで追求してきた…

感じることと考えること。考えることと感じること。それらは、光と影のように切り離せない。互いが互いの存在理由なのだった。

その瞬間、きぬさんのスケートの意味が変わった。

その男性が滑り終わったのを見て、良いころ合いを測り、「滑り方を教えていただけませんか?」と話しかけると、男性は嬉しそうに、ストロークのお手本を見せてくれた。

彼女の脳裏に、その美しいストロークが焼き付いた。ビジョンを得た瞬間だった。

🔸 第5章:自分を統合する(帰還)

数日後、彼女は気づく。

「あら!そういえば、今私、スイスイ滑ってる。」

そう、スケート技術の一回目のブレークアウトが訪れたのだった。

フォームを意識しなくても、自然に滑れているみたい。

特に力を入れずに、流れるように動けている。

不思議だな~と思いながらも、2日目、3日目と自分のスケートがまぐれではなく、もはや定着していることを確かめる。

そして、スネイクという技を習得したころ、偶然にも、スケートの老紳士と再会した。

「お会いしたかった!あれから、私、滑れるようになったんですよ!」

「見せていただいた、お手本が脳裏に焼き付いて…ありがとうございました!」

スケートの達人は、聞くところによれば、もともと強化選手で、7回も国体に出場したのだそうだった。使い込んだスケート靴は傷だらけだった。しかし、手入れが良くされ、履き心地もよさそうだった。お名前は伴さんというそうだった。

「欲しかったらブレードもあげるよ。僕は大したスケーターにはなれなかったけれど…。でも、何歳に見える? 実は、84歳なんだよ。まだ滑っている…」

「え!60代の方かと思っていましたよ」

「でしょう、みんなにそう言われるよ」

「私なら、オリンピックで優勝するより、20歳若く見えるほうがいいなぁ!」

無邪気に笑うきぬさんに、老紳士も満足そうだ。私、行きますね、と別れる二人は、じゃあね!とハイタッチした。

彼女は心の中で思った。

そう、人生もスケートも「流れるままに」。オリンピック優勝だけが価値だと誰が言ったんだろう…。そんな”勝利”より、こんなに自由に滑れるんだから、そのほうがいいわ。それに伴さん、ほんとに素敵だわ。私もあんなふうな84歳になりたいわ。

「頑張る」だけではなく、「流れに任せる」。そして、両方を使いこなす。

理論と感覚、論理と直感…そういうものをこれからも探求していきたい…。これまでも、そうしてきたつもりだったのに、やっぱり落とし穴に落ちたんだわ、わたし…。

なぜかしら? そうか、私は美しいものが好きだから…美しさを盾に取られたとき、負けを感じたんだわ…美しくなければ価値がない…と。

「太ってはいけない。痩せていないと愛されない」 「理想の体型じゃなければ人に見せる価値がない」 「若さがなくなれば、価値もなくなる」 「シワやたるみは醜い。」

違うと頭で分かっていても、「でも…」という小さい声を否定できなかったのだ。伴さんを見るまで。Yes…But…その声はどこから来たのか?

そう、これまで彼女を守ってきた「防衛」からから来たのだった。

その防衛の名は、「攻撃者との同一視」という名前だ。

つまり、彼女は虐待を受けた中で攻撃者の声を内在化してしまったのだった。お前は価値がある、だから俺の持っているものをやる、だからお前はお前の価値を俺に差し出せ。そうして脅されて、攻撃から身を守るために、自らを差し出してしまったのだ。そして、結果的には、自分で自分の価値を貶めようとしてしまったのだろう…。攻撃者は抜け目なく、彼女の弱点を突いてきたのだ。

  教訓:モラハラ男は女の長所をついて攻撃する

そこに真の意味での自由はなかった。

今では、彼女の内なる声は

「あなたの身体は、あなたを生かしてくれる大切なもの。大切にして」

「楽しさや生き生きしたエネルギーがあなたの輝き」

「年齢を重ねることは、深みと魅力を増すことよ」

「シワは笑った証。あなたの人生の美しい刻印よ」

といっており、実感を伴って、しっかりと脳裏に刻まれた。伴さんのストロークと同じだ。

それは、ビジョンとして、伴さんに体現されて現れていたからだった。

その存在は、男性でも、女性でも良いらしかった。いや、物ですらも、いいらしい。

最近買ってきた花を見て、「枯れても、花は花なんだな」と彼女はわかったのだった。

また一つ、価値観の統合が起こった。

これからは、美しいものが好きだけれど、だからと言って執着せずにいられるわ。

伴さんのスケート靴が傷だらけでも、それが彼のスケーティングを支えたように…

リンクの氷が傷だらけでも、日の光を受けて輝いているように…

傷なんて、あって当然のものなんだわ。

虐待はいけないことだけれど、傷自体は、そう、誰でも持っているものなんだわ。

アニムスとアニマが統合の道は、一筋縄ではいかない、と彼女は、ひどく傷ついた虐待経験を通して学んだ。それは自我が崩壊しかけるほどの大きな傷で、彼女にとっては大きな冒険だった。

今回はうっかり落とし穴に落ちたけど…でも、もう”私”は大丈夫なんだわ…。

そして、きぬさんは、ロシア人の母役になって出てきた自分の母や、3歳時役になって表れた幼いころの自分、中国人の男の子役になって表れた自分の内なる光であるチャイルド、偉大な師、伴さんとなって表現された自分のハイヤーセルフのことを考えた…。

そうだ、これは実現される未来なんだわ。未来の私が、伴さんになってやってきたんだわ。

この世界は、実はすべて、自分の想念が作り出す幻想の物語なのかもしれないわ。白昼に見る夢というのが現実世界で、寝てみる夢と、そうそう変わりがないものなのかもしれないわ……。

それが、私たち霊長類が、霊に長けた、と言われる理由なのかもしれないわね…

まてよ? だとしたら、どんな物語を私は作っていくつもり?

そう、ハイアーセルフに問いかける、きぬさんの旅は、まだまだ続いていくのだった。

- つづく -

■  物語のポイント

・ヒーローズ・ジャーニーの構造

・ 出発、 ヒント、変容、帰還

・性差を超えた人間的成熟の物語 アニマとアニムスが統合された存在が具現化したものとして伴さん。

・アイデンティティの再統合、再構築のプロセスを描く

・人生創造のヒントをつかみかけている


心理学的解析

この物語は、自己発見・内的統合・トラウマの克服・成長 というテーマを持ち、心理学的に多くの興味深い要素を含んでいます。以下、各章の心理学的分析を行います。


🔹 第1章:合理的な学習者(出発)

認知と学習スタイル(合理的学習者)

  • 「理論を理解すれば、体は動く」 という信念は、トップダウン型の認知処理 に基づく学習スタイルを示している。
  • クライミングやバレエなどの経験から、体系的学習と論理的アプローチ を重視する傾向がある。
  • しかし、アイススケートではそれだけでは通用せず、新しい視点(感覚的アプローチ)を受け入れることになる。

適応と自己調整学習

  • 土日ではなく平日を選ぶ という判断は、環境に適応し、効率的な学習方法を選ぶ自己調整学習の能力を示す。

認知的不協和(理論と現実のギャップ)

  • 「後ろに重心を持たせないと前に進めない」 というパラドックスに直面し、これまでの学習パターンが通用しないことを実感。
  • 認知的不協和を解消するために、新たな知識を取り入れる柔軟性を発揮。

🔹 第2章:影との出会い(トラウマの投影)

幼少期の投影とトラウマの再体験

  • ロシア人の母親が子どもにスケートを強要する姿が、自身の母親の姿と重なる。
  • 「これは、私のママが私にしたことだわ…」 という瞬間に、未処理のトラウマがフラッシュバック している。
  • しかし、冷静に観察し、感情を過剰に巻き込まずに距離を取っていることが、自身の成長を示している。

自己決定理論(自律 vs. 他律)

  • 幼少期に親の期待に抵抗し、「結局、何一つ、親の言うことは聞かなかった」 という経験。
  • これは 「自己決定理論」 における「自律性の確立」に関する重要なエピソード。
  • ただし、この抵抗が「本当に自由だったのか?」という問いを物語の後半で投げかけることになる。

🔹 第3章:光との出会い(ミラー)

ミラーニューロンと共感的学習

  • 中国人の男の子とのやり取りを通じて、学ぶことと楽しむことの関係 を再認識する。
  • 「無心に楽しむ姿」 は、合理的学習者である主人公に新たな気づきをもたらす。
  • 「そっか、君は技術習得しなくても楽しいから、こんな知識いらないね!」
    → これは、「学ぶためにやる」ではなく、「楽しむためにやる」という新しい視点の獲得。
  • 「ハイタッチ」 という行動は、社会的絆を強化し、ポジティブな感情を共有する重要な瞬間。

母親の意図の再解釈(リフレーミング)

  • 夢の中で母親の行動を 「教育虐待」から「愛情」へと再解釈する
  • 「あなたは自由な心を守るためにそうしたのね」 という理解は、過去のトラウマを統合し、ポジティブな解釈へと転換するプロセス。
  • これは 「ナラティブ・セラピー」 におけるリフレーミング(新たな意味づけ)の典型。

🔹 第4章:統合と覚醒(変容)

アニマとアニムスの対話(ユング心理学)

  • 「証明する必要はない」 というアニムスの言葉は、彼女の過去の防衛的な生き方への解放を示す。
  • 「感じることを忘れていない?」 というアニマの言葉は、理論中心の生き方に対するカウンターバランス。
  • 「だって、アニムスから、感じることを禁じられてきたんだもん…」 という子どもの声は、彼女の抑圧されていた感情を象徴。

フロー体験の獲得

  • 中央で舞う男性の姿にインスピレーションを受ける。
  • 「何も考えず、ただ氷の上で足を動かしている」 = フロー状態の体現者。
  • 「戦う」のではなく「対話する」ことが、人生とスケートの新しい関係性を生み出す。

🔹 第5章:自分を統合する(帰還)

統合された自己と防衛の解除

  • 伴さんとの交流を通して、「美しくなければ価値がない」という防衛の正体を知る。
  • これは「攻撃者との同一視(trauma-bonding)」による価値観の内面化だったことに気づく。
  • 伴さんの存在が、新しい価値観を体現する「導き手」となり、「攻撃者の声」を「内なる自己の声」へと置き換えるプロセスが完了 する。

新たな自己の確立(自己受容)

  • 「年齢を重ねることは、深みと魅力を増すことよ」
  • 「シワは笑った証。あなたの人生の美しい刻印よ」
  • これは 自己受容の肯定的なセルフトーク への変化を示す。
  • これまでの「防衛」ではなく、自分自身を愛する新しい価値観 が確立される。

🔹 総合的な心理学的解釈

  1. 合理的学習者の限界と感覚的学習の統合
    • 「理論」だけではなく、「感じること」が重要であると気づく。
  2. 過去のトラウマの再解釈
    • 「教育虐待」と思っていたものを、「母親の愛の形」と捉え直す。
  3. ナラティブの書き換え
    • 「美しくなければ価値がない」→ 「人生そのものが価値である」へと転換。
  4. ユング的統合(アニマとアニムスの融合)
    • 「考えること」と「感じること」をバランスよく統合する。
  5. フロー体験を通じた人生観の変容
    • 「頑張る」だけではなく、「流れに任せる」ことの大切さを学ぶ。

💡 結論:自己統合の物語

この物語は、「合理的学習者」が「自己統合の旅」を経て、「人生と対話しながら楽しむ自由な存在」へと変容するプロセスを描いています。

2025年2月19日水曜日

美しい小鳥とバカなカエル ミアとポチャ

 ■美しい小鳥とバカなカエル

むかしむかし、ある森にミアという美しい小鳥がいました。ミアの羽は光の角度によって青にも紫にも輝き、歌声は森のどんな風よりも心地よい音色を奏でました。

ミアは空を飛びながら、森のあちこちで動物たちとおしゃべりするのが大好きでした。どんな悩みでも、ミアと話せば心が軽くなると言われていました。

ある日、ミアは古い井戸のそばで、一匹のカエルがせっせと桶を下ろしては引き上げているのを見つけました。

「何をしているの?」

ミアが井戸の縁にとまり、首をかしげると、カエルは得意げに答えました。

「見て分からないか? 水を汲んでいるんだ!」

ミアは井戸を覗き込みました。でも、底はカラカラに乾いています。

「この井戸には、水がないわ。」

すると、カエルは不機嫌そうにミアを睨みました。

「そんなことあるもんか! 井戸なんだから、水があるはずなんだ!」

ミアは静かに羽を広げ、風に乗ってふわりと舞いました。

「ねえ、ポチャ。一度、私と一緒に空を飛んでみない?」

ポチャは驚いて目を瞬かせました。

「カエルが空を飛べるわけないだろ!」

「そうね。でも、私が運んであげるわ。ちょっとの間だけでも、井戸の外の世界を見てみない?」

ポチャはしばらく考えました。でも、やがて首を横に振りました。

「いいんだ。この井戸の水を汲むって決めたんだ。」

ミアはしばらくポチャを見つめていましたが、やがてにっこり微笑みました。

「そう……じゃあ、私は少し遠くの池に行ってくるわ。そこには、水があるって聞いたの。」

ミアは風に乗り、空高く舞い上がりました。ポチャはその姿を見上げながら、ほんの少しだけ、心がざわつきました。

「もしも……もしも、ミアについていったら?」

でも、ポチャはその考えをすぐに打ち消しました。そしてまた、桶を下ろし続けました。

——数日後。

ポチャの喉はカラカラでした。体も弱ってきています。それでも、井戸のそばを離れられませんでした。

そのとき、ふわりと風が吹き、ミアが戻ってきました。くちばしには、一滴の水が輝いています。

「ねえ、ポチャ。これを飲んでみない?」

ポチャは疑いながらも、水を口に含みました。その瞬間、体の中に広がる清涼感に驚きました。

「……どこで、これを?」

「遠くの池よ。ポチャも、来てみる?」

ポチャは、ミアの羽ばたきを見つめました。そこには、自由がありました。

「……行ってみたい。」

ポチャがそう言った瞬間、ミアは優しく微笑みました。そして、そっと翼を広げました。

「じゃあ、一緒に行きましょう。」

こうして、ポチャは初めて井戸のそばを離れました。そして、自分が信じていたものが、ただの思い込みだったことに気づいたのです。

その後、ポチャは池でのんびり暮らしました。もう、空っぽの井戸には戻りませんでした。

そして、時々ミアが飛んできて、こう言いました。

「ちゃんと、考えて選ぶのよ。努力じゃなくて、可能性をね。」

バカなカエルと 井戸の中の小鳥 心の中のミア

 バカなカエルと 井戸の中の小鳥

むかしむかし、ある森の古い井戸のそばに、一匹のカエルが住んでいました。名前はポチャ。ポチャはとても真面目で、毎日一生懸命に井戸に桶を下ろしては引き上げていました。

しかし、井戸の中には何もありませんでした。

それでもポチャはやめませんでした。

「井戸には水があるはずだ。だって、井戸は水をくむものだから。」

ポチャはそう信じて、今日もまた桶を下ろしました。

——そしてある日。

ポチャはいつものように桶を引き上げていましたが、突然、井戸の中からかすかな声が聞こえました。

「ねえ、ポチャ。」

ポチャは驚いて、桶をのぞきこみました。そこには、小さな美しい小鳥がとまっていました。羽は淡い光をまとい、青や紫にやさしく輝いています。

「おまえ、誰だ?」

「ミアよ。あなたの中にずっといたの。でも、ようやく声をかけられるようになったの。」

「俺の中に……?」

「そう。私は、あなたが本当に知っていること。でも、気づかないふりをしていること。」

ポチャは混乱しました。

「そんなことより、お前、こんな井戸の底で何をしてるんだ?」

ミアはにっこり笑いました。

「それを聞きたいのは私のほうよ。ポチャ、どうしてこんな井戸で水を汲もうとしているの?」

ポチャは少しムッとして答えました。

「だって、井戸は水を汲む場所だ! だから、俺はこうして毎日……」

——そのとき、ポチャは言葉に詰まりました。

「……でも、水は出てこない。」

ミアは、優しくうなずきました。

「ポチャ、あなたは知っているのよ。本当は、ここに水がないことを。」

ポチャはぎゅっと拳を握りました。

「そんなわけない! もし俺がやめたら……俺が今までやってきたことは、全部無駄になっちまう!」

ミアはそっと羽を広げました。そして、かすかに震えるポチャの頭にそっとくちばしを寄せて、囁きました。

「やめることは、無駄じゃないわ。間違いを知ることは、進むことよ。」

ポチャは、井戸の底を見つめました。暗くて、乾いていて、静まり返っている。

——そうだ。ずっと前から知っていた。

ポチャの喉はカラカラで、体は弱っていた。ずっと、このままじゃダメだと分かっていた。

それでも、手を止めるのが怖かった。

ポチャはそっと目を閉じて、息を吐きました。

「……どうすればいい?」

ミアは優しく微笑みました。

「この井戸を見上げて。光のあるほうへ。」

ポチャは顔を上げました。井戸の口の向こうには、眩しい空が広がっていました。

「俺は、ここから出られるのか?」

「ええ。でも、出るって決めるのは、あなたよ。」

ポチャは震える足で、井戸の壁を登り始めました。

最初は怖かった。手が滑るたびに「やっぱり無理だ」と思いそうになった。

でも、そのたびにミアの声がした。

「もう少しよ。」

「大丈夫、あなたはできる。」

そして——

ポチャは、井戸の外に出た。

そこには、広い世界が広がっていた。やわらかい草、流れる川、きらめく水面。

ポチャは、ふらふらと川へ歩いていった。そして、初めて本物の水をすくって飲んだ。

甘くて、冷たくて、生き返るようだった。

「こんなに簡単なことだったのか……?」

そのとき、ポチャの肩に、ミアがふわりと舞い降りた。

「簡単じゃなかったわ。でも、あなたはやったの。」

ポチャは空を見上げた。青くて広い空。その中に、ミアの羽が美しく輝いていた。

「……なあ、お前、どこに行くんだ?」

ミアは、くすっと笑った。

「私はずっと、あなたの中にいるわ。だから、また迷ったら、私の声を聞いて。」

ポチャが瞬きをした瞬間——ミアの姿は、風のように消えていた。

けれど、その声は、確かに心の奥に残っていた。

——「間違いを知ることは、進むことよ。」

■ 実践  個人の選択かどうかの選別

私なら、ポチャになんて言う?

1)「ポチャ、努力することは素晴らしいけど、努力の方向を間違えたら、ただの消耗よ。」

2)そして、優しく 「もしこの井戸に本当に水があるなら、少しは湿っているはず。でも、見てごらん? 乾いているでしょう? それは、もうここに水がないってことよ。」

3)「じゃあ、試しにあの池まで一緒に行ってみない? そこにも水があるか、確かめてみようよ。」

ポイント:変化を怖がる人には、「今すぐ諦めろ」じゃなくて、「他の可能性を試してみない?」って言うのが大事。そうすれば、自分自身が気づくチャンスを持てるから。

4)自分が水を持ってきて目の前で飲むわ。「ほら、おいしいわよ」ってね。

■ まとめ 

盲点(例:努力の方向を誤ると、ただの消耗になること)に気付かせる方法

  • 証拠を示し、気づかせる。
  • すぐに諦めさせず、他の可能性を提案する。
  • それでも動かないなら、実際に証明して見せる。
  • それでもだめなら、最後は、ポチャ自身の選択に委ねる(=あきらめる)。
  • カエルのポチャと水のない井戸

     カエルのポチャと水のない井戸  

    むかしむかし、とある森の中に、一匹のバカなカエルがいました。名前はポチャ。ポチャはとても真面目で、誰よりも勤勉でした。しかし、ちょっと騙されやすい素直な性格でした。  

    ある日、ポチャは、近所で評判の賢いカエルおばあに会いました。おばあは古い井戸を指さして、

    「ここに住めば、毎日おいしい水が飲めるぞ!」  

    と言いました。

    ポチャは、そうかと思い、井戸のそばに住みつくことにしました。しかし、井戸を覗いてみると、水の音がしませんでした。  

    「変だな? でも、井戸なんだから水があるに決まってるんだけど!」  

    ポチャはそう信じて、さびた桶をロープで結び、井戸の中へと下ろしました。そして、しばらく待ってから引き上げてみると……桶は空っぽ。  

    「おかしいな。たぶん、もっと深く下ろさなきゃ!」  

    ポチャはまた桶を下ろし、今度は長い時間待ってみました。でも、引き上げた桶には、やはり何も入っていません。  

    「これはきっと、運が悪いだけだ!」  

    ポチャは諦めず、朝も昼も夜も、ひたすら桶を下ろしては引き上げ続けました。疲れても、手が痛くなっても、「いつか必ず水が汲めるはずだ!」と信じてやめませんでした。  

    やがて、森の動物たちは心配し始めました。  

    リス:「ポチャ、その井戸にはもう何年も水がないんだよ。」  

    熊:「他の池へ行けば、すぐにおいしい水が飲めるよ。」  

    でも、ポチャは首を振りました。  

    「みんなは何も分かってない! カエルおばあはそういったんだ!」  

    動物たちは何も言えず、ただ静かに去っていきました。  

    そしてある日、ポチャはとうとう力尽き、井戸のそばでぺたりと座り込みました。喉はカラカラ、お腹はペコペコ。でも、まだ井戸を見つめています。  

    「もうすぐ……もうすぐ、きっと水が汲めるはず……」  

    そのまま、ポチャは動かなくなりました。  

    次の日、森に雨が降りました。長い長い日照りの後の、恵みの雨でした。すべての池や川はたっぷりの水で満たされ、動物たちは喜んで水を飲みました。  

    でも、水のない井戸のそばには、誰もいませんでした。

    カエルのおばあは、まぁ!あれは冗談のつもりだったのに… 

                                 おしまい  


    教訓:「努力」と「思い込み」は違うのだと、誰かが気づけたなら、それは幸運なことだ。

    ■ ワーク

    ・自分がリスや熊ならどうポチャに言葉をかけるか?

    ・おばあのことをどう思うか?

    ・なぜおばあはそんなことを言ったと思うか?

    鎖の中の尚太…無力感と支配が繰り返す家族のループ

    幼い頃から、尚人(なおと)は家族の平和を守ることが自分の役割だと信じていた。

    母は短気で、仕事のストレスを家に持ち帰ることが多かった。尚人はいつもその顔色を伺いながら、できるだけ穏便に日々を過ごそうとしていた。尚人には兄弟がいて、二人はまだ小さく、家の空気を読める年齢ではなかった。

    だから尚人は、家のバランスを取るのは自分しかいないと思っていた。

    母の機嫌が悪くなりそうなときは、すぐに冗談を言って場を和ませた。母が疲れた顔をしているときは、自分が率先して家の手伝いをした。妹が泣いたら、急いであやして静かにさせた。宿題が終わっていなくても、友達との約束があっても、家の平和を守ることを優先した。

    だが、どれだけ努力しても、母のストレスによる不機嫌は止むことはなかった。

    ある日、母が帰宅し、母が些細なことで怒鳴り始めた。

    「なんでリビングのモノの配置が昨日とおなじなの!掃除していないでしょう!!」

    尚人は慌てて謝り、母の機嫌を取ろうとした。

    「分かったよ、掃除しておくね」

    明るく振る舞う尚人に、一瞬だけ母は目を向けたが、すぐに「分かればいい」と一蹴した。

    そのとき、尚人ははじめて気づいた。

    リビングのモノの配置が同じだから掃除していないって?よその家は専業主婦がいるけど、それでもリビングのモノの配置は昨日と同じだよ?

    自分がどれだけ頑張っても、家の問題は何も変わらないのだと。

    母はどれだけ尚人が誠心誠意尽くしても、もっと要求するだけなのだと。

    その夜、布団に潜りながら尚人は静かに涙をこぼした。

    努力しても報われないのなら、いったいどうすればいいのだろう。母の機嫌を取るために動き続けることに、もう意味はあるのだろうか。

    翌朝、いつものように朝食の席に着いた尚人は、いつものように家族の朝食を用意していた。

    しかし、冗談も言わず、場を和ませることもせず、ただ黙って自分の食事を取る。周囲のご機嫌取りを辞め、そして、内心、絶対に自分の平和を守ることを誓ったのだった。

    母は相変わらず不機嫌そうだった。弟は気まずそうに俯き、妹は状況がよく分からずキョロキョロしていた。

    しかし、尚人の心の中には、小さな変化があった。

    「これは、自分のせいじゃないんだ。」

    家族の問題を解決できなかったとしても、それは尚人の責任ではない。彼はやっと、その事実に気づき始めていた。

    「この家は、ママの家でしょ。僕の家じゃない」そう心の中でつぶやく尚人だった。

    ■ 関連するビリーフ

    「報われない努力を強いられること」に強い嫌悪感を持つ背景には、

    • 努力を強制されたが報われなかった経験
    • 家族のために尽くしても状況が変わらなかった経験
    • 理不尽なルールのもとで努力しても認められなかった経験
    • 助けても相手が変わらないという徒労感を味わった経験
    • 「できないこと」を責められ、他人の「できなさ」を許せなくなった経験

    ■ 改善

    努力が適切に報われる環境でなければ、無理を続けても消耗するだけ。

    ■ アフォリズム

    「報われぬ努力を続けることは、水のない井戸に桶を下ろし続けるようなものだ。」

    ■ 尚人の母の潜在意識

    母の現実は、「家族が自分を癒すべきであり、自分が変わる必要はない」という前提から作られたもの。そのため、尚人がどれだけ頑張っても、母の問題は解決しないし、努力は報われない。これは、母自身が抱える「支配しなければ不安」という根本的な問題を、家庭という場で解決しようとした結果生まれた現実なのです。

    尚人の母は、幼少期に「自己の感情を健全に表現することが許されなかった子ども」だったと考えられます。

    可能性のある幼児期の環境と経験

    1. 感情を抑圧される環境

      • 親から「泣くな」「弱音を吐くな」「男なんだからしっかりしろ」と言われて育った。
      • 怒りや悲しみを表現すると叱られたり、嘲笑されたりしたため、感情を適切に処理できなかった。
    2. 愛情が条件付きだった

      • 「親の期待に応えれば愛されるが、そうでなければ無視される・怒られる」環境で育った。
      • 成績が良い、強く振る舞うなどの「親が望む姿」を演じることでしか認められなかった。
    3. 恐怖支配の家庭

      • 家庭内に暴力的・威圧的な親がいて、幼い頃から「力がある者が支配する」というルールを学んだ。
      • 自分が親に支配される側だったため、大人になったら「支配する側」にならないと生きられないと無意識に考えた。
    4. 無力感の植え付け

      • 自分の意見を言っても否定される、何をしても評価されない経験を重ねた。
      • その結果、「どうせ努力しても意味がない」「でも無力を認めるのは怖い」という矛盾を抱えた。
    5. 自己認識のゆがみ

      • 本当は弱さを抱えているが、それを見せることが「敗北」だと感じる。
      • だからこそ、大人になった今、家庭の中で威圧的に振る舞い、「支配する側」に回ることで自己を保とうとする。

    幼児期からのつながり

    尚人の母は、幼少期に「自分の感情を素直に表現できず、支配される側の無力感を味わった子ども」だった。
    その無力感を打ち消すために、大人になってからは「支配する側」になり、家族をコントロールしようとする。

    つまり、母の行動は、幼い頃に満たされなかった「自己肯定感」と「安心感」を、大人になって家庭内で無理やり補おうとする歪んだ試みなのです。

    ■ 世代間ループ

    世代間で繰り返されるループの構造

    ① 幼少期:父の過去(被支配の立場)

    • 親から感情表現を抑圧され、「強くあるべき」「弱さを見せるな」と育てられる。
    • 「親の期待に応えないと愛されない」という条件付きの愛情を受ける。
    • 親が支配的で、恐怖によって家族をコントロールする環境だった。
    • 自分の努力が報われない経験を重ね、「どうせ何をしても無駄」という無力感を抱える。
    • しかし、支配する側(親)を見て「強くならなければ生き残れない」と学ぶ。

    ② 大人になり、父親になる(支配する立場へ移行)

    • 自分がかつてされていたように、家庭を支配する側に回る。
    • 感情を適切に処理する方法を学ばなかったため、怒りや威圧で家族をコントロールする。
    • 自分が親にされたことを「これが正しい教育だ」と無意識に再現する。
    • 子ども(尚人)が努力しても認めず、変化を拒む。
    • その結果、尚人の努力は報われず、父のもとで「無力感」を学ぶことになる。

    ③ 子ども(尚人)が成長し、新たな親になる

    • 幼少期に「努力しても報われない」「親の機嫌を取らないと生きられない」と学ぶ。
    • その影響で、「自分が努力しても意味がないのではないか」「人の期待に応えなければならない」という価値観を持つ。
    • 大人になり、無意識のうちに「支配する側」になるか、「過剰適応」して他者に尽くし続ける立場に回る。
    • その結果、自分の子どもにも同じような「報われない努力」や「感情抑圧」を強いる可能性がある。

    ④ ループが続く

    • 「努力が報われない」「支配するか、されるかしかない」「感情を抑えなければならない」という価値観が、親から子へと連鎖する。
    • 無力感と支配のパターンが世代間で繰り返される。

    ループを断ち切るには?

    • 「報われない努力はしない」と決める(努力が適切に評価される環境を選ぶ)。
    • 「支配しない、されない関係性」を築く(対等な関係性を学ぶ)。
    • 「感情を素直に表現してもよい環境」を作る(自分も他者も大切にする)。
    • 「無力感を手放す」(自分の選択肢と可能性を信じる)。

    このループは無意識のうちに続くものですが、**「もう自分の世代で終わりにする」**と決めることで、次の世代には違う未来を渡せる可能性があります。

    2025年2月6日木曜日

    マディの解説

    本文はこちら。https://storytelliingschema.blogspot.com/2025/02/blog-post_3.html

    ■解説

    この物語には、家族関係の複雑さと、それが個人に与える心理的影響が詳細に描かれています。以下、心理学的な視点から解析を行います。


    1. 感覚過敏と安心の場の制限

    冒頭で描かれる「よその家の匂い」「食器の味」「車酔い」などのエピソードは、感覚過敏や高い感受性を示唆しています。こうした特徴は、環境の変化に対するストレス耐性が低い可能性を暗示しています。また、「家の中以外安心な場所がない子どもだった」という描写は、環境や関係性の不安定さが、幼少期のマディの基本的な心理状態に影響を与えていたと考えられます。


    2. 家出の夜のトラウマ

    母親の突然の行動(夜中に起こされて知らない家に連れて行かれる)は、子どもにとっては深刻な不安と混乱を引き起こします。このエピソードは、**「予測不能な親の行動」**が子どもに与える影響の典型例と言えます。
    マディの「大泣き」という行動は、彼女が安全基地を奪われたと感じたことを示しており、これが後年の家族関係や信頼感の欠如に繋がった可能性があります。


    3. 幼少期からの過剰な責任感

    マディは「親の負担ではなくなること」を目標にし、18歳で家を出て独立しています。こうした責任感の強さは、幼少期から過剰に期待されていた役割(家族の世話や母親のサポート)によるものと考えられます。これを心理学的には「親役割を担わされた子ども(parentification)」と呼びます。これにより、子どもらしい自由や依存の感覚が十分に育たず、大人になっても罪悪感や負担感に苦しむことがあります。


    4. 家族内の役割と不平等

    マディと妹の生活の対比は、家族内の役割の偏りを象徴しています。マディは「自立的で責任を担う存在」として見られ、一方で妹は「守られるべき存在」として扱われています。この非対称性は、**「兄弟間の役割差と競争」**に関する心理的な問題を浮き彫りにしています。

    • 妹との溝:妹からの「ママを捨てた」という言葉は、マディにとって深い傷となっています。この言葉は妹の不満や嫉妬を反映していますが、一方でマディには自分の選択に対する罪悪感を強化させる結果を招いています。
    • 母親との関係:母親はマディに経済的な援助を求めたり、実家の役割を担うよう期待していますが、マディはそれを拒否しています。この対立は、母親がマディの自立を「愛情の欠如」として誤解している可能性を示唆します。

    5. 家族の死と喪失の影響

    弟の死とその後の妹の自殺未遂は、家族が抱える未解決の心理的問題が、深刻な形で表面化した例と言えます。

    • 弟の死:マディは弟と8年間会わなかったことで、弟との関係に未完の感覚を抱えています。この「未完の関係」は、喪失体験において強い後悔や自己責任感を伴うことが多いです。
    • 妹の自殺未遂:妹を引き取った際、マディは「無条件の愛」を与えるべきだと考えています。この行動は、自分自身が満たされなかった愛情を妹に与えようとする補償行為と見ることができます。

    6. 経済的独立と自己犠牲

    マディは自立のために過酷な努力を重ねており、それが彼女の人生の大きなテーマとなっています。しかし、「母親からの借金の督促」や「家族の期待」により、自立が完全に達成されないというフラストレーションを抱えています。

    • 罪悪感のジレンマ:経済的援助をしないことで「親を捨てた」と感じつつも、自分の人生を守るために距離を置く選択をしています。この矛盾した感情が、長期間にわたる心理的負担となっています。

    7. 解決への道筋

    最後に、マディが家族の問題を「考えるのを辞めた」というのは、防衛機制の一種である「抑圧」と解釈できます。しかし、根本的な問題が解決されていないため、心の中では未解決のままの傷が残っています。


    心理学的アプローチの提案

    このような状況に対して、以下のアプローチが有効と思われます:

    1. トラウマの再処理:EMDRやセラピーを通じて、幼少期の不安や母親との関係に伴うトラウマを解消する。
    2. 罪悪感の再評価:罪悪感の根本原因を探り、自分の行動がどれだけ正当化できるかを専門家と話し合う。
    3. 家族との境界線の設定:心理療法を通じて、家族との健全な距離感を築き、依存的な関係を避ける。
    4. 自己価値の再構築:マディが自分の努力と成功を肯定し、自分の人生に満足を見出すための支援を行う。

    この物語は、家族関係の重荷を背負った一人の女性の生き方が描かれており、成長と解放を求める心理的な旅がテーマとなっています。

    バニーの解説

    物語本文

    https://storytelliingschema.blogspot.com/2022/10/blog-post_7.html 

    この物語は、心理学的に多くのテーマを含んでおり、特に「条件付きの愛」、「自己価値の探索」、「本来の自己の回復」という側面が目立ちます。以下に詳しく解析します:


    1. 条件付きの愛と親の期待

    ママバニーの振る舞いから、彼女が「じっとして本を読んでいる子」を好む理由が明示されています。ママバニーの「まぁ、大変!」や「バカみたい」といった言葉は、バニーの行動を否定し、親が望む子ども像に沿わせるためのコントロール的な態度を示唆します。このような親の期待は「条件付きの愛」の典型例です。つまり、「○○であれば愛される」「○○でなければ認められない」という感覚を子どもに与える要因です。

    バニーは「本を読んでいるとママが幸せ」という結論を得て、自分の本来の欲求(草原で跳ね回ったり踊ったり)を抑えています。これは、子どもが自己のニーズを後回しにし、親の愛情を得るために自己を抑圧するプロセスを描いています。


    2. 自己価値と他者評価のギャップ

    物語の中盤で、バニーがさまざまな分野で成果を上げる場面があります。しかし、どんなに称賛されても、バニー自身は「嬉しくない」と感じています。この「嬉しくない」という感覚は、自己価値を外的な評価(他者の称賛や成果)に依存しているときに起こりがちな心理です。

    この状況は「内発的動機づけ(自分が本当にやりたいからやる)」ではなく、「外発的動機づけ(他人に認められるためにやる)」によって動いているために起こる心理的な空虚感を象徴しています。


    3. 自己の回復と自由の発見

    後半で、バニーが自分の本来の欲求に従い行動を始める場面(草原で跳ねる、歌う、泳ぐ、踊る)が描かれています。この段階で、バニーは「何も起こらない」ことに気づきます。この気づきは、過去に感じていた「親の期待を満たさなければ何か悪いことが起こる」という無意識的な恐れが、実際には現実に基づいていないことを認識する重要な瞬間です。

    自分が「うさぎなのだから跳ねるのは当然」と理解し、行動することで、バニーは自己の本質に立ち返ります。このプロセスは「自己実現」や「条件付きの愛からの解放」を象徴しており、人が自己を取り戻す際の心理的変化を見事に描いています。


    4. アイデンティティの確立

    最終的に、バニーは「バニーはバニー」という結論に至ります。このシンプルな結論は、「自分は存在そのもので十分である」というアイデンティティの確立を示唆しています。これは、カール・ロジャースの「無条件の肯定的関心」に関連し、「自分がありのままで愛される存在である」という感覚を取り戻すことを意味します。


    5. 挿絵と母親の後ろ姿

    物語の中で頻繁に挿入される「ママバニーの後ろ姿」は、親の「見えない愛」や、子どもに背を向けた状態を象徴しているようにも感じられます。これは親が自身の期待を優先するあまり、子どもの本当の気持ちに目を向けられていないことを暗示しているようです。


    結論

    この物語は、親の期待による自己抑圧と、それを乗り越えて本来の自分を取り戻すプロセスを優しく、かつ深く描いています。心理的なメッセージとしては次のような問いが浮かび上がります:

    • あなたの行動は誰のためのものですか?
    • あなたが本当に望むことは何ですか?
    • あなたの存在そのものに価値があることを信じていますか?

    バニーが本を閉じ、自分の足で跳ね回るようになった瞬間は、「自由」と「本来の自己」の象徴であり、読む人に深い気づきを与える作品となっています。

    2025年2月3日月曜日

    【自己理解】佳織を選んだ3人の子供たちと猫のマイケル

     これは天国でのことじゃ。

    雲の上から神様が地上を見ていると、

    「寂しいよう、寂しいよう」と言って泣いているきれいな女の人が見えた。

    そこで、神様は、その女の人のところに、子供を送ってやることにした。そこで、天使たちに募集をかけた。

    「寂しいと言っているきれいな女の人のところに生まれる子募集」

    すると、そこに、玲奈、葵、美玖の3人が集まった。

    神様:「いいのか、お前ら。この家はけっこうタフだぞ。まず、父親は数年でいなくなる設定だ。物質的にもこの時代の基準にしては最低限すれすれのところだ。しかも、母親は結構手ごわいぞ」

    玲奈:「私、前の回で、けっこうのんびりしたから、今回はスリルがあるほうがいいかも?」

    葵:「僕は、この人の気づきのカルマを背負うことにしようかな」

    美玖: 「え?じゃあ、私が今度は駄々っ子役? 上手くやれるかなぁ…」

    神様: 「はいはい、じゃ三人でジャンケンして…。生まれる順番を決めてください」

    みんな:「はーい」。

    ということで、玲奈、葵、美玖は、母親の佳織の元に生まれることになった。

    生まれてからは、すっかり、天国で、このゲームを選んだことをすっかり忘れて、みんなゲームに夢中になって、「寂しがりっこの佳織を救え!」ゲームを楽しんだ。

    しかし、結局、佳織は、子供たちを選ばず、猫のマイケルと晩年を過ごすことにした。つまり、佳織の負けだ。いや、佳織の勝ちなのか?

    その後、天国で、玲奈、葵、美玖の三人は神様に報告することになった。

    神様: 「どうじゃったか?楽しめたか?」

    玲奈:「いや神様、佳織さんの強情っぷりったらありゃしない。アレは、さしもの私でも無理でした」

    葵:「僕なんて、24歳で死ぬ役だったんだよ?もっと遊びたかったなぁ」

    美玖:「私も自殺未遂する役だったし!玲奈だけ、いい役取ってずるいよ」

    神様:「まぁまぁ。それぞれ、十分楽しんだってことかな」

    みんな:「はあ~い」


    ところで、神様は、佳織にも「個人面談」をした。

    神様:「佳織、どうだね、今回の主演についての感想は?」

    佳織:「いやですわ、神様。そんなことを私に聞くなんて。分かっていらっしゃるでしょう?」

    神様:「うむ。なかなか迫真に迫る演技じゃったよ」

    佳織:「そう言っていただけて光栄です。それで報酬は?」

    神様:「そうだの…。玲奈にはお前の演技でだいぶ前進したようだったから、100万切符。葵は、お前、切符をもらう気かね?逆に払ったほうがいいんじゃないかい?まぁ、今回は見逃すとして。美玖の分は、50万切符程度じゃの。玲奈に力掛け過ぎて、あとで手抜きしよったからの」

    佳織:「あ、やっぱりバレてました?」

    神様:「そりゃそうじゃろ。ワシにはぐるっと全部お見通しじゃよ」

    佳織:「150万切符かぁ…もうちょっと何とかなりません?あと50万切符あれば、ステージ上がれるんですぅ」

    神様:「だめじゃよ。葵の分でだいぶオマケしているからの」

    というわけで、佳織はステージアップは失敗した。けれど迫真に迫る演技で、神様に褒められましたとさ。

    オマケ。

    神様:「マイケル、お前はよくやったの」

    マイケル:「いや、もう佳織さんのめんどくさいの、なんのって!あれは人間じゃ務まりませんよ」

    神様:「そうじゃの。お前はよくやったんで、ステージアップボーナスをやろうかの」

    マイケル:「うわ!やった~!じゃ、次回は人間の役をもらえるってわけですか?でも神様、なんで佳織さんはいつも人間役なんです?正直あれなら、ウサギとかカワウソに生まれたほうが幸せなんでは…」

    神様:「いやね、佳織はホッキョクグマをもうやったからね。ハリネズミで失敗したからの、ちょうどいい距離ってのが課題なのさ」

    おしまい。

    ■ ChatGPTによる要約

    • 自己決定と責任: 登場人物たちは、困難な役割を「自分で選んだ」と語っています。これは、自分の人生の課題を主体的に受け入れる態度を反映しています。
    • 失敗の再定義: 佳織の「ステージアップ失敗」や玲奈たちの「役割」への愚痴も含め、失敗や未達成をユーモアとともに描き、成長の一環として捉えています。
    • 人間関係の距離感: 「ハリネズミで失敗した」という一文は、人間関係の距離感の調整が課題であることを暗示しており、これは心理学的には「ハリネズミのジレンマ」として知られるテーマです。

    まとめ

    この物語は、人生の困難や人間関係の課題を「成長」や「学び」の一環として捉え、俯瞰的に見る視点を提供しています。ユーモアを交えた軽やかな表現で、自己受容や他者理解、そして人生の意味に対する深いメッセージを伝えています。


    【アダプティッドチャイルド】颯太はティーチャーズペット

    ぼくの戦略  

    小学5年生の颯太(そうた)は、クラスで「優等生」として知られていた。先生からの信頼も厚く、どの授業でもきちんと手を挙げて発表するし、先生に頼まれた仕事はいつも率先して引き受ける。  

    でも、颯太の優等生っぷりには、実はいろいろな理由があった。  

    颯太は、HSPで、実は学校が好きではなかった。むしろ、毎朝家を出るときに胃がキリキリ痛むほどだった。1年生の時の女性の先生は、ルールに厳しく、爪が少しでも長いと爪切りを無理強いした。颯太の指には血がにじんだ。冬のセーターは着せてもらえなかった。そして、通学の途中の犬には追いかけられた。

    そして、クラスにはスクールカーストがあって、内向的な颯太には、居場所がなかった。颯太はいつも絵を描いたり、本を読んだりして過ごしていた。

    だけど、颯太にはある「戦略」があった。

    それは、「先生の味方になる」ことだ。  

    先生の信頼を得て、クラスで「役に立つ子」としてのポジションを確保すれば、誰も自分には手を出しにくくなるだろう。

    実際、先生が颯太を褒めた後は、誰もそれ以上何も言ってこない。だから颯太は、どんな日でも、朝は早く出て、教室の窓を開け、黒板をきれいにはたき、職員室に出かけて、「先生、今日は何か朝礼で連絡することはありますか?」と先生に朝の挨拶をするようにしていた。  

    ある日、颯太は算数の係に立候補した。すると、その様子を見ていた沙織が、ぼそっとつぶやいた。  

    「算数を得意になる作戦?」  

    颯太は、そうそう!と思った。以心伝心で、腹心の友ができたような気がした。沙織、なんでわかったの?と思い、驚いて言葉が出ない。沙織の顔を見ると、特に意地悪な表情ではなかった。ここに友達がいたのか。  

    「…そう。」颯太は、やっと小さな声で答えた。ちょっと恥ずかしがりながら、

    「係りをやると、教える側になれるから。」  

    沙織は少し首をかしげた後、「ふーん」とだけ言った。

    沙織は、颯太より少し成績がいい。沙織の父親は、公認会計士だった。母親は専業主婦で、沙織はいつも楽しそうに塾に通っていた。颯太は、そんな沙織がちょっとうらやましかった。

    その日の夜、颯太は布団の中で考えた。自分は本当に「勉強したい」と思っているのだろうか?

    それとも、ただ居場所が作りたくて、先生のお気に入りをやっているのか? 

    まぁ、どっちでもいいさ… 俺、今、子供なんだし、成績なんて、悪いよりいいほうがいいに決まってるだろ。 

    次の日、算数のクラスで、颯太は、いつものように手を挙げ、先生の話を熱心に聞いていた。

    すると、先生が、ふと思いついたように

    「颯太、沙織、二人で、この黒板に半分づつ解を書いてごらん」

    と言った。

    沙織と颯太、二人で、板書する。そして、それぞれがプレゼンテーションすることになった。沙織の解は短く、颯太の解は、黒板が足りないほど長かった。

    「どうだい、みんな。人それぞれ、考え方っていうのは違うんだよ。でも、どっちも同じ正解にたどり着くだろ?」

    先生は沙織と颯太の二人に、「よくできました」と言って、うれしそうな目をしていた。

    なんだか、颯太は、誰かの役に立っているんだ、という気がした。沙織には、やっぱりちょっと負けているみたいなんだけど。

    そして、颯太の「戦略」はまだ続いている。

    何かを得意になりたかったら、「助ける側」に立つこと。

    でも、心の中では、少しずつ自分自身で立つための「次の戦略」を考え始めているのかもしれない。

    「先生のお気に入り」にならなくても、誰かの役に立つ、方法を。

    ■ ChatGPTによる解析結果

    心理学的解析(要約)

    1. HSPの特性
      颯太は敏感な性格ゆえに学校生活で強いストレスを感じており、それが「防衛的戦略」を生み出している。

    2. 「ティーチャーズペット」と防衛機制
      先生の信頼を得ることで、安全と承認を確保しようとしている行動は、補償行為の一例。

    3. 居場所の必要性
      スクールカーストで孤立しがちな颯太は、「役割」を通じて承認欲求を満たしている。

    4. 自己認識のきっかけ
      沙織とのやりとりが、颯太に自分の動機について考えさせ、自己認識を促している。

    5. 内発的動機への移行
      最初は外発的動機で行動していたが、次第に内発的動機(自己成長や役立ちたい思い)に変化している。

    6. 成長のきっかけ
      先生の課題が、社会的比較を通じて自己効力感と異なる強みへの気づきを促している。

    7. 次の戦略と自己実現
      外的承認に頼らず、自分の価値を見つけようとする姿勢が、自己実現への成長を示している。


    この物語は、敏感な子どもが承認欲求と自己成長の間で模索し、自己実現へと進む過程を描いています。

    ママの家出とマディのその後

     12人目)ママの家出 


    2022年5月6日


    マディは、よその家の匂いに耐えられない。よその家の食器も、変な匂いがしたし、化学的な味がするというので、加工食品も苦手だった。雨が降るより前に、頭は痛くなるし、車に乗ると、5分で酔ってしまう。家の中以外、安心な場所がない子どもだった。


    そんなマディがある日の夜、夜中にママに起こされた。「着替えて、マディ」


    どこへ行くのかな…また、ドライブかな…と、マディはしぶしぶ服を着た。そのあと、車に乗ったら、寝てしまって、気がついたら、知らない人の家にいた。


    別の部屋で、ママが誰かと話し合っている様子が、半開きのふすま越しに見えた。とても難しい問題を話し合っているみたいだ。髪の長い女の人がママと話し合っていた。


    「あ、子どもが起きてる」


    マディが起きていることを見つけた女の人は、しぃーという感じにママに目配せをした。


    マディは、起きたとたんに、大泣きに、泣き始めた。知らない人の家にいたからだ。


    そのあと、ママはマディを何とか泣き止ませようとしたが、無駄だった。マディのほうでも、なんでそんなに泣いているのか、分からない、という感じだった。


    髪の長い女の人が、だから言った通りでしょ、という感じで、ママに帰るように促した。そして、ママはしぶしぶ荷物をまとめて車に乗った。


    マディは車の中で高速道路のオレンジ色の光を見ていた。次に気が付いたときは、もう朝だった。


    そのあと、ずいぶん長い年月がたって、マディは、あの夜は何だったんだろう…と考える。


    ずいぶん後になって、あれは、お母さんの家出だったのではないかと推測するに至った。


    しかし、そうなると、母は一度、マディだけを連れて、他の兄弟を捨てたということになる。


    そのことはマディは自分の胸に仕舞っておき、長い間、誰にも話していない。どうしてママは、あの日、家を出たのか、今となっては知りようもない。それに、そのあと、子どもたちを愛さなかったということでもないだろう。


    あの夜、マディが泣かなければ、もしかして、ママはそのまま、家出していたのだろうか?

    そんなのいやだ、とマディは思う。


    マディは、早く大きくなろうと思った。早く大きくなって、親の負担ではなくなること。これが、初期のマディの人生の目標だった。


    それで、実際、18歳で家を出た。できるだけ早く、経済的自立を果たすことが、マディが心に決めた親孝行だった。


    ママは、マディが働いて弟や妹の進学や生活を助けることを期待していたようだったけれど、マディには、それはいやだった。


    長い間、マディは、経済的な仕送りをしないことで、親を捨てたという思いに苦しめられた。妹には、なんでお姉ちゃんは人に甘えないの、となじられた。その上、ママを捨てた、と言われた。


    でも、マディができるベストは、高校時代、朝6時から学校に出るまでの間、働いて、自分の受験費用を捻出し、自分の昼ご飯代を出すということだった。受験勉強は家に帰るとできないので、夜12時くらいまで友達の家にいてやっていた。家に帰るのは、皆が寝静まってからだ。


    マディは、自分で大学を選んで奨学金を申請し、自分の受験費用を自分で出し、大学進学の費用を出し、一人で受験し、受験したその日にバイトを決め、自分で学生寮を見つけてきて、そこへ引っ越した。マディの人生のスタートは、段ボール3個でしかなかった。


    妹は、私学の高校へ通って、友達の誕生日プレゼント代が3000円ではなく、1000円しか与えられないことが不満だという学生時代を送った。マディは、自分で自分の受験費用を出しているような年齢のときにだ。マディが妹の年齢の時には、家族全員の食事を作る役目だった。妹がその役をしたことは、少なくともマディが家にいるときには一度もなかった。マディは、妹の手料理を食べたことがない。


    そんな調子だったので、結局のところ、何を普通と考えるか?という基準が、かけ離れすぎていて、マディは妹とは分かり合えない、と思っていた。


    それにママにもだ。マディがどうしてもわからないことは、なぜ、マディが実家の生活を見るのが、当然のことだ、と母が考えるのか?ってことだった。


    母親はマディの自立を喜ばず、マディの学生寮まで追いかけてきた。


    結局、考えても分からないので、マディは考えるのを辞めた。


    しかし、進学した後も、マディの学生寮には、母が借りた分のサラ金の督促が来る。マディは、電話自体を避けるようになった。都合が悪いことに学生寮だと館内アナウンスで呼び出されてしまう。


    呼び出し電話は、大抵は、見知らぬ男からの督促の電話で、「お母さんがどうなってもいいのですね」と脅される。実家の経済状況がさらに悪化しているのだろうということが、推測できた。そうした電話は、必ず忘れたころにかかってきて、実家を助けろ、という声なき声になった。


    が、一方では、このような街金につかまっては、骨の髄まで搾り取られるだけなのではないかと思えた。そうでなくても、マディの収入は、世間の一般より低く、自分一人で精いっぱいなのに。その頃、マディと同年齢の人たちは、まだ親のすねをかじっているころだった。


    そうこうしている間に、マディは海外へ行くことになったので、住所を変更することができた。帰国したら、誰も督促の電話を掛けることができないはずだった。それでマディの心はだいぶ穏やかになった。その後、就職してマディは長屋の暮らしを辞め、普通のアパートで暮せるようになった。


    その頃、突然、弟の訃報が入った。突然死だということだった。マディは、18歳で家を出てから、8年間、弟に会っていなかった。マディは夜学に進んだため、5年も大学を出るのにかかったし、その上、2年海外で働いていたので、トータルでは7年だった。だから、まだ勤めだして1年で、やっとこれから、少し生活が楽になるというところだった。


    遺体になった弟は、マディが覚えている16歳の少年の姿ではなく、24歳の大柄な男性だった。飲んで帰って横になり、そのまま朝には冷たくなっていたそうだった。ただ朝を迎えるだけで本当に命とはありがたいものなのだ、とマディは思った。弟には、3人も彼女がおり、弟が残した靴の数は、150足だった。母は300人の盛大なお葬式を行った。


    そのあと、妹が自殺未遂した。半狂乱になった母親から電話があった。それで、マディが妹を引き取ることになった。まだ、マディが、新しいアパートに引っ越してすぐのころだったから、妹は、マディの長屋での貧しい暮らしを見ていない。


    妹はマディの会社用の靴を勝手に履いては、マディの足よりも大きくして足に合わなくしてしまうし、マディの服を勝手に着るし、家の中にいて、そのまま何もしないで生活しても、マディに悪いとは思わないようだった。マディのほうでも、自殺未遂だということだったので、そっとしておき、当然、何も言わなかった。妹が必要なのは無条件の愛だったからだ。マディは理解していた。しばらくして、妹がやっと出ていくということになり、マディは、お見舞い金を包んだ。


    それで、マディが妹を見た最後だった。弟を見た最後は、遺体だった。


    マディが妹からもらったのは、「お姉ちゃんはママを捨てた」という呪いの言葉だけだった。


    ーーーーーーーーーーーーーーーーー

    本の目的: 妹から掛けられた呪いの言葉を捨てるため


    幼児決断: 家に帰りたい

    出来たスキーマ: 血縁が何より大事

    健全な大人の考え:  家族であっても、助けるべきでないときもある

    メンタルブロック: 家族なら仕送りをするべき、愛する者からひどい仕打ちを受ける

    昇華: 人を助けるには自分が、まずは救われていなくてはならない


    解説はこちら https://storytelliingschema.blogspot.com/2025/02/blog-post_96.html

    【創作】【トラウマ】サラが皿洗いのトラウマを乗り越えたお話

    第1章:小さなキッチンのヒロイン

    小学5年生のサラは、夕方になると必ずエプロンを締めてキッチンに立っていた。彼女の母親である奈緒美は、3人の子を持つシングルマザーとして毎日忙しく働いていたが、時折、口にする言葉には、どこか棘があった。

    「サラ、あんたってホントにいい子ぶりっ子ね。だけど、実際、助かるわ。私ひとりじゃ絶対無理よ。いい子ぶりっこでも、ぶりっ子してくれてよかったわ。」  

    奈緒美の言葉には一見感謝が込められているように見えるが、サラにはその裏になんとなくしっくりこないものを感じることがあった。でも、まだ幼いサラには、よく分からなかった。

    サラは、料理を作ることが好きだった。理科の実験みたいで、へぇ~こうなるんだーと思う気持ちがあった。

    ただ、料理の腕を褒められると、なんとなく、母の都合を感じさせられた。妹や弟も「お姉ちゃんのご飯、美味しい!」と笑顔を見せる。

    だが、なぜか、食事の後に待っている皿洗いもサラの担当だった。

    夕食の後誰も皿を洗わないので、結局、翌日の夕食前に、サラが洗うことになる。

    下の二人の兄弟は皿洗いをするサラを少しも不思議に思わず、TVを見てのんきにくつろいで、「お姉ちゃん、お腹空いた」というのだった。

    何年か皿洗いと家事一式を続けたサラは、「私は家族のために生きているの?」という疑問を抱くようになった。

    水音とカチャカチャという食器の音が耳に響くたび、サラの中で嫌悪感が増していった。皿を洗うたびに、「自分がここにいる意味は、この皿をきれいにすることなの?」という思いが頭をよぎる。

    しかし、子供の生活は忙しく、深く物事を考える間もなく、次から次とやることがあった。

    サラは、合理的な現実主義者だった。学校でも優秀だったため役員を引き受けることが多く、学校でも家でも、リーダーシップをとらないといけない立場に立つことが多かった。子供ながらに15分刻みのスケジュールこなしていた。

    奈緒美は、帰宅すると大抵ぐったりと疲れている。そこで、サラは奈緒美にコーヒーを淹れるようになった。

    「サラが淹れてくれるコーヒーは本当においしいわ」

    奈緒美はそう言っていたが…それがどれくらい”本当”なのか、サラには測りかねる気がしていた。

    というのは、奈緒美はいつもカップを片手にこう言うのが常だった。  

    「人が淹れてくれたコーヒーって、ホントにおいしいわ!」  

    泡でぬるぬるする食器やカチャカチャと鳴る音。相変わらずテレビを見て手伝う気がない弟。まだ幼い妹。何か腑に落ちない感覚。

    サラは手を動かしながら心の中で小さな溜息をついた。「なんで私ばっかり…」と思う気持ちは次第に大きくなっていった。

    第2章:中学生になったサラ

    中学生になったサラは、ますます家事を任されるようになっていた。奈緒美は相変わらず忙しく、疲れた顔で帰宅すると、サラに当たり前のようにこう言った。

    「ちょっと、何。なんで玄関の靴がこんなにバラバラで散らかっているのよ!」  

    サラは、その言葉に不快感を覚えるが、靴を片付けるくらい、たいした労力でない、と思い、仕事で疲れた母と口論になるよりは片付けたほうが早い…と、実を取る作戦で、さっと靴を並べるようにした。

    しかし、ある時、奈緒美は、「ちょっと、何これ。なんでリビングの物の配置が昨日と同じなわけ?掃除していないでしょう!」と言い放った。

    これには、さすがのサラも呆れて物が言えなくなった。専業主婦がいる家庭だって、リビングの物の配置は、昨日と同じなのが普通だ、と中学生になったサラには、もう見当識ができていたからだ。

    サラは学校でも頼りにされ、欠席時に配布されたプリントなどを届けるようなこともをしていた。そうした中でよその家も観る機会が何回かあった。

    この母の言動を基にすると、母親の奈緒美は、これまで、サラが子供だったことをいいことに、いろいろと自分に都合の良いように物事を捻じ曲げていたんではないだろうか…?そんな疑いがサラの中に生まれた。

    「なによ、その顔」と奈緒美は言ったかと思うと、サラの顔にめがけて、持っていた茶碗を投げた。

    これには、さすがのサラも、茫然自失状態になった。

    え?今、何が起こったの?

    理解を超えた涙があふれた。

    奈緒美は打って変わって優しくなり、「ごめんなさい」と何度も謝り続けた…。肝心のサラは、何が起こったのか分からない。そのまま、ベッドに倒れこみ、伏せてしまった。

    2段ベッドの上の段に横たわりながら、サラは、一体自分に今何が起きているのだろう…と必死で現実にしがみつこうとした… サラの頬には黒いあざが着いていた。

    あした、学校、どうしたらいいのだろう…。こんな顔、人に見られたくない…。いつも人前に立つ立場なのに…。

    奈緒美は、シップを持ってきた。「ごめんなさい、これを貼って。本当にごめんなさい」

    サラは謝ってももう遅い!と思った。とにかく、どうやって明日を乗り切ったらいいのだろう…サラには見当もつかないのだった。


    ある日、サラが部活帰りで疲れているにも関わらず、奈緒美はこう言った。

    「ちょっと、サラ、いい加減にしなさいよ、今日はあんたが作ってくれる番でしょ? 」

    サラには、受験もあり、部活もあった。部活はキャプテンを務めており、サラが一番必要なのは勉強時間だった。サラは例によって口論するよりは、さっさと問題解決してしまえとばかりに、サクっと夕食を作ると、あとはみんなで食べてね、と言って、自室に引き上げた。宿題が残っていたのだ。

    ところが、母親の奈緒美は、猛烈な勢いで、子供部屋のドアを開けると、サラの教科書の上に、サラが立った今作ったばかりの夕食をぶちまけ、そして、サラの髪の毛をわしづかみにすると床を引きづりまわしたのだった…。

    結局、サラはこの時もあちこちにあざを作り、虐待、という二文字が、サラの脳裏に今回ばかりはかすんだ…。

    サラは8歳から料理している。サラが15歳になった今、妹は11歳、弟は13歳、とサラが家族のために家事をスタートし、料理を始めた年をとうに超えている。それでも、これまで、サラが作り続けてきたのは、そのことにサラ本人も含め、誰も気が付かなったからだった。

    この”事件”のあと、サラは、家族と過ごすこと自体を避け、家にいる時間を極力減らすようになった。

    第3章:大学生になったサラ

    大学で一人暮らしを始めたサラは、自由を満喫していた。実家のように誰かのために料理をする必要もなく、自分だけの時間があった。  

    しかし、ある日、自炊した後の皿を洗おうとした時、思わず手が止まった。

    「また、この感じ…」と、サラは吐息を漏らした。

    泡の感触、冷たい水、そして皿が擦れる音。その全てが子供の頃の記憶を呼び起こし、体が固まるようだった。  

    ヤダ、ヤダ、ヤダ…。ため息をつくサラ。

    使った皿は、そのままシンクに溜まり、見るたびに罪悪感が募る。けれど、それを洗う気力が湧かない。サラは自分に問いかけた。「…でも、なんでこんなに嫌なんだろう?」

    気力をふるいたてて皿を洗う。サラは、お菓子作りが大好きで、お菓子作りには、汚れ物が一杯でる。いつしか、サラは、『一つのボールで出来る焼き菓子』というレシピブックを愛用するようになった。

    第4章:皿洗いの呪縛を越える

    ある日、50代になったサラは、大勢の集まりで食事を作る機会があった。

    みんなで分担して料理を作り、午後いっぱい使ってお酒を飲みながら、食べた。

    そして、食後の皿洗いも自然と分担された。  

    男友達の一人がこう言った。「サラ、いつも料理作ってくれてありがとう!君作る人、僕洗う人ね!」  

    その言葉に、サラはハッとした。

    あまりにも、「自分が片付けも引き受けなければいけない」と思い込んでいたことに気づいた瞬間だった。  

    それまで、あまりにもみなが、サラが洗うのが当然だという態度だったのだ。

    夫も含めて。

    サラってそういう人でしょ、と顔にラベルでも張っているのではないのか?ってくらい当たり前に皆がサラの皿洗いを期待した。

    その夜以降、サラは宣言した。

    「私、実は皿洗いが大嫌いなの!」

    そして、食器洗い機を夫に要求した。

    エピローグ:サラの新しい選択

    月日が流れ、サラは、大きな食器洗い機を手放した。  

    サラは、食器マニアだった。

    いつしか、このお皿は、あの時のパーティの、この茶碗は九州に旅行に行ったときの皿で、これは川本太郎さんのお気に入りの粉引…と食器に楽しい思い出を見出すようになったのだ。

    これらは、休暇で旅行に行った先々で買い集めた大事なもの、だった。

    大事なものだから、手洗いでしっかりきれいにしたい、という思いが勝り、気が付けば、サラは、皿洗いをすることが苦痛ではなくなっていた。

    あるパーティで、「お料理作った人は、お皿を洗わなくていいルールなんだよ。」と誰かが言った。

    その言葉を聞いたサラは、作った人は洗ってもいいし、洗わないでのんびりしていてもいい、そんな風に思った。

    そして、そう思った自分に、改めて、気づき、驚いたのだった。  

    サラは思った。「皿洗いはもはや苦痛ではないし、役割を感じさせない」  

    それから、サラにとって皿洗いは、苦い記憶ではなく、自ら主体性を取り戻したという成功の象徴となっていった。

    サラは、ちょっと気分を切り替えたい、というときに皿を洗い、掃除をする。そんな家事を趣味家事、と呼ぶようになった。

    そして、旅先で、窯元に立ち寄ったりと、お皿好き、を自認するのだった。

    おしまい。

    ■ 要約

    第1章:小さなキッチンのヒロイン

    小学5年生のサラは、母・奈緒美の代わりに家事をこなしていた。料理が好きだったものの、家族の無関心や母の棘のある言葉にモヤモヤを抱えていた。皿洗いをするたび、「私の役割はこれだけ?」と疑問を感じていた。

    第2章:中学生になったサラ
    中学生になると家事の負担は増え、母の理不尽な言動や暴力に耐える日々が続いた。学校でも忙しく、サラは次第に自分の人生に疑問を抱くようになる。母の期待に応えることに限界を感じ、家にいる時間を減らして自分を守るようになった。

    第3章:大学生になったサラ
    一人暮らしを始めたサラは自由を楽しむが、皿洗いのたびに過去の記憶がよみがえり、苦しむ。皿洗いがただの家事以上に、トラウマの象徴となっていた。

    第4章:皿洗いの呪縛を越える
    大人になり、仲間と家事を分担する中で、サラは「自分が全部やらなければならない」という思い込みに気づく。夫に食器洗い機を導入させ、皿洗いの苦痛を解放。

    エピローグ:サラの新しい選択
    食器が楽しい思い出の象徴に変わり、手洗いを楽しむようになったサラは、「皿洗いは私の役割じゃない」と感じつつ、主体的に行うことができるようになった。皿洗いは苦い記憶ではなく、自由と成功の象徴へと変わったのだった。

    ■ 心理学的解説

    この物語を心理学的に分析する際、いくつかの重要なテーマや心理的要素が浮かび上がります。それぞれについて詳しく解説します。


    1. 家庭環境と役割の押しつけ

    物語の序盤では、サラが家族内で「世話役」の役割を押し付けられていることが強調されています。母親の奈緒美はサラを「いい子」として扱いながら、その「いい子」さを利用して家事を任せており、実質的にはサラが幼い頃から家庭の責任を負わされています。

    • 心理学的視点: これは親が子どもに自分の役割を転嫁する「親役割の逆転(Parentification)」の例と言えます。このような状況下で育つ子どもは、幼少期に責任感を過剰に育む一方、自分の感情やニーズを抑圧する傾向があります。結果として、自己犠牲的な性格や「人の役に立たなければ価値がない」と感じる自己概念が形成されることがあります。

    2. 母親の矛盾した態度と心理的虐待

    奈緒美の言葉や行動には、表面的な感謝とその裏に潜む批判が混在しています。また、中学生のサラに対する暴力的な行動(茶碗を投げつける、髪を引っ張る)は明らかに心理的・身体的虐待の兆候です。

    • 心理学的視点: 母親の態度には、「ダブルバインド(二重拘束)」の要素が見られます。例えば、サラに感謝の言葉をかけつつも、棘のある表現や攻撃的な行動を取ることで、サラはどのように振る舞えば良いのか分からなくなります。これによりサラは、常に自分の行動や存在が母親を満足させられていないという罪悪感や不安を抱えるようになります。

    3. 自分の役割への疑問とアイデンティティの形成

    物語の中盤、サラが「私は家族のために生きているの?」という疑問を抱く場面があります。これは彼女が自分のアイデンティティを模索し始める重要な瞬間です。

    • 心理学的視点: エリクソンの心理社会的発達理論では、サラが思春期に経験しているのは「アイデンティティ対役割混乱」の段階に相当します。サラは家族のための存在としての役割を押し付けられながらも、それが自分の本質ではないと気付き始め、自分の価値や存在意義を再定義しようとしています。

    4. トラウマの影響と回避行動

    大学生になったサラが皿洗いを避ける場面は、子どもの頃の体験が未処理のままトラウマとして残っていることを示唆しています。

    • 心理学的視点: トラウマ体験の典型的な特徴の一つに「フラッシュバック」があります。皿洗いの音や感触が過去の苦痛な記憶を呼び起こし、回避行動として皿洗いを放置するようになります。このような回避行動は、未解決のトラウマが現在の行動に影響を及ぼしているサインです。

    5. 癒しと主体性の取り戻し

    50代のサラが、自分の皿洗いに対する考えを再構築し、主体的に行動を選択する場面は、心理的な回復を象徴しています。

    • 心理学的視点: これは「ポストトラウマ成長(PTG)」の一例です。過去の困難な経験を通じて、自己理解や価値観を見直し、より成熟した視点を獲得するプロセスが描かれています。また、サラが「私は皿洗いが大嫌い」と声に出して宣言することは、自己主張(アサーション)の重要性を象徴しており、抑圧されてきた感情を解放する重要なステップです。

    6. 食器への愛情と再解釈

    エピローグで、サラが食器を愛するようになる描写は、彼女が皿洗いに象徴される苦痛な記憶を再解釈し、前向きな意味を見出したことを示しています。

    • 心理学的視点: これは「認知的再構成(Cognitive Restructuring)」の典型例と言えます。過去のネガティブな経験に新しい意味や価値を見出すことで、感情的な苦痛を軽減し、自己効力感を取り戻しています。

    全体の総括

    この物語は、「役割の押し付け」や「心理的虐待」といった家庭内での困難を通じて形成されたトラウマが、どのようにその後の人生に影響を及ぼし、最終的にはそれを乗り越えるプロセスを描いています。サラの人生は、「自己発見」「自己主張」「認知的再構成」といった心理学的プロセスを経て、癒しと成長を遂げた一例と言えるでしょう。


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     喜んでご提案します。 Kinnyさんが辿ってきた女性三代の歴史を、評価でも告発でもなく、 「命と感情の流れ」 として描く絵本。 それは、 「母を癒さなくていい」こと、 「祖母を理想化しなくていい」こと、 そして**「私の感受性と創造性を、ようやく自由に生きていい」**と...