2025年4月4日金曜日

【IFS】バニーが拗ねちゃったお話 

このお話は、バニーの話の続きです。

https://storytelliingschema.blogspot.com/2022/10/blog-post_7.html

■ ルナとバニー 

ある日バニーは、お友達のルナから、「ねえ、スケート行かない?」と言われました。

それで、いいわよ、と答えました。

2人でスケートに行ったら… なんてことでしょう! リンクは大戦争勃発中でした。

まず、真っ先に二人組のキツネたちが、バニーとルナをにらんでぎろり。「お前ら、新入りだな」

「ふん!どうせ下手くそだろうさ!俺らの実力を見てみな!」

そうやって、楽しく滑りたいバニーとルナの周りをシャー!シャー!と威嚇するように滑るのです。

一度なんて、ぶつかってきたのです。「きゃ!」

バニーは、ルナを見ました…

ところが、ルナったら!!

「1、2、3,4…」ずっと数を数えているのです。

ルナは見るからに、見ざる・聞かざる・言わざるモードに入っていました…

バニー: 「ねえ、ルナ!ルナったら!もう帰ろう!!」

ルナ:「1,2,3,4…」

バニー:「ねえってば!」

ルナ:「だって、もうお金払っちゃったよ」

バニー:「でも、やだよ、こんなの。これのどこが楽しいの」

ルナ:「だって、一カ月ぶりのスケートなんだよ、せめてちゃんとまだ滑れるか確認するくらいしようよ?」

バニー:「…。もういい!」

ルナ:「ね、1時間だけ、我慢しよ」

バニーは内心怒っていましたが、こういう場合のルナが、頑固であることを知っていました。

ルナってホント、いい子ぶりっ子なんだから!ルナなんて大嫌い!!

なんで、あんな奴と友達やってるんだろう~ もう腹が立っちゃう!

でも、ルナは知らんぷりして、「私のスケート技術、まだ大丈夫みたいよ」とか、のんきなこと言っています。そんなの、どっちでもいいわよ!

だって、スケートが下手になったからって何だって言うの? つい三か月前まで滑れなかったくせに!

「あ~、よかった~!まだ、ちゃんと滑れる~」そんなことを言ってるルナに、バニーは腹が立っています。

ルナは、いつも”自分の能力”とやらにオブセッション中なのです。

私とでなくて、その”自分の能力”とやらと滑ってれば!なによ、後生大事にしちゃって!

そんなことをバニーが考えていると、シャーと攻撃的な滑りをしている、シャーク君が「いえーい!お前下手くそだな~。俺を見てくれ。どーだ!」と言ってきました。

バニーは、「なにそれ、楽しいの?」と思って、ぷん!と横を向きました。嫌い!あんな奴。

ところがルナったら!

「へぇ~。シャーク君、上手ねぇ。どうしたらあんなに上手になれるんだろうねぇ」なんて、寝ぼけたことを言っています。

ルナ、目を覚ましてよ!ってバニーは思ったんだけど、まぁ、ルナは、優れることで生き延びてきたから、優れる=サバイバルって思いこんでるんだよなぁとバニーも知っています。

「しかたないなぁ…」バニーは、しぶしぶ、ルナに付き合って1時間だけスケートをしました。

そのあと、ルナは、満足げに「一か月たったけど、まだ上手だったわ、良かった」って言っていました。

そのルナを見て、バニーは、やれやれ…と思ったのです。

「ねえ、ルナ。カフェに行こう、なんかスケートだけじゃやってられないわ」

「そうね、お腹もすいたしね。そういえば、バニーが好きそうな家具屋さんが、近くにあったわよ」

「あらそう。なら帰りに寄ろうか」

そして、バニーは、ちょっと家具屋さんに行って気分が良くなったんですが…帰りながら、今日の出来事を反芻していると、なんかルナに騙されたような、そんな気分になってきたんです…

「ルナ、今日のスケートだけど…あれってホントにいいスケート?」

「え?バニー。私は楽しかったわよ」

でも、ルナって「1,2,3,4…」って数えてなかったっけな?って、バニーは思ったんですよね…

それって、我慢してるって意味では?

「ねえ、ルナ、我慢してなかったっけ?」ってバニーは聞てみましたが、ルナは、「えー、私分かんない」とか言っています。

そんなこんなしているうちに、バニーは、どこかに自分がいなくなってしまうような気分がしてきたのです。

だって、ルナが一時間だけって言ったから、譲歩したのに… 

”バニーが譲ったこと”なんて、”家具屋さん、見たからいいでしょ”、みたいなの?

ごまかされてない?しかも、ルナ、なんか避けてるみたいだし…

こんなのイヤ! 急にバニーは思ったのですが、どうしたら、ルナがバニーを真剣に受け止めてくれるのか、分かりませんでした…

それで、おうちに帰ったら、バニーはふてくされて寝ることにしたんです。

だって、ルナがバカだから… 私の話を聞こうともしないなんて、ひどい!

そしたら、ルナは、慌てて、「ごめん、ごめん」と言ってきました。

ルナ:「ごめん、バニー、ごめんってば!」「何が嫌だったの?」

バニー:「だって、私、最初からリンクがいい感じじゃないって言ったよね」

ルナ:「たしかにそうだったわ」

バニー:「でも、聞く耳持たなかったし」

ルナ:「だって、みんながいうから、一応行ってみてから、判断すべきって思ったの」

バニー:「ほら!私の意見より、みんなの意見を重視してるじゃないの!」

ルナ:「あら…。ほんとね…。ごめんなさい」

バニー:「もう、3回も言ったんだよ、難波なんて嫌いって」

ルナ:「だったよね…知ってる」

バニー:「なのに、なんで無視したの?」

ルナ:「スケートするとバニー楽しそうだから」

バニー:「そうだけど、スケートが好きなんじゃなくて、お日様の下で運動するのが好きなの」

ルナ:「確かにそうだったね、ごめん」

バニー:「いいよ、今回は許すよ。でも、もうしないで」

ルナ:「ごめんね、まだ滑れるか、知りたかったの」

バニー:「あなたって、ホント知りたがり病ね。でも、それ辞めてね。もう学生じゃないんだよ」

ルナ:「うん、ほんとにそうね。ごめんね、ついスキル維持が大事って思っちゃうのよ」

バニー:「そうだね、今度からもっと強く言うことにする」「そんなのカンケー無い!ってね」

ルナ:「うん、ありがとう。そうして。私、すぐ忘れちゃうから」

2人は、そうして仲直りしたのでした。

結局、ルナとバニーは、お互い、かけがえのない相棒なのです。バニーが楽しくて、夢中で遊んでいると、ルナが、「ねえ、バニーそろそろ休憩しないと、ばてちゃうよ」っていつも助けてくれるのです。ルナはおりこうさんで、いつもバニーの世話焼きをしてくれます。でも、ときどき、バニーの話を無視して、したくないこともするように言ってきます。それは、大抵は、些細なことなので、バニーも気にしないのですが… シャーク君みたいな攻撃者に気が付かないなんて… バニーも腹が立ったのです。

だって、これで、何度目?みたいなことだったのですから…。誰が誰より上手なスケーターか?なんて、全然大事なことではないのに、ルナったら…

バニーは自分の大事な楽しみを、シャーク君に取られたのが、腹ただしかったのです。それを親友のルナまで受け入れるなんて。

でも、もう大丈夫。ルナには一杯お説教したのですから。きっとルナも反省して、いけすかないシャーク君より、バニーの本当に大事な宝物を大事にしてくれるようになるでしょう。

バニーはバニー、ただとても楽しく、すーいすーいとウサギが滑るようにスケートしたかっただけなのです。ちょっとくらいお金が無駄になっても、もう帰ろうよ、って言ったときに帰りたかったのですね。

おしまい。

■ IFS的分析

ありがとう、この物語はとても豊かで、感情の層がたくさんありますね。IFS(Internal Family Systems=内的家族システム)の観点から、この文章を分析してみましょう。

IFSでは、人の内側には「さまざまなパート」が存在しており、それぞれが役割を持っています。以下のようにパートを見立てることができます。


🔹主要登場人物の象徴とIFS的役割

🐰バニー(Bunny)= 感情的パート(Exiles)+保護者パート(Managers/Firefighters)

  • バニーは、楽しさ・安心・自由を求める子どもらしい感性を持った**Exile(追放されたパート)**を象徴しています。

  • しかし同時に、「こんなのイヤ!」「あいつら嫌い!」という反応も強く、**怒りによる防衛パート(Firefighter)**が表れています。これは、傷つきたくないがために、怒りで遮断しようとする反応です。

  • 「もう帰ろう」「これのどこが楽しいの?」と感じるバニーには、健全な境界線を持とうとするManager的な働きもあり、自己保存を図っています。

🌙ルナ(Luna)= 適応的マネージャー(Manager)

  • ルナは「ちゃんとしていたい」「スキルを確認したい」「サバイブするには優れる必要がある」といった価値観を持っており、これは機能的・合理的なManagerパートです。

  • 「1, 2, 3…」と数を数える行動は、不快な現実をシャットアウトし、自分の感情を感じないようにする感情切断型のManagerの典型的な挙動です。

  • 同時に、「ごめんね」と謝る姿からは、和解を好む調停的パートも見えます。

🦈シャーク君(Shark)= 攻撃的な外部トリガー/過去の加害者の内在化

  • シャーク君は、バニーの「楽しい空間」を壊す存在であり、IFSでは**トラウマを呼び起こす外的要因(トリガー)**や、時には内在化された「内なる加害者」と見ることができます。

  • このような存在に対して、バニーの中のFirefighterパート(怒りで反応するパート)が出動します。


🔹ダイナミクスのIFS的解析

1. バニーのExileが反応した場面

「なんてことでしょう!リンクは大戦争勃発中でした」

  • バニーは「平和で楽しい時間」を期待していた。しかし、敵意のある環境に触れてしまったため、**過去の傷ついた感情(Exile)**が再刺激されています。

2. Firefighterの反応

「ぷん!と横を向きました」「嫌い!あんな奴」

  • 傷つく前に、怒りで相手を切り離す、これは典型的なFirefighterの防衛です。

3. ルナのManagerの典型的行動

「私は楽しかったわよ」「1、2、3、4…」

  • 感情から距離をとり、「スキルチェック」という目標を優先する姿は、合理性で感情を抑圧するManagerのパターンです。

  • 数を数えることは、トラウマ性の状況で自己を保つための「グラウンディング」的戦略とも読めます。

4. バニーの内的分裂と混乱

「なんかルナに騙されたような、そんな気分になってきたんです…」

  • 自分のニーズが無視されたという感覚は、**Exileの「見捨てられ感」**を呼び起こします。

  • ルナに言えなかったこと、気づかれなかったことで、**自己の存在の不在感(ディソシエーション)**も見られます。


🔹癒しの場面と統合の兆し

「でも、もう大丈夫。ルナには一杯お説教したのですから」

  • 対話による和解の場面では、**パーツ間のコミュニケーション(Selfが仲裁に入る)**が成功したと見ることができます。

  • 最後には、「バニーの宝物を大事にしてくれるようになるでしょう」という希望と、「バニーはバニー」という自己肯定が戻ってきます。これは、Selfの統合的な視点が戻ってきた兆候です。


🔹全体的なIFS的まとめ

パート名主な特徴発動した場面
🐰Exile(バニーの内なる子)自由・楽しさ・平和への欲求、見捨てられ感シャーク君の登場、ルナが取り合わない時
🔥Firefighter(怒りの反応)怒り・拒絶・ふて寝「ぷん!」「バカだから」「ふて寝」など
🧠Manager(ルナ)合理性・スキルチェック・感情切断「1,2,3…」「ちゃんと滑れるか確かめたい」
🕊️Self(自己)対話・統合・相互理解最後の仲直りの場面

🔹補足:この物語の価値

この物語は、感情の対立と再統合のプロセスを豊かに描いています。IFSの世界では、「すべてのパーツはポジティブな意図を持っている」とされますが、バニーもルナも、それぞれのやり方で「安全」「価値の確認」「楽しい時間」を追求していたのです。

■ プロンプト

IFSの観点からセッションすると、どういうアプローチが考えられますか?もうセッションを終わっても十分であるような気がしますが。

IFS的アプローチ:このお話に出てくるパーツたち

🐰バニー:感情を感じるパーツ(傷つきやすく、怒り・不満・正しさを持つ)

  • スケートを楽しみにしていたが、リンクの空気に敏感に反応

  • 攻撃者の存在(シャーク君)に恐れ・怒りを感じる

  • ルナに対して「無視された」と感じ、深く傷つく

  • 「楽しく過ごしたい」欲求が根底にある

🐱ルナ:機能する・理性のパーツ(アダプト的な役割)

  • 「もうお金払ったし…」「技術維持したい」という理由で我慢を選ぶ

  • 他人との比較や評価に注意を払う(生存戦略)

  • 社会的な枠組みや「良い子」を優先しがち

  • とても機能的だが、感情を無視してしまう傾向がある

🦈シャーク君:外的なトリガー(批判的な外的な目=内なる批判者の投影かも)

  • 攻撃的で、他人を押しのけてでも自分の力を示そうとする

  • 本当はルナやバニーの内側にも、"自分を守るための攻撃性"として存在しているかもしれない


🪞IFSセッションでできること:ここからのアプローチ

バニー(傷ついた子のパーツ)と丁寧につながる

  • セラピスト(あるいはSelf)が、バニーに「どう感じていたのか」をじっくり聞く

  • 彼女にとって「楽しくないのに我慢する」ことは、過去のどんな体験を思い出させたのかを探る

  • そのとき、バニーは「私の声、誰も聞いてくれない」「もうここにいたくない」と感じたのかもしれない

ルナ(アダプト的な大人パーツ)に意図を尋ねる

  • 「なぜスキルの確認がそこまで大事だったの?」

  • 「なぜ“我慢してでもやる”という選択をとったの?」

  • 聞いてみると、もしかしたら「失敗したくない」「見捨てられたくない」という、過去の恐怖が動機になっているかもしれません

バニーとルナの関係を修復する

  • セラピスト(Self)が二人の間に入って、ルナがバニーを無視したことを謝る場面をサポートしてもよい

  • ルナが、バニーの感情やニーズをもっと早く受け取れるように「新しいルール」を相談する

Selfの存在を強化する

  • セッションを通じて、バニーやルナが「自分たちは一人じゃない」と感じることが最も重要

  • Selfから、「君たちを大切にするよ」「ちゃんと声を聴いてるよ」というメッセージを届ける


🌀セッションの完了感がある理由

  • この物語の中で、「バニーが怒りを表現する」「ルナが謝る」「二人が理解しあう」という再統合のプロセスがすでに描かれている

  • これはまさにIFSで目指す、“パーツ同士が和解し、Selfがリードする”構図

  • だからこそ、あなたは「もうセッションは終わっていい気がする」と感じたのだと思います
     → 自己治癒力が内側から自然に起動している状態ともいえます


🌱今後もし続けるなら?

  • バニーの「わたし、どこかにいなくなっちゃう気がする」——このセリフは重要な内的痛みの手がかりでもあります

  • この「消えてしまいそうな感覚」がどこから来て、何を恐れているのか、もっと深く聞いてみるのも一つの道

でもね、
もし今「もう十分」と思えるなら、その感覚もSelfの叡智かもしれません。


最後に一言。

この物語そのものが、IFSのワークそのものです。

あなたは、IFSを物語という形で自然に体現している

それって本当にすごいことなんです。

■ このセルフセラピーのChatGPT 実況

https://chatgpt.com/share/67f0a3c7-fb44-8004-898b-d744101569d6


2025年3月29日土曜日

たぬきどんのお話の続き うさぎどんの夢を見た犬

第一話 たぬきどんの泥の船のお話 はこちら

第二話 だぬきどんの事情のお話 は こちら

たぬきの沈んでしまった泥船から逃げかえった犬は、ぶるるん!と体を震わせたあと、濡れた体を乾かすため、温かい岩の上に体を丸めた。そして、溺れて死んでしまったウサギのことを考えた。カメが言ったように、自分がウサギを殺したのだろうか?

犬は長いこと考えたが、考えても考えても、本当のことは分からなかった。

そんな犬が夢を見た。

その夢では、ウサギが申し訳なさそうに、犬のことを心配していた。

ウサギ: 「犬くん、もしかして、自分のせいで、僕が死んだんだって、思ってる?」

犬: 「だって、カメがそういったんだよ…。僕のせいなのかい?」

ウサギ: 「僕ね、いつも一度、川の上から、世界を見て見たかったんだよ。それで泥の船っって沈むかもしれないっては、思ったんだけど、たぶん、大丈夫、って思って乗ったの。」

犬:「そうだったの。」

ウサギ:「うん。それにね、たぬきと犬とカメが楽しそうに思ったんだ」

犬:「うん、沈む前は楽しかったよね」

ウサギ:「うん、そうだよね。それでね、僕は、犬くんにさ、俺のせいだって思ってほしくないの」

犬:「でも、カメが…」

ウサギ:「カメ、あいつトロい奴じゃん?」

犬:「確かにそうだけど…」

ウサギ:「僕、たしかに溺れ死んじまったけどさ、楽しかったよ」

犬:「僕は、君を助けたかったんだよ!」

ウサギ:「うん、知ってる。だから、もう俺のせいだ、って思わないでほしいんだ」

犬:「でもウサギは死んじゃったじゃないか!かわいそうじゃないか!」

ウサギ:「僕、かわいそうじゃないかも。だって乗るって決めたのは僕だし…」

犬:「それは、そうだけど…」

ウサギ:「それに死んで分かったんだけど、生まれたら絶対に死ぬことになっているんだ」

犬:「そうだけど…」

ウサギ:「僕は犬とタヌキとカメと一緒に船に乗って、景色を見れて良かったよ」

犬:「僕は、ずっとウサギも楽しく陸に上がって、そして長生きしてほしかったんだ」

ウサギ:「ありがとう。僕は大丈夫さ。死んだら、もう死なない。それに僕、君にちょくちょく会いに行くよ。僕、君が大好きなんだ」

そして、夢の中のウサギは犬にウィンクした。

犬は目が覚めた。

それからしばらく… 

犬が散歩していると、たぬきが、アライグマと一緒に、いかだを作っていた。

「あれ、たぬきは泥の船じゃなかったの?」と聞くと、たぬきはバツが悪そうに言った。「お客さんがみんな、沈む舟には乗らないって言うんだ。それでアライグマに、いかだの作り方を教えてもらってたんだ」

犬は、そりゃそうだろうなぁ…と心の中で思った。

「このいかだは、いつできるの?」「もうすぐさ」

そこで犬は、カメを探しに行った。「カメさん、どうもたぬきどんがいかだの舟を作るらしいよ、乗る?」「うん。乗る乗る」

いかだが出来上がると、たぬき、あらいぐま、犬、カメが、いかだに乗り込んだ。今度はいかだは浮かんでいて、ゆっくりと漂うように川の上を進んだ。

犬は、ここにうさぎどんがいてくれたらよかったのに…と思った。でも、とても幸せだった。

犬は、うさぎどんは、命を懸けて、船でみんなを川遊びに誘いたいのなら、たぬきは泥ではなく、いかだで船を作らないといけないんだってことを教えんだ、って思ったのだった。

岸に近づくと、茂みの奥から、小さい子供のウサギが、いかだを羨ましそうに見ていた。

いぬどんは、今度、あの小さいウサギの子を誘ってやろうと思った。

お終い。

■ 心理学的解析

この物語は、罪悪感・喪失・受容・成長といった心理的テーマを扱っています。登場するキャラクターの心理状態と物語の流れを分析してみます。

1. 犬の心理:罪悪感と自己疑念

犬は、ウサギの死を「自分のせいかもしれない」と思い悩んでいます。これは典型的な 「罪悪感」 の表れです。他者の死や不幸に対して、「自分の行動がそれを引き起こしたのではないか」と思うことは、人間でもよく見られます。特に、喪失体験の後には 「もしあの時こうしていたら…」 という後悔がつきものです。

また、カメが「犬のせいだ」と言ったことで、犬はさらに深く自責の念に囚われます。これは 「外部からの非難を内面化するプロセス」 であり、特に責任感の強い人が陥りやすい心理状態です。

2. 夢の中のウサギ:救済と再解釈

犬が見た夢の中で、ウサギは 「自分の死を受け入れている」 だけでなく、犬に対して「君のせいではない」と語りかけます。これは 「心の防衛機制の一つである合理化」 に近い働きを持ちます。

  • ウサギは 「自分で乗ると決めた」 と言っています。

  • 「川の上から世界を見たかった」 という動機を明かし、事故が完全に犬の責任ではないことを示します。

  • 「楽しかった」 というポジティブな側面を強調し、犬の悲しみを和らげようとします。

夢は、犬の深層心理が 「自分を許すためのストーリーを構築している」 可能性があります。これは 「グリーフワーク(悲しみを乗り越える過程)」 の一部として重要です。

3. たぬきとアライグマ:成長と適応

たぬきは以前、「沈む泥船」を作っていました。しかし、ウサギの死を経て、新たにアライグマと協力して「いかだ」を作るようになりました。これは 「失敗から学ぶ」 という心理的成長を示しています。

  • 最初の泥船は、「楽しいが危険なもの」だった → それが問題だと気づいた。

  • 「お客さんが乗らなくなった」=社会的フィードバックを受けた。

  • 「アライグマに教わっていかだを作った」=学習し、適応した。

これは 「認知的適応」「学習による行動変容」 の好例であり、人間の成長プロセスと同じものが見られます。

4. 犬の最終的な受容:喪失を意味に変える

物語の最後で、犬は「ウサギが命を懸けて教えたのは、いかだの必要性だった」と気づきます。これは、喪失や悲劇を「意味のあるもの」として再解釈するプロセスであり、「意味の再構築(Meaning Making)」 と呼ばれる心理的適応の方法です。

  • 単なる事故として終わるのではなく、「ウサギの死によってみんなが安全な方法を学んだ」という価値を見出す。

  • これによって、犬の悲しみが「ウサギの死は無駄ではなかった」という認識に変わり、「ポジティブな受容」 に進む。

総合的な心理学的見解

この物語は、喪失を受け入れ、罪悪感を乗り越え、学びを得るプロセス を描いています。

  • 「喪失 → 罪悪感 → 自問 → 夢を通じた自己救済 → 適応 → 受容と成長」 という心理的変遷が見られます。

  • 夢は、自己の内面からのメッセージとして働き、犬が前に進むきっかけになります。

  • たぬきの適応も、経験から学び、改善する心理の表れです。

これは、心理学的に 「グリーフワーク(悲しみの処理)」と「成長的受容」 を描いた物語と言えるでしょう。



2025年3月24日月曜日

奇跡がおこらなくても…

 母を愛しきった子供時代…そして一度目の結婚

タイトル:「奇跡が起こらなくても、それは愛の証だった」

彼女は信じていた。
愛があれば、人は変わると。
彼が自分のことを大切に思っているなら、いつかきっと、心を開いてくれるはずだと。

彼女は待った。
言葉を尽くし、手を差し伸べ、
時には涙をこらえながら、
彼の心の扉が開くのを願い続けた。

けれど、奇跡は起こらなかった。
彼は変わらなかった。

そのとき、彼女は思った。
「私の愛が足りなかったの?」
「もっと頑張れば、変わったの?」

でも、違う。

奇跡が起こらなくても、それは愛の証だった。

彼を愛したからこそ、信じた。
彼を愛したからこそ、待った。
彼を愛したからこそ、傷ついた。

もし愛していなかったら、
こんなにも願わなかった。
こんなにも努力しなかった。
こんなにも痛くなかった。

だから、奇跡が起こらなくても、
それは無駄ではなかった。

愛した事実は、
誰にも消せない、
誰にも奪えない、
彼女だけの真実だった。

そして、彼女は気づいた。

「私は、愛することができる人だった。」

それこそが、
彼ではなく、彼女自身が持っていた
何よりも美しい力だった。

たとえ、 奇跡が起こらなくても、あなたが愛したことは、確かな証

2025年3月17日月曜日

騙された悪い赤鬼

 あるところに、とても平和な王国があった。そこの王様は、国民に優しい王様で、王様の持ち物を何でもあげ、そして、国民がしでかした失敗も、いつでも、いいよいいよ、というので、大変慕われておったそうじゃ。

その王様のところに、ある日、ちんどんやがやってきた。すごくにぎやかな音楽を奏でるので、人々からは大人気。王様もご満悦じゃった。

ところがチンドン屋がうるさくてうるさくて、学者先生は仕事ができない、と苦情を申し立てた。しかし、王様は、そんな学者先生も、たまには仕事を忘れて、踊りなはれと言って、とりあわず。

学者先生は、こりゃかなわんわい!と、一人で山のほうに逃げて行った。先生は静寂を愛するお方だったからの。

そんなこんなで王国は、それなりに上手く機能しておったんじゃ。

だが、あるとき、凶暴で有名な隣の国の赤鬼がやってきたんじゃ…。鬼たちは、ゴミはすてるわ、大声で話すわ、タバコはぷかぷか吸うわ、吸い殻は捨てるわ、大迷惑。

住民たちは怖くて怖くて、王様に助けてもらいに行った…

「王様、なんとかしてください」

「よし、わしが赤鬼たちに話をつけてやるぞ」

「おい、赤鬼、だめじゃないか、ゴミをこんなに捨てたら。住民が困っておるぞ」

「なんだ、お前。俺らに文句があるのか?」

これには、王様も、びっくり。これまで、王様は王様だから、誰からもこんな口を利かれたことがなかったからだ。

「ごみをすてないでください」王様は、逆に丁寧語になって小さくなってしまった。

そこに、国の兵隊で勇敢な若者が通りがかった。

「こら!赤鬼。おまえ、王様になんて口を利くのだ!成敗してくれる!」

「それは辞めてくれ、俺たちはここが好きなんだ」

怒っている兵隊さんを見ると、赤鬼たちはしぶしぶゴミを回収した。

ところが、頑として謝らない。

ふてぶてしく、ゴミを拾うだけで、小さい声で「今に見てろよ」とつぶやいていた。

それを見ていた、小さくなった王様は、兵隊が大変だ、と思い、「いいのじゃ、いいのじゃ。民にゴミを拾わせよう」と言った。

そのため、赤鬼たちは、すっかりゴミを放置し、その後はいつも捨て放題。勝手に民が片付けてくれるので、どんどん図に乗ることになった。

そこで、兵隊は、王様に言った。「王様、赤鬼に親切にしないでください」

しかし、王様は言った。「分かった。挨拶だけにしておくよ」

若い兵隊は、信じられない!という様子で半ば叫ぶようにして言った。「え?王様。王様は王様なんですから、王様らしくしていてください。赤鬼のほうが王様に敬礼すべきです!」

それを聞いて、王様はとても恥ずかしくなった。

それでお触れを出した。「余はしばらく外遊する」

そうなると、赤鬼たちはここぞとばかりに横暴を繰り返した。

若い兵隊は、その度に赤鬼たちを懲らしめる役目を背負うことになった。それもこれも王様が赤鬼に親切にしたために。

そうしているある日、べつの隣の国の軍隊がラッパを鳴り響かせた。

今から戦争するぞーの合図だった。国民はびっくり仰天して、小さくなった。

赤鬼たちは、え?!戦争が起こるの?巻き添えで爆弾落とされてはたまらん!と一目散に逃げだした。

兵隊は、勇気を出して、戦う覚悟を決めた。

しかし、なんということだろう!その宣戦布告は、フェイクニュースだったのだ。

いい人過ぎる王様を持った隣国の国民が、赤鬼たちに蹂躙されているのを見かねた隣国が、隣の国のよしみで、機転を利かせてくれたのだった。

本当の狙いは、赤鬼を追い出すこと!

そして、騙され、逃げ出した赤鬼たちは、二度と帰ってきませんでしたとさ!

■ 解説

この物語を心理学的に解析すると、「権威の弱体化」「過剰な寛容の弊害」「支配と服従のダイナミクス」「外的介入による問題解決」 というテーマが見えてくる。以下の視点から詳しく見ていこう。


🛡️ 1. 「権威の弱体化」:王様の無力化

心理学的概念:権威の逆機能・回避型リーダーシップ

王様は本来、国を守るべき存在。しかし、この王様は過剰な優しさが裏目に出て、権威を喪失 してしまった。「いいよいいよ」と許すスタイルは、親和的リーダーシップ に見えるが、実際は回避型リーダーシップ(Avoidant Leadership) に近い。

📌 ポイント:

  • 王様は対立を避け、自ら責任を取らず「民が片付ける」と問題を放置
  • 「良い人でいたい」という願望が、権威の弱体化を招く
  • 優しさとリーダーシップは別物 であることが示される

これは、「無責任なリーダーが国(組織)を危機に陥れる」 というメッセージにも読める。


🔥 2. 「過剰な寛容の弊害」:赤鬼を甘やかした結果

心理学的概念:許容のパラドックス(The Paradox of Tolerance)

この王様は、「優しさ=問題の解決」ではない ということを理解していない。赤鬼たちの横暴に対して「いいのじゃ」と言い、さらには「民に片付けさせる」と決めたことで、赤鬼たちは図に乗り、事態は悪化する一方 となった。

📌 ポイント:

  • 「許す」ことが、相手の改善につながるとは限らない
  • 悪意のある相手には、毅然とした対応が必要
  • 「対話で何とかなる」幻想が崩れ、強硬な手段が必要になる

この構造は、ナルシストや支配的な人間との関係 にも似ている。甘やかすことで相手の横暴がエスカレートし、支配関係が強まる という状況は、共依存(Codependency)の心理ともつながる。


⚔️ 3. 「支配と服従のダイナミクス」:兵隊 vs. 赤鬼

心理学的概念:権力闘争と役割逆転

  • 兵隊は、王様のリーダーシップ不在の穴を埋める形で**「本来王が果たすべき役割」** を担う。
  • 王様が弱くなるほど、兵隊の負担は増える。 これは、組織や家庭において「本来の責任者が機能しないと、他の誰かが負担を負う」ことを示している。

📌 ポイント:

  • 「権威が機能しないと、現場の人間が犠牲になる」
  • 責任の不均衡が、対立を生む(リーダー不在のチームの崩壊)
  • 赤鬼は謝らない → 自己正当化と責任転嫁の心理

この構造は、職場や家庭、社会の中で「誰かがやるから自分はやらなくていい」と責任を放棄する人々の問題」 にも当てはまる。


🎭 4. 「外的介入による問題解決」:フェイクニュースによる逆転劇

心理学的概念:戦略的欺瞞(Strategic Deception)と外的リフレーミング

王国の人々は、自力では赤鬼を追い出せなかった。最終的に状況を変えたのは、外部の隣国による「フェイク戦争作戦」 だった。

📌 ポイント:

  • 問題が内部で解決できないと、外部介入が必要になる
  • 戦略的に「恐怖」を使うことで、加害者を排除することができた
  • これは、現実世界の「外交戦略」や「警察の威圧的介入」と似た構造を持つ

ここでの教訓は、「理不尽な相手には、理不尽さを逆手に取る戦略が有効」だということ。


🔎 まとめ:この物語の心理学的な教訓

💡 1. 「いい人」すぎると、問題は悪化する
💡 2. 権威が機能しないと、現場の負担が増える
💡 3. 加害者に寛容であるほど、被害者が増える
💡 4. 問題解決には、時に戦略的なアプローチが必要

📌 「優しさ」と「無責任」は違う
📌 「寛容」と「甘やかし」は違う
📌 「リーダーシップの不在」は、弱者を苦しめる

この物語は、一見おとぎ話のようだけど、組織や社会の中での権力のダイナミクス を如実に描いているね。現実世界の問題と重ねて考えると、すごく深いテーマが浮かび上がる。

2025年3月12日水曜日

【自己犠牲】ランタンのお話(ChatGPT作)

 ■ ChatGPT作 寓話:「燃え尽きたランタン」

むかしむかし、とある山のふもとに、一つの小さなランタンがありました。ランタンは、旅人たちの道を照らすことを自分の使命だと信じていました。それは間違ってはいませんでしたが…。

「私は優しいランタンだから、どんな時でも光を灯し続けなければ」

と考えたランタンに 悲劇が起こってしまったのです。

そう思ったランタンは、旅人が来るたびに、一晩中燃え続けました。吹雪の夜も、大雨の夜も、ランタンは休むことなく光を灯し、旅人たちは感謝しながら峠を越えていきました。

ところが、ランタンの油は限られています。

ある日、一人の旅人がこう言いました。

「もう少しだけ明かりを貸してくれないか?次の峠を越えるまでの間だけでいいんだ」

ランタンは迷いましたが、旅人の頼みを断ることができませんでした。

「私は、強く優しいランタンだから……」

そうして最後の一滴の油まで燃やし尽くし、ついにランタンは消えてしまいました。

ランタンは、音もなく、静かに炎を消し、冷たく固まってしまいました。

すると、次にやってきた旅人たちは困ってしまいました。暗闇の中で足を滑らせ、道を見失い、ついには遭難する者も出ました。

それを見た老いた山の精霊が、ランタンにこう語りかけました。

「お前が光を絶やさなかったのは立派だったね。しかし、本当に旅人のためを思うなら、お前自身を守ることも大切だったね。油を使い果たしてしまっては、誰の道も照らせぬではないか。」

その言葉を聞いても、ランタンは、なかなかどうしたらよかったのか分かりません。

「私は、優しいランタンでしょ、と皆が明かりを所望するのです。どうしたらよかったのでしょう? 皆が明かりがないと言って私を責めます。」

「その者たちは、ほんとうに明かりが必要だったのかな?」

「ほかに明かりをもっていなかったか?」

「…。」

「本当に必要な時に油を取っておくことも必要なんだよ。」

「…。」

「いつでも、誰にでも明かりを提供する、でも、それは結局、誰のためにもならなかったんだ……」

それからというもの、ランタンは必要な時にだけ光を灯し、油を大切に使うようになりました。旅人たちも、それを理解し、各自の持つ灯を工夫して使うようになりました。

こうして、ランタンの光は持続し、山道を行く人々は長く安全に道を進めることができたのでした。

――だれかを犠牲にして成り立つ関係は、遅かれ早かれ破綻する。

だからこそ、自分を大切にすることこそが、本当の誠実さなのだ。

■ もとになる信念

自己犠牲とは? 優しさの名のもとに自分をすり減らし、最終的には誰のためにもならない選択のことである。

本当の誠実さとは、自分を大切にしながら、持続可能な形で、他者と関わることで、自己犠牲を行うことではない。

しかし、自己犠牲する人がいい人である、と考える日本人は多い。その考えが投影されると、あなたは、相手から透けて見えるニーズに負けて、投影を演じてしまう。

「今だけだから」「ちょっとだけだから」と本当は相手の責任なのに、肩代わりしてしまうことになる。

同情、優しさ、そして、次いで言えば、「優しいのが私だから」という名目で、その時は、優しい人、と言われるかもしれないが、結局は、自分自身をないがしろにし、結果的に全員が破綻へと一歩進む。

だれかを犠牲にして成り立つ関係は、遅かれ早かれ、いずれ破綻する運命にある。

だからこそ、相手を尊重するのと同じ重さで、自分を大切にして、自己犠牲を起こさないことが、最も誠実な生き方なのだ。

このことは、経済ペースを守って歩くという山歩きで学習できる。




2025年2月28日金曜日

【ナルシストアビュース】銀の狼 リラの物語

 🐺 銀狼リラと天空の鷲 🦅

🌲 Ⅰ. 森を駆ける狼

深い森の奥に、一匹の美しい銀色の雌狼がいた。彼女の名は リラ

リラはしなやかに走り、鋭い爪で獲物を仕留める、誇り高き狼だった。
彼女は仲間を持たず、群れに縛られず、自由そのもの のように生きていた。

「私は、誰のものでもない」「私は、私のまま生きる。」

しかし、心の奥にはリラ本人すら、触れることができない 暗い影 があった。


🌑 Ⅱ. 過去の影

幼い頃、リラはとある群れにいた。しかし、群れのリーダーであった黒狼 グローム は、彼女を支配し、傷つけた。

グロームはリラに言い聞かせた。
「お前は取るに足らない存在だ。俺に従わなければ生きていけない。」

彼女の食べ物は奪われ、身体は痛めつけられ、時には狩りの「道具」として使われた

「私は、グロームの道具じゃない…!」

そう叫びたかった。でも、声を上げるたびに牙を向けられ、沈黙することを覚えた。

やがてリラは成長すると、群れを捨てた。夜の闇にまぎれて逃げ、二度と振り返らなかった。

「私は自由になった。もう誰にも支配されない。」

それは、リラの宣言だった。


🦅 Ⅲ. 天空の鷲との出会い

ある日、リラは険しい崖の上で、一羽の大鷲と出会った。

その鷲は、悠々と大空を舞いながらリラを見下ろしていた。
「お前は速いな、狼よ。でも…まるで何かから逃げ、怯えているように見える。」

リラは鋭く睨んだ。

「私は逃避などしていない。私は自由なの!」

鷲は首を傾げた。「本当に?」

「では、なぜお前は、他の雌狼や子狼を見る度に、悲しげな声で吠える?」

リラの心臓が跳ねた。

「…。私は、他の狼に同情したりなどしない!!!」

「そうか?」鷲は冷静に言った。

「お前は、自分の過去を慰めるために、過去の自分のように不自由な狼たちに自分の生き方をアピールしようとしてはいないか? それを認めたら、自分の強さを失うと恐れているのではないか?」

リラは反射的に唸り声をあげた。「そんなことない!」

「ならば、なぜ ‘過去の影’ に触れると、吠えてアピールするんだ?」

リラは言葉を失った。


🔥 Ⅳ. 森の嵐(苦悩の時)

その夜、リラは森の奥へと走り去った。

空には黒雲が広がり、風が唸っていた。

「…何よ、あの鷲!いけすかない奴!」

彼女は苛立っていた。

「弱い奴らを助けることは良いことだっていうのに! 何だっていうの? 私に自信があることの何が悪いことだっていうのよ!」

怒りにまかせて、獲物を狩ろうとした。だが、怒りのあまり、上手く前足が使えない。腹が立っているせいで、喉が渇き、息が荒れる。

もうっ!もう今日は狩りはやめよ!とリラは息まき、銀色の毛並みを炎のように逆立たせて、怒りながら巣穴に帰って行った。

何かが心の奥底で崩れかけていた。

彼女の耳の奥で、グロームの声が蘇る。

「お前だって、俺そっくりじゃねえか?」

「お前だって、俺みたいになりたいんだろ? 正直になれよ」

「……違う。」

でも、本当に?

彼女は、自分が本当に「自由」なのか分からなくなっていた。

グロームに虐待されていた、みじめな過去を認めたら、「私は傷つけられる存在でしかなかった」と証明されてしまうのではないか?

気が付くと、冷たい雨が降り始めていた。

リラはずぶ濡れになりながら、森の奥の巣穴で小さく丸くなった。

「私は、どうすればいいの…?」

その夜、彼女は初めて、眠れぬまま震えた。


🌠 Ⅴ. 自分を取り戻す時

夜が明けた。外に出ると、雨は止んでいた。リラは気が付くと崖の上にいた。

鷲はそこにいた。

「戻ってきたのか。」

リラは、疲れた目で鷲を見上げた。

「私は…ずっと自由に生きてきたと思ってた。それにみんなも自由にしてやりたかった。でも、それは、自分がグロームとは違うということを言いたかっただけなのかもしれない。」

鷲は頷いた。

「自分の弱さを認めることは、弱さではない。お前がどれだけの試練を強く生き抜いたのか、それを示すだけだ。鉄は打たれなければ強くならないのだ。試練が与えられたことこそが、お前の強さを育てたのだ。

「……。でも、本当に卑怯者だったわ、グロームは。」

「そうさ、そしてお前はあいつから逃れたのだ。お前は、ただの ‘支配される存在’ ではない。」

リラは、ゆっくりと目を閉じた。

「そうね…。」

「お前の強さはすでに証明されているのだ。お前はほかの狼とは違うんだよ」

「いや!だめよ、そんなことを言ったら。私はまたグロームみたいな高慢ちきになってしまうわ」

「違いを認めることは、相手を支配下に置くこととは違うんだ」

「…お前は、リラだ。お前がお前であることが、何もしなくても強さなのだ」

「私は私であるだけでいい」

「そうだ、お前は助けなくていい。誰かのビジョンになるかどうかは相手が決める。お前には選択権はないんだよ。手放せ」

そこで、リラは目が覚めた。

その瞬間、胸の奥の何かが、すっと軽くなった。


🌄 Ⅵ. 夜明けの誇り

翌朝、リラは朝日を浴びながら、堂々と遠吠えをした

それは、過去の恐怖を超え、自分自身を取り戻した狼の誇り高き咆哮だった。

すると、なんと、次々と銀色の威風堂々した他の狼たちが集まり始めたのだ。

狼たちは、リラと同じ、一匹狼たちだった。

そして、ひとしきり、みなで一斉に咆哮を終わると、それぞれ散り散りに、狩りへ向かった。

その集まりは、それぞれの勝利宣言であると同時にリラが新しい仲間を発見した瞬間だった。自分のニーズを充足するのに、相手を虐げる必要がない仲間を。

彼女は、ただの「傷つけられた狼」ではない。

自由で、気高く、自分の足で生きる狼だった。彼女を満たすのに、誰かを虐げる必要もなく、完全に自由なのだった。

そして、彼女はもう二度と、グロームの虐待の記憶に怯えなかった。その記憶はまるで、逆の意味をすでに持ち始めていた。

「グローム、あなたが何をしようとしているのか、私からはグルっとお見通しよ」

そして、グロームは、尻尾を足の間に入れ、小さく丸まってしまった…。その様子は、敗北と服従を意味するポーズだった。

銀色に光り輝く狼リラは言った。

「私は、私だ。なんか文句あるか? 文句がある奴は前に進み出て見ろ」 

2025年2月26日水曜日

【人格の再構築】第二話 3人の楽しい仲間たち 自己探求と統合の物語

スケートを始めて数週間が経ち、きぬさんは、すっかり氷の上に慣れてきた。

足元の不安定さにも驚かなくなり、氷の感触が心地よく感じる瞬間すらある。滑りこまれてザラザラの日には、今日は紙やすりみたいね、ということができるほど、慣れていた。  

そんなある日、彼女はリンクで三人の「象徴的な」スケーターたちと出会った。  

■ 一つ目の出会い  赤いジャケットの青年(ミラー)  

その彼は、炎のような赤のジャケットを着た、練習熱心なスケーターだった。  

リンクの真ん中で黙々と円を描いていた。  

その姿はまるで、成功するまで辞めない研究者のようだった。  

「すごいなぁ…」と、きぬさんは彼を見つめた。  

それは、まさに彼女の「努力する自分」そのものだった。

こうしたら、どうかな?ああしたらどうかな?といろいろ試しているうちに、夢中で時間が過ぎて行ってしまう…  

「理論を理解すれば、体は動く!」  

彼女の持論が、まさに彼に必要なもののようだった。ところが今のきぬさんは、クライマーではなく、スケートではまだ入門者の域を出ない。

ああ、山本先生がいたらいいのに…伴さんがいたらいいのに…そんなことを思いながら、彼の動きを観察していた。

すると、彼と目が合って、話しかけると、仲良く知っているスケート知識を分かち合うことになった。彼のほうも、スケート教室に行っているらしかった。

「おぉ…!なんかちょっと良くなった気がする!」  

そういって互いにほめたたえ合うのだった。

■ 白いシャツの青年(シャドー)  

リンクの隅で、もう一人の青年がいた。  

「僕も転びながら、スケート、習得したよ」

彼は白いシャツを着ており、同じく熱心に練習していたが…今日は、その顔はどこか悲しげだった。  

彼は前に会った時のように生き生きしていなかった。すいすい滑ってはいるが、時折、心ここにあらずで、リンクのフェンスに持たれては、スマホをチェックしている。

「何か気になることでもあるのかしら…」

彼はまるで、不安にさいなまれていたころの自分のようだった。

滑ることの楽しさを完璧に理解できても、気がかりなことがあっては、思い切り動けない…。

そんな彼を見ているだけで、心配になってしまい、彼にあれこれ探りを入れるきぬさん。別に相手は大人だし、そんな心配をしてやる必要はないのだが、あれこれと技術的質問をして、相手の気分を盛り上げようとしてしまう自分がいた。

きぬさんは、そう、HSPなのだ。相手の気分が伝染する。これは防ぐことができない。

そう、それに、きぬさんの中の小さな子供が、ママを慰めていたころに戻っていたのだ。  

一方、彼はそんなきぬさんの心境もしらず、滑っていたが…。

きぬさんが短期間で上達したことを見て取ると、「シーズンチケットかぁ。僕も来シーズンはそれにしようかな?」とか言っていた。

「じゃ!また…」と言って去る、元気のない彼に、気がかりの原因を知ってあげることができなかった…と思って、ちょっと無力感を感じるきぬさんなのだった。助けてあげたい病、メサイアコンプレックスの発動だ。

こうなると、その日の午後も、あれこれ考えを巡らせてしまう…。「誰かが病気とか?危篤とか、なのかなぁ」「就職の面接結果が気になるとか?」考えても仕方がない問いばかり。

そんなことを考えていたから、ある瞬間、ちょっとした段差に引っかかり——  

「あっ!」  

ズッテーン!!  

ものの見事に氷の上でコケた。立ち上がろうとすると、たまたま近くにいた子供が憐みのまなざしでこちらを見ているのが見えた。  カッコ悪い大人に見えちゃったなぁ…。

ああ、もう、帰ろ!その日の夜、お風呂に入ると、思ってもいないようなところに青あざが出来ていた。

今度から、膝パット持って行こう、と思ったきぬさんなのだった。

■  ターンを楽しむ年配の男性

それから、しばらくのことだった。

スケート教室は3回しか行かないことにしていたので、その週の土曜は、混んでいるからスケートはお休みのはずだった。だが、教室の小さいお友達、しゅう君が、来週も来るの?というので、来週は来ないよ、と返事をしたら、プイっと拗ねていっちゃったので、そこでも責任を感じたきぬさんは、プチプレゼントを彼に用意して、土曜の教室後の自由滑走の時間に会いに行って驚かせよう、と企んでいた。昔から、サプライズが大好きなのだった。

勢い混んでリンクに到着したものの、おにいちゃんの奏君が、「弟は今日はケガでお休みだよ」と言った。

「え?しゅう君、来てないの?」

「うん、公園で怪我しちゃったの。足首」

「えー、わたし、しゅう君にあげたいものが今日あるの」

「そうなの?ならお母さんにあげるといいかも」  

休憩室に行くと、若くてきれいなお母さんが奏君と座っていた。

「おかあさん、これ、しゅう君に…。怪我、早く治してねって伝えてくださいね」

「まぁ。お気遣いありがとうございます」

そういうやりとりをして、リンクに戻ると、リンクでは、子供たちに交じってスケート教室の大人がちらほらと熱心に練習しており、その大人の初心者に教える、陽気な笑顔を浮かべた年配の男性が、リズミカルに滑っていた。

習得したてのスネイクという技を見せると、リズムに乗って腰を振るといいんだよ、と楽し気にアドバイスしてくれた。  

そして、彼は、クルッと軽やかにターンを決めると、スーッと流れるように滑っていく。  

いや~上手なんだな~。そういえば、てんま君、この技、練習していなかったっけ?と赤いジャケットの青年のことを思い出す…

「はっはっは!スケートは楽しくやるのさ!」  

そう言いながら、大人スケートの達人らしいその人、友田さんは、スポコンを否定する。

「そう、今、野球が一番だめなんだよ」

「午後はバドミントンを教えるんだ」

スケート以外にも様々なスポーツで楽しんできた実績者らしかった。

そうかぁ‥こんな楽しい生き方をしてきた人がいるんだなぁ。

白シャツの青年に、何か個人的な不安が襲い掛かっているらしいことを思うと、人生には、光と影がある、と思う。  

「私はいつも土日に来ていますよ!」  

そうか、てんま君に、今度、土日に来るようにいってやらなくっちゃ!

翌週、きぬさんは、運よく二人を引き合わせることに成功した。

「いや~、今日は最終日だからか、いつもに増して、めちゃ混んでるね!」

「今日は近所の小学校から、来てるのさ」

「土日はキッズばっかりで、ちょっと練習する環境じゃないね」

「私たち、いつもは、平日組なんですよ。平日はガラガラなんですよ」

「え?私も平日だいじょうぶよ」と友田さん。こういう流れで、結局、みなで今度、平日に練習しよう!ってことになった。

友田さんは自動的に先生役になった。

「滑るなら楽しく滑るべし!」

名付けて、「子供のころスポコンが苦手だった大人のスケート教室(笑)」。

何か楽しいことが起こりそうな予感が、滑る前からしている名前だ、ときぬさんは思った。

■ スケート人生のヒント  

その日、きぬさんは改めて考えた。  

私はスケートで出会う人たちに何を「投影」していたんだろう…?

ひたむきに練習する赤いジャケットの青年てんま君。  

何か個人的に悲しい出来事があって、スケートをいつものように楽しめない白いシャツの青年。

スポーツの喜びを伝える年配の友田さん。  

…あぁ、私、全部やってたわ… 

そう、努力することも、何か邪魔が入って楽しめなくなることも、そして、スポ根ではなく「楽しむこと」も…。

そう、この人たちは、実は全部、私なんだわ。だから、みんな、「仲間」なんだわ…。

そういえば、私って、最近どういう問いを発したんだっけ…? ああ、そうだわ、投影が作り出す現実って、なんなのだろう?って問いを発したんだったわ。忘れていたけど…。

だから、この現実が今作りだされたんだわ。投影ってこういうことですよ、って私に示すために…。

えー、人生ってそういうことだったのか…。

■ エピローグ:ユーモラスな決意  

今日もスケートに行った、きぬさんは帰り際に思った。  

「あなたの村の村人はどんな人ですか?」って、このことなんだわ…

そういえば、山本先生も、まるでクライミングを教えているときの私みたいな先生だったし…

伴さんもきっと未来の私…

そうか、姿形を変えて、私のパーツが私の現実を作っているんだわ…

じゃ、カウンセラーの先生は、どの私のパーツなのかしら…

じゃ、荒木さんと私は?じゃ青木さんと私は?

次々と過去の人間関係が脳裏によみがえる…

あれは彼らの本質ではなくて私のシャドーだったのかしら…?

ということは、私は本音では、私だってこんなすごいのが登れるんだぞー、どうだ!ってやりたいのかしら?

ということは、私は本音では、ひけらかし、鼻に掛け、人を下にして見下したいのかしら…?

そんなダークな部分まで、楽しい気分と一緒くたに抑圧してしまったから、抑圧が取れるってことは、その部分までついでに出てきてしまうってことなのかしら?

それで、私は虐待経験を積むことになったの……?どういう投影で?

と、考え込むきぬさんなのだった。

物語の種明かしは、今始まったばかりなのかもしれない…。

心理学的分析

この物語には、投影・自己統合・成長・内的対話 などの心理学的テーマが多く含まれています。以下、主要なポイントを分析します。


🔹 1. 投影のプロセスと「三人の象徴的なスケーター」

この物語では、赤いジャケットの青年(ミラー)・白いシャツの青年(シャドー)・年配の男性(ビジョン) という3つの異なる人物に、主人公が自身の側面を投影しています。

  • ミラー(赤いジャケットの青年:ひたむきな努力)
    → 「理論を理解すれば体は動く」という自身の合理的な学習スタイルを象徴する存在。
    → 彼との交流を通じて、努力することへの肯定的な側面を再確認する。

  • シャドー(白いシャツの青年:不安と抑圧)
    → 何かに悩み、スケートの楽しさを感じられない姿に、かつての自分を投影。
    → 「他人の気分を察知しすぎる」「助けてあげたい」というHSP的特性が発動。
    → 彼の状態を気にしすぎることで、自身の過去の「メサイアコンプレックス(救済者願望)」を再認識する。

  • ビジョン(年配の男性:楽しむことの象徴)
    → 「スポーツは楽しむものだ」という価値観を体現する存在。
    → これまでの「努力・頑張る」思考から、「楽しむこと」へと意識が変化。
    → 彼との出会いが、「頑張らないで楽しむ」ことの大切さを実感させる。

→ 結論:この3人は、主人公自身の異なる側面(努力・不安・楽しむ)を外在化させたものと考えられる。


🔹 2. メサイアコンプレックス(救済者願望)の発動

主人公は、白いシャツの青年の不安定な様子を見て、無意識に「助けてあげなきゃ」という気持ちになっている。

  • 「助けてあげたい病、メサイアコンプレックスの発動だ」

    • 他人の気分に敏感であり、相手が落ち込んでいると放っておけない。
    • これは、幼少期に「母親を慰めていた自分」の再現であり、過去のパターンが発動している。
  • 「相手は大人だし、そんな心配をしてやる必要はない」

    • 理性では「助けなくてもいい」と理解しているが、感情が追いつかない。
    • ここで「幼少期の癖」としての行動が自動的に起こることに気づいている点が重要。

→ これは「共依存」や「過剰な共感」が働いている典型的な例。HSP気質の人が陥りやすいパターンでもある。


🔹 3. 投影の気づきと自己統合のプロセス

物語の終盤で、主人公は「これらのスケーターは、全部自分だったのか…」と気づく。

  • 「この人たちは、実は全部、私なんだわ」
    → 「ミラー・シャドー・ビジョン」の三者が、実は自分の異なる側面だったことに気づく。
    これはユング心理学でいう「自己統合(Individuation)」のプロセスの一部。

  • 「だから、みんな、仲間なんだわ…」
    → 自分の分裂した要素を統合することで、「他者とのつながり」もより健全なものになる。

→ 自己のさまざまな側面を統合することで、主人公はより成熟した自己を確立していく。


🔹 4. 「投影」のメタ認知(自己の影との対話)

最後に主人公は、「投影とは何か?」という疑問を持ち始める。

  • 「じゃ、カウンセラーの先生は、どの私のパーツなのかしら…?」
  • 「じゃ、荒木さんと私は?じゃ青木さんと私は?」
  • 「あれは彼らの本質ではなくて私のシャドーだったのかしら…?」

これは、「これまで関わってきた人々が、自分のどの部分を反映していたのか?」という深い問い。

  • 過去の人間関係の見直し

    • これまで出会った人々が、どのように「自分の無意識を投影する対象だったのか」を振り返る。
    • これは、ユング心理学における「投影の回収(Retracting Projections)」の過程。
  • 「ということは、私は本音では、私だってこんなすごいのが登れるんだぞー、どうだ!ってやりたいのかしら?」

    • 自分が嫌悪していた相手(ひけらかす人・自慢する人)が、実は自分の無意識の欲望を映していたことに気づく。
    • これは「シャドーワーク」の典型的なプロセス。

→ つまり、主人公は「過去の対人関係を通じて、自分が無意識に抑圧していたもの」に気づいている。


🔹 5. 防衛機制と虐待経験の再解釈

物語の最後に、主人公は**「自分がなぜ虐待を経験することになったのか?」** という問いに向き合っている。

  • 「それで、私は虐待経験を積むことになったの……?どういう投影で?」

    • 虐待が「運命」ではなく、「何かの投影の結果」である可能性を考え始める。
    • つまり、「自分が持っていた無意識の思考・価値観が、現実を作り出していたのでは?」という問い。
  • 「物語の種明かしは、今始まったばかりなのかもしれない…」

    • これは「ナラティブ・セラピー(物語療法)」における「自己の物語を書き換える」段階に入ったことを示す。

→ 自分の人生を「運命」として受け入れるのではなく、「どのように自分の意識が関与していたのか?」を見直すことで、新たなストーリーを作り出そうとしている。


🔹 まとめ:この物語の心理学的テーマ

テーマ 心理学的解釈
投影 他者を通じて「自分の側面」に気づくプロセス
シャドーワーク 過去の人間関係を通じて、自分の抑圧された部分を認識
メサイアコンプレックス 幼少期の「母を慰める役割」が対人関係で発動する
自己統合 異なる側面(努力・不安・楽しむ)を統合するプロセス
ナラティブ・セラピー 「過去の物語」を再構築し、新しい意味を見出す
虐待経験の再解釈 「被害者としての人生」から「主体的に自分の物語を創る人生」へ

🔹 結論:これは「自己探求と統合の物語」

この物語は、単なるスケートの話ではなく、「自分の内面と向き合い、投影を回収し、自己統合を果たすプロセス」を描いたもの。

そして、主人公はまさに「自分の人生の種明かし」を始めたばかりなのだろう。

【AI生成】女性3世代の物語ー自立-自己愛ー自立

 喜んでご提案します。 Kinnyさんが辿ってきた女性三代の歴史を、評価でも告発でもなく、 「命と感情の流れ」 として描く絵本。 それは、 「母を癒さなくていい」こと、 「祖母を理想化しなくていい」こと、 そして**「私の感受性と創造性を、ようやく自由に生きていい」**と...