2025年2月3日月曜日

ママの家出とマディのその後

 12人目)ママの家出 


2022年5月6日


マディは、よその家の匂いに耐えられない。よその家の食器も、変な匂いがしたし、化学的な味がするというので、加工食品も苦手だった。雨が降るより前に、頭は痛くなるし、車に乗ると、5分で酔ってしまう。家の中以外、安心な場所がない子どもだった。


そんなマディがある日の夜、夜中にママに起こされた。「着替えて、マディ」


どこへ行くのかな…また、ドライブかな…と、マディはしぶしぶ服を着た。そのあと、車に乗ったら、寝てしまって、気がついたら、知らない人の家にいた。


別の部屋で、ママが誰かと話し合っている様子が、半開きのふすま越しに見えた。とても難しい問題を話し合っているみたいだ。髪の長い女の人がママと話し合っていた。


「あ、子どもが起きてる」


マディが起きていることを見つけた女の人は、しぃーという感じにママに目配せをした。


マディは、起きたとたんに、大泣きに、泣き始めた。知らない人の家にいたからだ。


そのあと、ママはマディを何とか泣き止ませようとしたが、無駄だった。マディのほうでも、なんでそんなに泣いているのか、分からない、という感じだった。


髪の長い女の人が、だから言った通りでしょ、という感じで、ママに帰るように促した。そして、ママはしぶしぶ荷物をまとめて車に乗った。


マディは車の中で高速道路のオレンジ色の光を見ていた。次に気が付いたときは、もう朝だった。


そのあと、ずいぶん長い年月がたって、マディは、あの夜は何だったんだろう…と考える。


ずいぶん後になって、あれは、お母さんの家出だったのではないかと推測するに至った。


しかし、そうなると、母は一度、マディだけを連れて、他の兄弟を捨てたということになる。


そのことはマディは自分の胸に仕舞っておき、長い間、誰にも話していない。どうしてママは、あの日、家を出たのか、今となっては知りようもない。それに、そのあと、子どもたちを愛さなかったということでもないだろう。


あの夜、マディが泣かなければ、もしかして、ママはそのまま、家出していたのだろうか?

そんなのいやだ、とマディは思う。


マディは、早く大きくなろうと思った。早く大きくなって、親の負担ではなくなること。これが、初期のマディの人生の目標だった。


それで、実際、18歳で家を出た。できるだけ早く、経済的自立を果たすことが、マディが心に決めた親孝行だった。


ママは、マディが働いて弟や妹の進学や生活を助けることを期待していたようだったけれど、マディには、それはいやだった。


長い間、マディは、経済的な仕送りをしないことで、親を捨てたという思いに苦しめられた。妹には、なんでお姉ちゃんは人に甘えないの、となじられた。その上、ママを捨てた、と言われた。


でも、マディができるベストは、高校時代、朝6時から学校に出るまでの間、働いて、自分の受験費用を捻出し、自分の昼ご飯代を出すということだった。受験勉強は家に帰るとできないので、夜12時くらいまで友達の家にいてやっていた。家に帰るのは、皆が寝静まってからだ。


マディは、自分で大学を選んで奨学金を申請し、自分の受験費用を自分で出し、大学進学の費用を出し、一人で受験し、受験したその日にバイトを決め、自分で学生寮を見つけてきて、そこへ引っ越した。マディの人生のスタートは、段ボール3個でしかなかった。


妹は、私学の高校へ通って、友達の誕生日プレゼント代が3000円ではなく、1000円しか与えられないことが不満だという学生時代を送った。マディは、自分で自分の受験費用を出しているような年齢のときにだ。マディが妹の年齢の時には、家族全員の食事を作る役目だった。妹がその役をしたことは、少なくともマディが家にいるときには一度もなかった。マディは、妹の手料理を食べたことがない。


そんな調子だったので、結局のところ、何を普通と考えるか?という基準が、かけ離れすぎていて、マディは妹とは分かり合えない、と思っていた。


それにママにもだ。マディがどうしてもわからないことは、なぜ、マディが実家の生活を見るのが、当然のことだ、と母が考えるのか?ってことだった。


母親はマディの自立を喜ばず、マディの学生寮まで追いかけてきた。


結局、考えても分からないので、マディは考えるのを辞めた。


しかし、進学した後も、マディの学生寮には、母が借りた分のサラ金の督促が来る。マディは、電話自体を避けるようになった。都合が悪いことに学生寮だと館内アナウンスで呼び出されてしまう。


呼び出し電話は、大抵は、見知らぬ男からの督促の電話で、「お母さんがどうなってもいいのですね」と脅される。実家の経済状況がさらに悪化しているのだろうということが、推測できた。そうした電話は、必ず忘れたころにかかってきて、実家を助けろ、という声なき声になった。


が、一方では、このような街金につかまっては、骨の髄まで搾り取られるだけなのではないかと思えた。そうでなくても、マディの収入は、世間の一般より低く、自分一人で精いっぱいなのに。その頃、マディと同年齢の人たちは、まだ親のすねをかじっているころだった。


そうこうしている間に、マディは海外へ行くことになったので、住所を変更することができた。帰国したら、誰も督促の電話を掛けることができないはずだった。それでマディの心はだいぶ穏やかになった。その後、就職してマディは長屋の暮らしを辞め、普通のアパートで暮せるようになった。


その頃、突然、弟の訃報が入った。突然死だということだった。マディは、18歳で家を出てから、8年間、弟に会っていなかった。マディは夜学に進んだため、5年も大学を出るのにかかったし、その上、2年海外で働いていたので、トータルでは7年だった。だから、まだ勤めだして1年で、やっとこれから、少し生活が楽になるというところだった。


遺体になった弟は、マディが覚えている16歳の少年の姿ではなく、24歳の大柄な男性だった。飲んで帰って横になり、そのまま朝には冷たくなっていたそうだった。ただ朝を迎えるだけで本当に命とはありがたいものなのだ、とマディは思った。弟には、3人も彼女がおり、弟が残した靴の数は、150足だった。母は300人の盛大なお葬式を行った。


そのあと、妹が自殺未遂した。半狂乱になった母親から電話があった。それで、マディが妹を引き取ることになった。まだ、マディが、新しいアパートに引っ越してすぐのころだったから、妹は、マディの長屋での貧しい暮らしを見ていない。


妹はマディの会社用の靴を勝手に履いては、マディの足よりも大きくして足に合わなくしてしまうし、マディの服を勝手に着るし、家の中にいて、そのまま何もしないで生活しても、マディに悪いとは思わないようだった。マディのほうでも、自殺未遂だということだったので、そっとしておき、当然、何も言わなかった。妹が必要なのは無条件の愛だったからだ。マディは理解していた。しばらくして、妹がやっと出ていくということになり、マディは、お見舞い金を包んだ。


それで、マディが妹を見た最後だった。弟を見た最後は、遺体だった。


マディが妹からもらったのは、「お姉ちゃんはママを捨てた」という呪いの言葉だけだった。


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本の目的: 妹から掛けられた呪いの言葉を捨てるため


幼児決断: 家に帰りたい

出来たスキーマ: 血縁が何より大事

健全な大人の考え:  家族であっても、助けるべきでないときもある

メンタルブロック: 家族なら仕送りをするべき、愛する者からひどい仕打ちを受ける

昇華: 人を助けるには自分が、まずは救われていなくてはならない


解説はこちら https://storytelliingschema.blogspot.com/2025/02/blog-post_96.html

【創作】【トラウマ】サラが皿洗いのトラウマを乗り越えたお話

第1章:小さなキッチンのヒロイン

小学5年生のサラは、夕方になると必ずエプロンを締めてキッチンに立っていた。彼女の母親である奈緒美は、3人の子を持つシングルマザーとして毎日忙しく働いていたが、時折、口にする言葉には、どこか棘があった。

「サラ、あんたってホントにいい子ぶりっ子ね。だけど、実際、助かるわ。私ひとりじゃ絶対無理よ。いい子ぶりっこでも、ぶりっ子してくれてよかったわ。」  

奈緒美の言葉には一見感謝が込められているように見えるが、サラにはその裏になんとなくしっくりこないものを感じることがあった。でも、まだ幼いサラには、よく分からなかった。

サラは、料理を作ることが好きだった。理科の実験みたいで、へぇ~こうなるんだーと思う気持ちがあった。

ただ、料理の腕を褒められると、なんとなく、母の都合を感じさせられた。妹や弟も「お姉ちゃんのご飯、美味しい!」と笑顔を見せる。

だが、なぜか、食事の後に待っている皿洗いもサラの担当だった。

夕食の後誰も皿を洗わないので、結局、翌日の夕食前に、サラが洗うことになる。

下の二人の兄弟は皿洗いをするサラを少しも不思議に思わず、TVを見てのんきにくつろいで、「お姉ちゃん、お腹空いた」というのだった。

何年か皿洗いと家事一式を続けたサラは、「私は家族のために生きているの?」という疑問を抱くようになった。

水音とカチャカチャという食器の音が耳に響くたび、サラの中で嫌悪感が増していった。皿を洗うたびに、「自分がここにいる意味は、この皿をきれいにすることなの?」という思いが頭をよぎる。

しかし、子供の生活は忙しく、深く物事を考える間もなく、次から次とやることがあった。

サラは、合理的な現実主義者だった。学校でも優秀だったため役員を引き受けることが多く、学校でも家でも、リーダーシップをとらないといけない立場に立つことが多かった。子供ながらに15分刻みのスケジュールこなしていた。

奈緒美は、帰宅すると大抵ぐったりと疲れている。そこで、サラは奈緒美にコーヒーを淹れるようになった。

「サラが淹れてくれるコーヒーは本当においしいわ」

奈緒美はそう言っていたが…それがどれくらい”本当”なのか、サラには測りかねる気がしていた。

というのは、奈緒美はいつもカップを片手にこう言うのが常だった。  

「人が淹れてくれたコーヒーって、ホントにおいしいわ!」  

泡でぬるぬるする食器やカチャカチャと鳴る音。相変わらずテレビを見て手伝う気がない弟。まだ幼い妹。何か腑に落ちない感覚。

サラは手を動かしながら心の中で小さな溜息をついた。「なんで私ばっかり…」と思う気持ちは次第に大きくなっていった。

第2章:中学生になったサラ

中学生になったサラは、ますます家事を任されるようになっていた。奈緒美は相変わらず忙しく、疲れた顔で帰宅すると、サラに当たり前のようにこう言った。

「ちょっと、何。なんで玄関の靴がこんなにバラバラで散らかっているのよ!」  

サラは、その言葉に不快感を覚えるが、靴を片付けるくらい、たいした労力でない、と思い、仕事で疲れた母と口論になるよりは片付けたほうが早い…と、実を取る作戦で、さっと靴を並べるようにした。

しかし、ある時、奈緒美は、「ちょっと、何これ。なんでリビングの物の配置が昨日と同じなわけ?掃除していないでしょう!」と言い放った。

これには、さすがのサラも呆れて物が言えなくなった。専業主婦がいる家庭だって、リビングの物の配置は、昨日と同じなのが普通だ、と中学生になったサラには、もう見当識ができていたからだ。

サラは学校でも頼りにされ、欠席時に配布されたプリントなどを届けるようなこともをしていた。そうした中でよその家も観る機会が何回かあった。

この母の言動を基にすると、母親の奈緒美は、これまで、サラが子供だったことをいいことに、いろいろと自分に都合の良いように物事を捻じ曲げていたんではないだろうか…?そんな疑いがサラの中に生まれた。

「なによ、その顔」と奈緒美は言ったかと思うと、サラの顔にめがけて、持っていた茶碗を投げた。

これには、さすがのサラも、茫然自失状態になった。

え?今、何が起こったの?

理解を超えた涙があふれた。

奈緒美は打って変わって優しくなり、「ごめんなさい」と何度も謝り続けた…。肝心のサラは、何が起こったのか分からない。そのまま、ベッドに倒れこみ、伏せてしまった。

2段ベッドの上の段に横たわりながら、サラは、一体自分に今何が起きているのだろう…と必死で現実にしがみつこうとした… サラの頬には黒いあざが着いていた。

あした、学校、どうしたらいいのだろう…。こんな顔、人に見られたくない…。いつも人前に立つ立場なのに…。

奈緒美は、シップを持ってきた。「ごめんなさい、これを貼って。本当にごめんなさい」

サラは謝ってももう遅い!と思った。とにかく、どうやって明日を乗り切ったらいいのだろう…サラには見当もつかないのだった。


ある日、サラが部活帰りで疲れているにも関わらず、奈緒美はこう言った。

「ちょっと、サラ、いい加減にしなさいよ、今日はあんたが作ってくれる番でしょ? 」

サラには、受験もあり、部活もあった。部活はキャプテンを務めており、サラが一番必要なのは勉強時間だった。サラは例によって口論するよりは、さっさと問題解決してしまえとばかりに、サクっと夕食を作ると、あとはみんなで食べてね、と言って、自室に引き上げた。宿題が残っていたのだ。

ところが、母親の奈緒美は、猛烈な勢いで、子供部屋のドアを開けると、サラの教科書の上に、サラが立った今作ったばかりの夕食をぶちまけ、そして、サラの髪の毛をわしづかみにすると床を引きづりまわしたのだった…。

結局、サラはこの時もあちこちにあざを作り、虐待、という二文字が、サラの脳裏に今回ばかりはかすんだ…。

サラは8歳から料理している。サラが15歳になった今、妹は11歳、弟は13歳、とサラが家族のために家事をスタートし、料理を始めた年をとうに超えている。それでも、これまで、サラが作り続けてきたのは、そのことにサラ本人も含め、誰も気が付かなったからだった。

この”事件”のあと、サラは、家族と過ごすこと自体を避け、家にいる時間を極力減らすようになった。

第3章:大学生になったサラ

大学で一人暮らしを始めたサラは、自由を満喫していた。実家のように誰かのために料理をする必要もなく、自分だけの時間があった。  

しかし、ある日、自炊した後の皿を洗おうとした時、思わず手が止まった。

「また、この感じ…」と、サラは吐息を漏らした。

泡の感触、冷たい水、そして皿が擦れる音。その全てが子供の頃の記憶を呼び起こし、体が固まるようだった。  

ヤダ、ヤダ、ヤダ…。ため息をつくサラ。

使った皿は、そのままシンクに溜まり、見るたびに罪悪感が募る。けれど、それを洗う気力が湧かない。サラは自分に問いかけた。「…でも、なんでこんなに嫌なんだろう?」

気力をふるいたてて皿を洗う。サラは、お菓子作りが大好きで、お菓子作りには、汚れ物が一杯でる。いつしか、サラは、『一つのボールで出来る焼き菓子』というレシピブックを愛用するようになった。

第4章:皿洗いの呪縛を越える

ある日、50代になったサラは、大勢の集まりで食事を作る機会があった。

みんなで分担して料理を作り、午後いっぱい使ってお酒を飲みながら、食べた。

そして、食後の皿洗いも自然と分担された。  

男友達の一人がこう言った。「サラ、いつも料理作ってくれてありがとう!君作る人、僕洗う人ね!」  

その言葉に、サラはハッとした。

あまりにも、「自分が片付けも引き受けなければいけない」と思い込んでいたことに気づいた瞬間だった。  

それまで、あまりにもみなが、サラが洗うのが当然だという態度だったのだ。

夫も含めて。

サラってそういう人でしょ、と顔にラベルでも張っているのではないのか?ってくらい当たり前に皆がサラの皿洗いを期待した。

その夜以降、サラは宣言した。

「私、実は皿洗いが大嫌いなの!」

そして、食器洗い機を夫に要求した。

エピローグ:サラの新しい選択

月日が流れ、サラは、大きな食器洗い機を手放した。  

サラは、食器マニアだった。

いつしか、このお皿は、あの時のパーティの、この茶碗は九州に旅行に行ったときの皿で、これは川本太郎さんのお気に入りの粉引…と食器に楽しい思い出を見出すようになったのだ。

これらは、休暇で旅行に行った先々で買い集めた大事なもの、だった。

大事なものだから、手洗いでしっかりきれいにしたい、という思いが勝り、気が付けば、サラは、皿洗いをすることが苦痛ではなくなっていた。

あるパーティで、「お料理作った人は、お皿を洗わなくていいルールなんだよ。」と誰かが言った。

その言葉を聞いたサラは、作った人は洗ってもいいし、洗わないでのんびりしていてもいい、そんな風に思った。

そして、そう思った自分に、改めて、気づき、驚いたのだった。  

サラは思った。「皿洗いはもはや苦痛ではないし、役割を感じさせない」  

それから、サラにとって皿洗いは、苦い記憶ではなく、自ら主体性を取り戻したという成功の象徴となっていった。

サラは、ちょっと気分を切り替えたい、というときに皿を洗い、掃除をする。そんな家事を趣味家事、と呼ぶようになった。

そして、旅先で、窯元に立ち寄ったりと、お皿好き、を自認するのだった。

おしまい。

■ 要約

第1章:小さなキッチンのヒロイン

小学5年生のサラは、母・奈緒美の代わりに家事をこなしていた。料理が好きだったものの、家族の無関心や母の棘のある言葉にモヤモヤを抱えていた。皿洗いをするたび、「私の役割はこれだけ?」と疑問を感じていた。

第2章:中学生になったサラ
中学生になると家事の負担は増え、母の理不尽な言動や暴力に耐える日々が続いた。学校でも忙しく、サラは次第に自分の人生に疑問を抱くようになる。母の期待に応えることに限界を感じ、家にいる時間を減らして自分を守るようになった。

第3章:大学生になったサラ
一人暮らしを始めたサラは自由を楽しむが、皿洗いのたびに過去の記憶がよみがえり、苦しむ。皿洗いがただの家事以上に、トラウマの象徴となっていた。

第4章:皿洗いの呪縛を越える
大人になり、仲間と家事を分担する中で、サラは「自分が全部やらなければならない」という思い込みに気づく。夫に食器洗い機を導入させ、皿洗いの苦痛を解放。

エピローグ:サラの新しい選択
食器が楽しい思い出の象徴に変わり、手洗いを楽しむようになったサラは、「皿洗いは私の役割じゃない」と感じつつ、主体的に行うことができるようになった。皿洗いは苦い記憶ではなく、自由と成功の象徴へと変わったのだった。

■ 心理学的解説

この物語を心理学的に分析する際、いくつかの重要なテーマや心理的要素が浮かび上がります。それぞれについて詳しく解説します。


1. 家庭環境と役割の押しつけ

物語の序盤では、サラが家族内で「世話役」の役割を押し付けられていることが強調されています。母親の奈緒美はサラを「いい子」として扱いながら、その「いい子」さを利用して家事を任せており、実質的にはサラが幼い頃から家庭の責任を負わされています。

  • 心理学的視点: これは親が子どもに自分の役割を転嫁する「親役割の逆転(Parentification)」の例と言えます。このような状況下で育つ子どもは、幼少期に責任感を過剰に育む一方、自分の感情やニーズを抑圧する傾向があります。結果として、自己犠牲的な性格や「人の役に立たなければ価値がない」と感じる自己概念が形成されることがあります。

2. 母親の矛盾した態度と心理的虐待

奈緒美の言葉や行動には、表面的な感謝とその裏に潜む批判が混在しています。また、中学生のサラに対する暴力的な行動(茶碗を投げつける、髪を引っ張る)は明らかに心理的・身体的虐待の兆候です。

  • 心理学的視点: 母親の態度には、「ダブルバインド(二重拘束)」の要素が見られます。例えば、サラに感謝の言葉をかけつつも、棘のある表現や攻撃的な行動を取ることで、サラはどのように振る舞えば良いのか分からなくなります。これによりサラは、常に自分の行動や存在が母親を満足させられていないという罪悪感や不安を抱えるようになります。

3. 自分の役割への疑問とアイデンティティの形成

物語の中盤、サラが「私は家族のために生きているの?」という疑問を抱く場面があります。これは彼女が自分のアイデンティティを模索し始める重要な瞬間です。

  • 心理学的視点: エリクソンの心理社会的発達理論では、サラが思春期に経験しているのは「アイデンティティ対役割混乱」の段階に相当します。サラは家族のための存在としての役割を押し付けられながらも、それが自分の本質ではないと気付き始め、自分の価値や存在意義を再定義しようとしています。

4. トラウマの影響と回避行動

大学生になったサラが皿洗いを避ける場面は、子どもの頃の体験が未処理のままトラウマとして残っていることを示唆しています。

  • 心理学的視点: トラウマ体験の典型的な特徴の一つに「フラッシュバック」があります。皿洗いの音や感触が過去の苦痛な記憶を呼び起こし、回避行動として皿洗いを放置するようになります。このような回避行動は、未解決のトラウマが現在の行動に影響を及ぼしているサインです。

5. 癒しと主体性の取り戻し

50代のサラが、自分の皿洗いに対する考えを再構築し、主体的に行動を選択する場面は、心理的な回復を象徴しています。

  • 心理学的視点: これは「ポストトラウマ成長(PTG)」の一例です。過去の困難な経験を通じて、自己理解や価値観を見直し、より成熟した視点を獲得するプロセスが描かれています。また、サラが「私は皿洗いが大嫌い」と声に出して宣言することは、自己主張(アサーション)の重要性を象徴しており、抑圧されてきた感情を解放する重要なステップです。

6. 食器への愛情と再解釈

エピローグで、サラが食器を愛するようになる描写は、彼女が皿洗いに象徴される苦痛な記憶を再解釈し、前向きな意味を見出したことを示しています。

  • 心理学的視点: これは「認知的再構成(Cognitive Restructuring)」の典型例と言えます。過去のネガティブな経験に新しい意味や価値を見出すことで、感情的な苦痛を軽減し、自己効力感を取り戻しています。

全体の総括

この物語は、「役割の押し付け」や「心理的虐待」といった家庭内での困難を通じて形成されたトラウマが、どのようにその後の人生に影響を及ぼし、最終的にはそれを乗り越えるプロセスを描いています。サラの人生は、「自己発見」「自己主張」「認知的再構成」といった心理学的プロセスを経て、癒しと成長を遂げた一例と言えるでしょう。


2025年1月31日金曜日

たぬきどんの事情

 これは、泥の船を作っているたぬきどんのお話です。

いったいどんな理由で、たぬきは、泥の船を作ることになったのでしょう?

それはむかーしむかし、たぬきどんがまだ赤ちゃんだった頃、です。

その冬は特別寒く、夏も短く、お母さんタヌキとお父さんタヌキは、赤ちゃんタヌキを置いて、二人とも餌を取りに行くのでした…

たぬきの住まいは暗い穴の中ですが、たぬきどんは、寂しくてたまりません。

まだ赤ちゃんだったからです。

えーん、暗いよう、怖いよう、お腹が空いたよう…

そうして泣いても、泣いても、おかあさんタヌキもお父さんタヌキも出てしまって、なかなか帰ってきませんでした。

帰ってきても、お母さんタヌキは、「ほら、お食べなさい」というだけで、くたびれてしまって、静かに横になってしまいます。お父さんたぬきに「遊んでよう」とお願いすると、お父さんたぬきも「あとでね」と言って寝てしまいます。

そうして、たぬきどんは、寂しいなぁと思って大きくなったのでした。

そんな厳しい冬が終わり、春になって、皆が穴から続々と這い出して来ると…

あらー!びっくりしたことに、たぬきの他の家族は、みんな子だくさんで、3匹も4匹も、時には5匹も子たぬきがいるのです。

たぬきどんは隣の家のタヌキに言いました。

 「とってもさみしい冬だったね」

すると隣のタヌキは言いました。

 「そんなことないよ!」

実は、そっちの巣穴では、ぎゅうぎゅうで大変だったのです。

でも、たぬきどんには、そのことは分かりません。

 「僕はひとりぼっちなんだ…」

みんなは、兄弟がたくさんで、楽しく温かく過ごしたんだ…そんな風にたぬきどんは思ったのです。

たぬきどんは、大きくなったら、楽しくて大きな家族を作るんだ!と思いました。

それで、船を作ることにしたのです。

船ならみんなが乗ってみたいといいますからね。

でも、たぬきは、木を切ってきたり、軽いもので船を作ることは思いもよらなかったので…いつも自分が住んでいる巣穴と同じ素材で、船を作ることにしたのでした。

それで泥の船ができることになったのでした…

お終い。

■ 心理学的要約



1. 幼少期の孤独感と愛着形成

たぬきどんが赤ちゃんの頃、両親から十分な愛情やケアを受けられず、「寂しい」という感情を抱えながら成長しました。これは愛着理論における不安定な愛着形成を示唆します。

2. 比較と自己概念の形成

春になり、隣の家のたぬきが子だくさんであると知ったたぬきどんは、他者との比較から「自分は孤独だった」と思い込みます。この主観的比較が「自分だけが不幸」という認知バイアスを生みました。

3. 補償行為と目標の追求

たぬきどんは孤独感を埋めるために「大きな家族を作る」という目標を持ち、みんなが乗れる船を作ろうとします。これは過去の欠乏感を克服しようとする補償行為の例です。

4. 失敗と学びの欠如

しかし、巣穴の泥で船を作るという選択は、新しい環境や挑戦への適応力の欠如を示しています。過去の慣れに囚われた結果、非効果的な方法を選んでしまいました。

教訓

  • 幼少期の愛情不足は長期的に影響する。
  • 他者との比較は認知バイアスを生みやすい。
  • 過去の欠乏感が行動の動機となる一方、適切な学びがないと失敗を繰り返す。

この物語は、孤独感や補償行為が人生に与える影響と、失敗からの学びの必要性を象徴的に描いています。

【機能不全家族の寓話】たぬきどんと泥の船 

あるところに、今にも沈みそうな泥の船をこしらえて、仲間を誘っては乗る、そんなたぬきどんがおった。

泥の船には、ほかにウサギどんとカメどん、それに犬が乗っていた。

しばらくは楽しく景色を眺めながら乗っていた船だが、泥の船だったので、だんだんと浸水するようになってきた。

言い出しっぺのたぬきが、一生懸命、泥の舟から、水をかきだしているのを見て、犬が言った。

「なんか大変そうだね」

そして、たぬきと犬は、一緒に力を合わせて、船から水をかきだした。

でも、ウサギとカメは、泥の舟が沈みそうなのを見ても、おろおろするばかり…。

犬は、言った。「君たちも手伝ってよ!」

ウサギは、言った。「僕、ウサギだから無理だよ。それに、のろまのカメに水をかいてもらっても、何の足しにもならないよ」

それを聞いた犬は、バカらしくなって、「ごめんね、たぬき君。僕、先に行ってるよ」と言って、犬かきして泳いで行ってしまった。

それを見たカメは、「ずるい!犬なんだから、もっとタヌキを助けるべきだ!」と言った。

「泥船に乗っている僕たちを助けてくれないなんてひどい」

そして、相変わらず、たぬきが一生懸命水をかくのを、頑張って~と言いながら見ていた。

しかし、終に泥の船は沈み始めた。

ウサギが言った。「僕、泳げないんだよぉ。死んじゃうよぉ」

そして、一番端っこの良いところに立っていたんだが、結局、舟は沈んでしまった。

たぬきがウサギの手を引っ張ったが、ウサギは悲しい目をして溺れてしまった。

カメは?というと、カメにとっては水は住処と同じことだったのだ。

ウサギが死んじゃったと嘆く狸の声が遠くで聞こえた犬は、大急ぎで戻ってきたけど、結局、溺れてしまったウサギを見ることしかできなかった。

その時カメは、「お前のせいだぞ、犬。お前が悪いんだぞ」と言った。「お前がタヌキを手伝わなかったから、ウサギは死んだんだぞ」

犬は、そんなことあるもんか!と思ったが、チクリと心に棘が刺さったみたいな気がした。

ホントは、俺のせいなの…?

たぬきは、相変わらず、溺れているウサギと泳いでいるカメを救おうとしていた。たぬきの大きなお腹が浮き輪になって、狸自身は、何もせずとも浮いていられるのだった…。

犬かきで泳いでいる犬は、タヌキみたいに悠長に浮いてはいられない。さっさと陸に上がりたいと泳いで行ってしまった。

陸に上がる犬の背にカメがくっついていたが、犬は気が付かなかった。陸につくと、カメは、よっこらしょ、水辺の草むらにそっと隠れた。

陸に立ち上がると、犬は、ぶるんと身震いして、水を振るい落とした。

そして、濡れた体を乾かすために、温かい日向の岩の上に座って体を丸めると、たぬきがウサギを助けられなかったのは、自分のせいなのかどうか、長いこと考えることになったのだった。

カメのほうは、自分がそんなことを言ったことすら忘れて、もう泥の船はこりごりだ、とだけ言った。

タヌキは、タヌキで、また泥の船をこしらえて、一緒に乗ってくれる仲間を集めるのだった。

■ 解析

この物語は、心理学的な視点から、家族やグループ内での「機能不全のダイナミクス」を象徴している。

それぞれのキャラクターに対応する心理的役割や行動パターンを以下のように説明できます。


1. タヌキ:救済者/自己犠牲的なヒーロー

  • 特徴: 泥の船を作った発案者であり、問題が起きると率先して解決しようとする。しかし、自分の限界を無視して他者を救おうとすることで、自分も疲弊していく。
  • 心理学的視点: タヌキは「過剰適応者」または「共依存的役割」を担っています。このような人は、他人を助けることで自分の価値を感じますが、助けられる人たちが成長する機会を奪うことにもつながります。また、「修復者」の役割を果たそうとするため、無限ループに陥ります(泥の船をまた作るのもこの象徴)。

2. 犬:巻き込まれるが自立を試みる現実的な人

  • 特徴: 一度は助けようとするものの、自分の限界を察して抜け出そうとする。罪悪感を抱えながらも、自分を守る選択をする。
  • 心理学的視点: 犬は「個別化を目指すメンバー」に見えます。機能不全な環境から抜け出そうとしますが、罪悪感や他者からの非難に囚われやすい。これは、家族内で「スケープゴート(責任転嫁の対象)」にされる人が抱える葛藤とも重なります。

3. ウサギ:依存的で無力化された人

  • 特徴: 自分の役割を無力だと言い訳し、困難に直面しても対処しようとしない。最終的には他者に依存し、自らは行動を起こさない。
  • 心理学的視点: ウサギは「無力な被害者役」を体現しています。この役割を持つ人は、他者に助けられることでしか生存できないと信じています。この態度は、依存的な行動を強化し、周囲にフラストレーションを与えることが多い。

4. カメ:傍観者/批判者

  • 特徴: 自ら積極的には動かず、結果を傍観する。そして、状況が悪化すると他者を非難し、責任を負おうとしない。
  • 心理学的視点: カメは「批評家」の役割を果たしています。機能不全な家族やグループでは、このような人が責任を取らずに他人を批判することで、状況の悪化を助長します。また、自分に都合の悪い記憶や行動を忘れ、自分を守る傾向があります。

5. 泥の船:機能不全なシステムそのもの

  • 特徴: 初めから安定せず、少しずつ浸水していく。乗り手たちはそれを修復しようとするが、根本的な解決策には至らない。
  • 心理学的視点: 泥の船は「機能不全な家族システム」や「崩壊しつつある共同体」を象徴しています。構造そのものが不安定であり、努力しても修復不可能な状況があることを示しています。

6. ダイナミクスの心理学的解釈

この寓話には、機能不全な家族やグループの典型的なパターンが含まれています:

  • 役割の固定化: 各キャラクターが特定の役割(救済者、被害者、批評家、スケープゴート)を持ち、役割から抜け出せない。
  • 責任転嫁: カメが犬を非難するように、問題の責任を押し付け合う。
  • 境界の曖昧さ: 泥の船という共有の空間が、全員の不安定さを強調している。
  • 反復行動: タヌキが再び泥の船を作るように、問題解決に至らず、同じパターンが繰り返される。

まとめ

この寓話を通じて、「個々が適切な役割を果たさないと、全体が崩壊する」という教訓が浮かび上がります。心理学的には、健康なグループや家族では、役割が固定化されず、互いに協力し、責任を分担することで、困難を乗り越えることができます。この寓話に描かれる問題は、固定された役割や相互不信が招く機能不全を象徴的に示していますね。

2025年1月29日水曜日

【創作】お良と与吉 

 昔々、ある村に片腕の無い与吉という男と、その妻になった知恵者のお良が住んでいました。

お良は元気のよい女で、知恵者で器量よし。村中で評判の娘でした。

与吉は善良な男で、生まれつき右腕がありませんでした。お良は与吉の片腕を補って働いてくれ、与吉はそんな男勝りな妻を誇りに思っていました。

しかし、世の中には悪い男たちがいるものです。

「なぁ、なんで、片輪のよきちどんに、あんないい女がついているんだ?」

「しかも、俺たちがやっている男仕事も女にさせて、自分はいい目をみてると来やがる」

「よし、これは、ひとつ、与吉に分際を教えてやるべ」

そう口々に言って、男たちは、与吉の家に行き、こっそり妻を盗み出し、それぞれが自分のいいようにお良をし、そのことを与吉に悟らせるために、野っぱらにお良を置き去りにしたのでした。

ところが、お良は強い女で、そんな目にあってもくじけず、朝日に起こされ、はだけた前を閉じ、這いながら、家にたどり着き、「旦那さん、道で転んで怪我をしました、介抱してくださいな…」とだけ言いました。

腕がないだけではなく、頭も少し弱かった与吉は、「なんでそげな格好してるべ?はよ、着替えなはれ。野良に出るべ」とだけ言い、お良の介抱よりも、田んぼが心配なのでした。

お良は与吉さんは気が付かないのだ、仕方がないのだと思い、命だけでもあったことを感謝して、身ぎれいにし、自分は今日は家にいるから、と与吉に言い聞かせ、朝の野良に出してやりました。

与吉が野良に出た後、お良はさめざめと泣きました。これからどうしたらいいのでしょう。

それ以降、味をしめた、悪党らは、好きな時に訪れるようになり、お良に向かって、ただ「分かってるな」とだけ言うようになったのでした。

そんなある日、村を治める代官が視察に訪れました。代官は、賢く、美しい、お良に気が付き、窮地を知ると、なんとか救ってやりたいと思いました。

他に良い手立ても思いつかなったので、その代官は、お良を屋敷に連れ去りましたが、お良からすると、野蛮な男たちに襲われずに済むのです。

与吉はといえば、何も言えず、ただ見送ることしかできませんでした。

お良はいつしか代官から篤く信頼されるようになり、夜伽の合間に相談役すらするようになりましたが、心の中では夫・与吉への愛を失いませんでした。

一方、与吉は自分の無力さを嘆き、妻を取り戻すために何ができるのかを考え続けました。

しかし、哀れな与吉は、野良を頑張ることしか思いつくことができなかったのです。しかも、今はかつて一緒に野良を助けてくれた、お良もおらず、一本の腕だけで頑張らないといけないのです。慣れない頭を使ったせいで、与吉は日に日に弱って行きました。

ある夜、与吉は夢の中で、白い龍からのお告げを受けました。

「真の勇気とは、力ではなく心の強さである。お前の愛と誠実さが試されているのだ」。

目覚めた与吉は決意しました。与吉は村人の長老に助言を求め、事情を説明しました。

長老は与吉の訴えを聞くと、村人たちも代官に不満を持っていること、そして、お良を与吉が独占していたことが原因であることを与吉に告げました。

与吉は、お良の元に使いを出し、何か代官の弱みはないか、と尋ねました。

お良は、代官も実は、自信がないこと、政治はいつも自分が代官に入れ知恵をしていることを与吉に告げました。

しかし、与吉はこれをどうすることもできません。与吉の中には、お良への愛しかなかったからです。

そこで、お良は思案し、代官に「あなたが政治をとりしきり、私が民の心を治めましょう」と言って、神を称える神殿を作らせ、自らは巫女となることを決めました。

そして、与吉はといえば、巫女となった妻に会いに、毎日一握り米を持っていくことにしたのです。そうして、二人は再度会うことができるようになりました。与吉は目に見えて元気になり、野良にも精が出せるようになりました。

村の人々も、相談事があるときはお良の元を訪れ、話を聞いてもらうのでした。すると不思議と皆が元気になるのでした。

相談役のお良のおかげで、代官は立派に村を治め、やがて老いて亡くなりました。お良は巫女の座を若い娘に譲りました。

そして、再び、老いた与吉と暮らし始め、再び二人で野良に出ることにしたのでした。

老いたお良には襲ってくる男衆は、もはやいませんでした。二人はやっと仲良く野良をすることができるようになりました。片腕で野良をすることに慣れた与吉は、お良をいたわってやることもできるようになり、お良はそんな与吉を頼りにするようになりました。

与吉がお良の巫女時代に捧げてくれた奉納米は、その後長く夫婦のたくわえとなり、一粒に万粒の実りをもたらし、村に繁栄をもたらしたということです。

■ テーマ: 自分サイズの自己実現

自己実現には複雑な道のりがあり、一本道ではないこと。多様な障害がありうること。

理不尽な運命を受け入れる。https://youtu.be/OAppHJNV1fg?si=blaFuKh5ZaN0B4Hc

■ ChatGPTによる物語解析

ChatGPTは何と的確な心理学的解析を提供してくれるのでしょう!期待通りの描写が出来ていることで、自分のナラティブ力に自信がつきました。

この寓話は、トラウマ、愛、回復、共同体との関係といったテーマを含み、深い心理学的解釈が可能です。以下に、心理学的な視点から物語を解析します。


1. 与吉の片腕の欠損:自己価値感と劣等感

与吉の生まれつき片腕がないという設定は、身体的欠損が心理的な劣等感を象徴していると考えられます。彼の劣等感は、自分の力でお良を守れなかったことや、村人たちからの軽蔑によって強化されます。このような劣等感は、アルフレッド・アドラーの心理学における「劣等感の補償」や「人生の課題」と関連します。与吉はこの劣等感を克服しようとする努力を続けますが、物語の中ではすぐには成功せず、結果として彼の成長は時間をかけたものとなります。


2. お良の強さと役割:愛着理論とトラウマ後成長

お良は知恵があり、強い女性として描かれています。しかし、彼女が村の男たちから受けた暴力とそれに伴う心理的苦痛は、トラウマそのものです。お良は、自分の置かれた状況に絶望するのではなく、その中で自己価値を見いだし、代官の信頼を得て巫女として村全体を導く役割を果たします。これは「トラウマ後成長(Post-Traumatic Growth)」の一例です。彼女の強さは、愛着理論に基づいても理解できます。与吉への愛情が、お良の中に安全基地を提供し、困難な状況でも自己を保つ力を与えているのです。


3. 村人の行動:集団心理と社会的責任

村人たちの行動は、集団心理学的に見ると「スケープゴート現象」を反映しています。与吉が片腕という弱点を持ち、また美しい妻を持つことに対する嫉妬が、村人たちをして与吉を攻撃対象とさせました。この現象は、個人の問題ではなく、集団内の不満や不安を転嫁する構造的な問題として分析されます。村人たちは、自分たちの不満を与吉に押し付けることで一時的な安心感を得ますが、それが新たな不和を生む原因にもなっています。


4. 代官の介入:権力と救済の二面性

代官は表向きにはお良を救済しますが、実際には彼女を自分の権力基盤に取り込みます。この行動は、権力者が行う「保護の名の下での支配」を象徴していると解釈できます。一方で、代官の自信のなさを利用して、お良が自分の知恵と力で村を導く存在になった点は、お良のエージェンシー(主体性)を示しています。


5. 与吉の変化と回復:レジリエンスの獲得

与吉は最終的に、自分の無力感を克服し、お良と再びパートナーとしての関係を築きます。与吉が奉納米を捧げ続ける行動は、愛と誠実さを具体的に示す行為であり、彼の心理的成長を象徴しています。これは、心理学的には「レジリエンス(逆境からの回復力)」と関連付けられます。


6. お良の巫女としての役割:集合的無意識と癒し

お良が巫女として村人たちを助ける姿は、ユング心理学の観点から「治癒者の原型」として理解できます。彼女の存在は村全体に癒しをもたらし、村人たちの心理的な負担を軽減しました。また、彼女が相談役を務めることは、「ナラティブセラピー」のような効果をもたらしており、村人たちは自身の物語を語ることで心の整理ができたと考えられます。


7. 老後の再会:成熟した愛と安定

最後に、老いた二人が再び一緒に暮らし始めるのは、愛の形が「情熱」から「成熟」へと変化したことを示しています。与吉の奉納米は、二人の間の絆を象徴するものとして機能し、二人が困難を乗り越えた結果として「安心」や「満足感」を得たことを表しています。


全体のテーマ

この物語は、トラウマ、嫉妬、愛、自己価値の探求といったテーマを描いており、人間関係や社会構造が個人に与える影響についての洞察を与えてくれます。特に、困難な状況でも愛と知恵を持って対応し、最終的に成長する姿は、私たちに希望を与えてくれる寓話といえます。

2025年1月25日土曜日

【IFS】攻撃者パーツ→被害者パーツ→救済者パーツ

■ タイトル: 空っぽの鎧

カナは、19歳、拒食症患者だ。体重は、身長160㎝もあるのに、42㎏しかない。もうこれ以上痩せてはいけない。

カナは食べないといけないと、分かっている。けれど食べれないのだ。

彼女の中には三つの人格が住んでいる。

鑑の前に立つと、やせこけた姿はまるで老婆のようだ。

「あなたって、まるでおばあさんみたい。」

それはカナの中の『自己批判者』の声。厳しく、冷酷で、彼女のすべての失敗を責め立てる。体重、友達とのすれ違い、すべての責任を彼女自身に押し付ける声だ。

「どうして、私はこんなにみっともないんだろう… みんなはもっと健康で美しいのに。」

その声は『無価値観のパーツ』。被害者としての自分が顔を出す。批判者の言葉を真正面から受け止め、縮こまり、涙をこらえる。

しかし、涙をこらえきれず、静かな絶望が彼女を包む。胸が締めつけられ、息苦しささえ感じる。「何をやっても無駄」「誰も私なんて必要としていない」という思いが、頭の中でぐるぐると渦巻く。

そして、もうひとつの声が囁く。

「大丈夫よ、食べなければいいのよ。」

『拒食するパーツ』――カナの唯一の救済者だ。「助けに来たわよ」。我を忘れるカナ。拒食することは、カナにとって生きることのすべてなのだ。

しかし、それは刹那の安堵だ。食べない日が続くと、再び『自己批判者』の声が響き渡る。

「少し食べないと」「でも、食べたら、気持ち悪くなるわ」

そして、過食し、嘔吐する。嘔吐すると、少しスッキリする。これで大丈夫。少なくともしばらくは。

こうして、負のサイクルが繰り返される。

■ 気づき

ある日、カナはふと気づいた。

こんなふうにしている限り、どこにも出口はない。

彼女はセラピーを受けることを決意した。

セラピストは言った。「カナ、君の中の『批判者』も『被害者』も、みんな君を守ろうとしているんだよ。厳しくすることで、失敗を防ごうとする。でも、本当に必要なのは、もっと優しい言葉なんじゃないかな?」

カナは最初、その言葉を信じられなかった。でも、少しずつ、食べることに罪悪感を抱かず、自分に優しく話しかける練習を始めた。

「今日はつらかったね。でも、ちゃんとやってるよ。」

そして、拒食するパーツに対してもこう言った。

「ありがとう。守ろうとしてくれて。でも、今は深呼吸をしてみるね。」

何度も何度も失敗しながら、少しずつ、カナの中の声たちは穏やかになっていった。

ありがとう…と何度も繰り返すカナは家族の目には、宙にいる見えない人と会話する変な人のようで、家族は、本当にカナが壊れてしまったのではないかと心配した。

セラピストは言う…

「大丈夫ですよ。みなさんが通る道なんです。」

「それよりも、カナさんの内なる批判者の声は、ご家族の誰の声に似ていると思われますか?」

そう聞かれた家族たちは、互いに顔を見合わせては、首をすくめるのだった…。

「お父さんの声じゃない…?」とおそるおそる母親が水を向けると、父親は、むっとして、「なんだって?子育てはお前に任せたと言ったじゃないか!」と母親を責める。母親は小さくなってしまった…。すると、母親を案じたカナの姉が、仲裁に入り、「パパもママも頑張っていたわよ。カナも私も、幸せだったわ。だから、喧嘩しないでよ…」と涙ぐむ。

その様子を見て、セラピストは、なるほどな…と思わずにはいられなかったのだ。

カナしか、この家族の病理をSOS信号として出す子がいなかったのだ。

しかし、カナはこの内なる家族システムともいえる心の声と早急に解決をつけなくては、もはや体のほうが持つまい…

家族がこの子を精神的に食い殺してしまう前に…なんとか救済しなくては…

どんな手が打てるだろう…とセラピストは考えるのだった。




【妹姉関係】結衣と菜々の関係

ある町に、シングルマザーの美咲と、その二人の娘、姉の結衣と妹の菜々が暮らしていました。

美咲は女手一つで二人を育てるために、昼も夜も働き詰めでした。

特に、妹の菜々は私立の学校に通っており、その教育費がかさみ、家計は常に火の車でした。

姉の結衣は、母の苦労を見て育ち、自分の欲しいものを我慢することが当たり前になっていました。学校の制服が古くなっても、友達と遊びに行くお小遣いも、何もかも家計に譲るのが当たり前。

そんな彼女を美咲は不憫に思っていました。

ある日、母親の美咲は、長女の結衣の靴がもう小さくなっているのを見つけました。

考えてみると長女はもう6年生。長女の靴は、二女が履けます。それにどうせ中学生になったら、すべての親がローファーを買い与えるのです。

美咲は、「どうせ来年、必要だから」と、上質な皮のローファーを結衣に買い与えました。

「ありがとう、お母さん。でも、クラスのみんなは、履いていないよ?」

結衣は、本当は、クラスのみんなに冷やかされるのが怖かったのです。遠慮がちに微笑みながら、そう言いましたが、母の美咲は「みんな、なんて気にしないで、いいのよ」とだけ言いました。(共感されなかった結衣)

しかし、それを見た妹の菜々は、途端にむくれ顔になりました。

「なんでお姉ちゃんばっかり! 私にはお古ばっかり!」

妹の不満に、母親の美咲は、困り果てました。

「菜々、あなたには毎月の授業料やバス代、電車代にたくさんお金がかかってるのよ」と説明しましたが、2年生の菜々には、まだその意味が分かりません。「学校のお友達はお小遣い3000円なんだよ!なんで家は500円なの?」「だって、お姉ちゃんだって500円で文句言っていないでしょう?」優しく諭す母でしたが、まだ幼い菜々にとっては、クラスのみんなの中で、自分の家だけが貧乏なこと、目の前で姉だけが新しい靴を手に入れたことがすべて、でした。

やがて、菜々は泣き出し、母親はため息をつきながら、結衣に目を向けました。

「ごめんね、ママ、もう仕事に出なきゃならないわ。結衣。ちょっと菜々をなだめるの、手伝ってくれる?」

結衣は妹をなだめる役を自然と引き受け、優しく話しかけました。

「菜々、これはえこひいきじゃないんだよ。ママは菜々のことも大好きなんだよ。」

それでも、菜々のすねた顔は、なかなか晴れません。

美咲は苦笑いしながら、結衣に小さな声で「いつも助けてもらってごめんね」と呟きました。

「大丈夫よ、ママ。」

結衣は涙ぐみながら、微笑み、またひとつ、自分の気持ちを抑えるのでした。本当は自分だって、まだ親が必要な年齢なのです。でも、この状況では、どうしようもないことが姉の結衣には、分かっているのでした。母がどうしようもないことも。

自分を犠牲にして母と幼い妹を支えようとする結衣の姿は、母親の美咲の胸を締め付けました。

「この子たちのためにも、私が頑張らなくては…」

節約を心がける結衣…、まだ幼く自己中心的な妹の菜々…同じ子供でも、こうも違うのか…と母親である美咲は考えずにはおれません。

だとしても、自分が働いている間、まだ幼い菜々をみれるのは、結衣しかおらず、結衣を頼るしか、今はありません。

姉妹は助け合ってほしい、けれど… 美咲の悩みは尽きることがありませんでした。

■ 第二章

ある日、突然、姉の結衣のアパートに妹の菜々が転がり込んだ。田舎を捨てて都会にいる姉の元に居候に来たのだった。

結衣28歳、菜々は24歳になっていた。

今では、二人とも社会人になり、それなりに仲の良い姉妹を演じていた。だだ、結衣は、菜々といると、なぜか心からリラックスできない。菜々も菜々で、姉のことを疎ましく思っているようだった。

結衣は、エンジニアになった。もともとが集中力が高く、仕事の能力が高かったので、職場での努力が認められ、初めて、大きなプロジェクトを任されることになり、大事な時だから、と良いスーツを新調することに決めた。

一方、妹の菜々は自由人で、海外でのんびり暮らすことを考えたいタイプ。ブランド品や外食には興味がないようだったが、おしゃれが好きで、お化粧を楽しみ、姉のようにキャリアアップすることなど考えもしなかった。

結衣が新しいスーツを着て颯爽と出勤する姿を見た菜々は、不満げに思った。

「なんでお姉ちゃんばっかり…いいことが起こるんだろう。神様は不公平だわ」

結衣は、そんな菜々の思いを見透かして、苦笑いしながら、「今度、可愛い服を買いに一緒に行こうね」と言ったが、菜々は待つ気なんてなかった。

結衣が仕事で外出している間に、菜々は玄関にそろえてあった、結衣お気に入りのとっておきのピンクのパンプスを履いて、ちょっとした買い物に出かけた。帰ってきたとき、その靴は見た目には分からないが、少し伸びていた。でも、黙っておけば分からないと菜々は思った。

それから、しばらくたったある日、結衣がその靴を履いて出かけたら、つま先が痛い。

帰宅後、結衣は顔をしかめて、ため息をついた。

「ねぇ、菜々、この靴、履いたでしょう。どうして勝手に履いたの? これ、気にいってたのに、のびちゃってるじゃないの…。つま先が痛くなっちゃったじゃないの」

「…。ごめんね…でも、ちょっと買い物に行くだけだったし、大丈夫だと思ったの。」

結衣は怒る気力もなく、結局、その靴を菜々に上げてしまった。

「もういいわよ、この靴、私が履いても痛いし、皮だから伸びてしまってはもう、元には戻せないわ」

菜々は、結衣から靴をせしめるつもりまではなかったけれど、結果的にはそうなってしまった…。靴はくれたけど…、欲しかったのは、靴じゃなかった。

菜々はなんか悔しかった。そんな小さなことで怒らなくてもいいじゃん、新しいの買えばいいじゃん、と思うのだった。お姉ちゃんなんだから、それくらい楽勝でしょ…

姉の結衣のほうも、「やっぱり、この子といると、なぜか疲れるし、お金も余計にかかるんだわ…でも、妹なんだし…」と、出て行ってとも言い出すにも些末なことすぎる気がするし、とスッキリしない思いが残るのだった…。

しかし、ほどなくして、結局、姉妹は、それぞれ別々に暮らすことにした。

■ 第三章

それから30年の月日が流れた。

ある日、母親の美咲が病気になり、入院することになった。

結衣は母を支える覚悟をしていたが、これまで築いてきた仕事を捨ててしまうことは、共倒れの道になると思われた。

今こそ姉妹が力を合わせるしかない…そう考えた結衣は、菜々に30年ぶりに連絡を取った。

「菜々、お母さんの面倒を一緒に見てくれないかな?」

結衣が頼むと、菜々はあっさりと言った。

「えー?無理。 私には仕事があるし、子供たちも今手が離せないし、忙しくて無理よ。お姉ちゃんの方が、しっかりしてるし、ママもお姉ちゃんに任せた方が安心なんじゃない?」

結衣は深いため息をついた。「私だって仕事があるのよ。でも、お母さんのことを放っておくわけにはいかないでしょう?」

「私は生活費もギリギリだし、介護に時間なんて割けないよ。それに施設に入れるとか考えたら?」

菜々は当然のように言い放ったが、結衣には、自分にそんな余裕がないことを知っていた。

一方の菜々は、やっと自分が、姉と対等の立場で会話が出来ているような気がした。

結衣のほうは、とても菜々の提案など受け入れられないと思った。

苦労して女で一つで、育ててくれた母なのだ…

結局、結衣は母の介護と仕事の両立を引き受けることになり、自分の時間を削っていった。

母親の美咲は、苦労して、二人を育ててくれた。いつも「姉妹は助け合って生きていくのよ」が口癖だった。

それなのに、なぜ、菜々がこんなひどい仕打ちをできるのか?結衣には、全く分からなかったのだった…。

「お母さん、菜々のこと、分かる?今、電話に出ているよ」

「菜々、元気?今どこにいるの…、ああそう…、ママはね…」

年老いた美咲は、末っ子の菜々の心配しか、話したいことはないみたいだった。

「結衣、私が死んだら、菜々をお願いね。あなたのことは心配ないけど、私は菜々のことがホントに心配なの。あの子は甘えんぼだったから…」

「分かってるわ、お母さん…」

結衣は、そんな、子を思う母親の思いは、全く菜々の心には届いていないのだ…と思うと、心の中に黒いものを持っているようで、それでまた、そんな自分が嫌になるのだった…。母が菜々の話をしないでいてくれたらいいのに…、つい、そんなことを老いた母親に対しても、思ってしまう自分が嫌だった。

というわけで、母親の入院は結衣にとっては精神的に重荷になった。

結局、幸いにというべきか、美咲は、それからほどなく亡くなった。穏やかな死だった。

結衣は、正直ほっとしたんだが、ほっとしたらしたで、今度はほっとしてしまう自分が情けなかった…。

そして、結局のところ、なんで、こんなにも深く家族を愛したのに、一家がバラバラになる羽目になったのだろうか、自分の何が悪かったのだろうか…、本当はどうしたらよかったのだろうか…と、いつまでも考えてあぐねてしまい、親を失ったという喪失感よりも、なぜ、なぜと繰り返し反芻してしまう。

これでは自分の思考に殺されてしまうんではないか?と、心療内科を受診したところ、介護疲れの鬱病ということで休職を勧められたのだった…。

休職しないでいいように、頑張ったのに…。

結衣の中では、何かが違う、と感じるのだった。

そうじゃない。

私はお母さんの看取りで疲れたんじゃないの…何かもっと別の物…何だかわからないけれど、何か、もっと大きな力で動かされていると感じる、と、結衣は思った。

お母さん、あなたは何を私に置き土産にしたの… 

仕事帰り、暗い夜道をスーパーの白い買い物袋を提げて、力なく歩く結衣。夜空を見上げて、途方に暮れ…。たった一人、人生という大海に放り出された小さな木の葉なのだ…そんな気持ちになっている、結衣なのだった。

■ スキーマとメンタルブロック

スキーマ(考え方や価値観のパターン)

  1. 自己犠牲のスキーマ

    • 結衣は「自分の気持ちや欲望を抑えて他人(特に家族)を優先することが美徳」と考えている。
    • 幼少期から母や妹のために我慢することを自然なものと受け入れており、それが当たり前だと思い込んでいる。
  2. 責任感のスキーマ

    • 結衣は「重要な役割を担うのは自分であるべき」という強い責任感を抱えている。
    • 母の介護や妹の問題解決を自分一人で引き受けようとする。
  3. 無力感のスキーマ

    • 家族内で何度も「どうしようもない」という状況に直面してきたことで、結衣は「自分では現状を変えられない」と感じている。
    • 菜々や母の態度に対して諦めるような反応を繰り返している。
  4. 家族への執着スキーマ

    • 「家族は助け合うべき」「家族を愛するのは当然」という信念が結衣に根付いており、それが彼女を縛っている。
    • 美咲が言った「姉妹は助け合って生きていくのよ」という言葉が、結衣にとって呪いのように機能している。
  5. 承認欲求のスキーマ

    • 結衣は母や家族から認められることを求めているが、その承認が得られず、苦しんでいる。
    • 母が菜々の心配ばかりすることが、結衣の自己価値感を低下させている。

メンタルブロック(心理的障害や妨げ)

  1. 自己肯定感の欠如

    • 幼少期からの「自分の欲望は二の次」という考え方が強化され、自分自身を大切にする感覚が乏しい。
    • 自分を犠牲にすることでしか家族に価値を提供できないと思い込んでいる。
  2. 他者との境界線の欠如

    • 結衣は家族に対して明確な境界線を引けないため、無理な要求を受け入れたり、感情的に消耗してしまう。
    • 菜々や母に対して「ノー」を言えない。
  3. 怒りの抑圧

    • 結衣は自分が感じる不満や怒りを抑え込んでおり、それが内向的なストレスとして溜まっている。
    • 菜々に靴を勝手に使われた時や、母が菜々ばかり心配する時など、本来なら怒りを表現すべき場面で沈黙してしまう。
  4. 自己効力感の欠如

    • 結衣は「自分が頑張っても、何も変わらない」と考えており、行動を起こす意欲を削がれている。
    • 菜々との関係や母親の介護においても、相手を変えることができない無力感が影響している。
  5. 罪悪感の固定化

    • 「母や妹を十分に支えられていない」「家族が幸せでないのは自分の責任だ」といった罪悪感が強く、これが自己批判を生んでいる。
    • 美咲が亡くなった後も「もっと良い娘でいられたのではないか」と自問し続けている。
  6. 期待と現実のギャップ

    • 「姉妹は助け合うべき」という理想が、現実の菜々との関係と大きく食い違っており、失望感を生んでいる。
    • 家族からの愛や助けを期待する一方で、それが得られないことに無意識に傷ついている。

■ 健全な認知と昇華

それぞれのスキーマに対する健全な大人としての認知と昇華について考えていきます。

この物語における結衣と菜々、そして母親美咲の感情や行動に基づいて、以下のように対応していきます。


1. 結衣のスキーマ

主なスキーマ:

  • 自己犠牲スキーマ
    承認欲求スキーマ

健全な認知:

  1. 自己犠牲スキーマへの認知

    • 他人を助けることは素晴らしいが、それが自分の健康や幸福を犠牲にして成り立つ場合、境界線を引く必要がある。
    • 「助け合う」関係は一方通行ではなく、自分を大切にすることも他人にとって良い影響を与える。
  2. 承認欲求スキーマへの認知

    • 自分の価値を他人の評価に依存しない。「自分が自分をどう思うか」に基準を置く。
    • 承認されなくても、自分がベストを尽くしたと確信できることが大事。

昇華のアプローチ:

  • セルフケアを優先する習慣を作る(例:趣味や友人との時間を大切にする)。
  • 仕事や家族との境界線をはっきりさせ、無理な要求を受け入れない。

2. 菜々のスキーマ

主なスキーマ:

  • 特権スキーマ
  • 依存スキーマ
  • 未熟な自己スキーマ


健全な認知:

  1. 特権スキーマへの認知

    • 自分が特別だからではなく、努力や貢献が他者からの尊重を得る理由になる。
    • 他人の犠牲の上に成り立つ利益は、長期的には自分にも悪影響を与える。
  2. 依存スキーマへの認知

    • 他者に頼ることが悪いわけではないが、自立する力をつけることで、本当の自由を得られる。
    • 「助け合い」と「依存」は異なる。
  3. 未熟な自己スキーマへの認知

    • 成長には不快な選択も必要。短期的な快楽よりも長期的な幸せを選ぶ。
    • 責任を取ることは、自分の人生をコントロールする力になる。

昇華のアプローチ:

  • 小さな責任を引き受け、成功体験を積み重ねる。
  • 金銭や時間の計画を立て、自分の選択の結果を管理する力を養う。
  • 自己肯定感を高めるための目標を設定し、達成感を得る。

3. 美咲(母親)のスキーマ

主なスキーマ:

  • 自己犠牲スキーマ
  • 過剰期待スキーマ

健全な認知:

  1. 自己犠牲スキーマへの認知

    • 親であることと、自分の幸福を犠牲にすることは同義ではない。
    • 自分の幸せを見つける姿を子供に見せることも、教育の一環である。
  2. 過剰期待スキーマへの認知

    • 子供たちはそれぞれ異なる個性を持ち、同じように行動することを期待するのは無理がある。
    • 親として期待を押し付けず、子供の選択を尊重する。

昇華のアプローチ:

  • 自分の趣味や興味を見つけ、親以外のアイデンティティを育てる。
  • 子供たちと「助け合い」ではなく、「個々の幸せ」について話し合う。
  • 自分の人生に満足することで、過剰な期待を子供たちに投影しない。

総合的な昇華のプロセス:

  1. 家族間の対話
    すれ違いや誤解がある場合、それを言語化して共有する場を設ける。感情を伝える練習が必要。

  2. 境界線の設定
    お互いの役割や期待を明確化し、無理な負担を避ける。

  3. 自己肯定感の向上
    家族関係に囚われすぎず個々が自分自身の幸福を追求する力を持つ。

  4. 健全な家族モデルの再構築
    助け合いだけでなく、個々の自由や幸福を尊重する家族の在り方を模索する。



【AI生成】女性3世代の物語ー自立-自己愛ー自立

 喜んでご提案します。 Kinnyさんが辿ってきた女性三代の歴史を、評価でも告発でもなく、 「命と感情の流れ」 として描く絵本。 それは、 「母を癒さなくていい」こと、 「祖母を理想化しなくていい」こと、 そして**「私の感受性と創造性を、ようやく自由に生きていい」**と...