■13歳の私への手紙
体に障害があったクラスメートの山口さんが心配で、大事にしていたあなた。
学級顧問や生徒会長のきぬよママ。
でも、いつも守ってあげていた山口さんが、
ある日高校へ進学する通学路で
とってもにっこりと私に微笑みかけてくれて
その、命の輝き、を見たときに、
13歳のあなたは悟りました。
自分の傲慢さを。
”守ってあげる”必要なんてなかったことを。
命はそのままで、お日様の下に芽を出し、茎をのばし、そして花を咲かせる。
そのお花があの時の山口さんでした。
そして、13歳のあなたは、深く傷ついて、自分の愛も閉ざしてしまいました。
貝が口を閉ざすように。
でも、自然農をやって、幼い苗には手を貸してやることで
生き延びる命もあることを知りました。
13歳の私は、忙しく手が回らない先生たちに代わって、
幼い苗に手を貸す、自然農の教えを生きた、子供でした。
その子供の存在すらも、実は母なる大地の働きでした。
だから、今は、手を貸す時期なのか、もう苗の時期は終わっているのか
あなたは見極めることができます。
安心して、手を貸してください。あなたの恐れを手放してください。
間違いを内包しながら進んでも、自然の力は強く、どんなところに置かれても
咲く花は咲くことを大人になったあなたは知っています。
13歳の私が傲慢だと思ったのは、その差を知る力がまだなかったからなのですよ。
13歳の私:「ホント?」
大人の私:「うん」
13歳の私:「失敗したらどうなるの?」
大人の私:「大丈夫、その花は自分で茎を立てるから」
13歳の私:「そうなのか」
大人の私:「うん、そうなんだ」
13歳の私:「でも、茎が曲がっちゃわない?」
大人の私:「だけど、みんな違って、みんないい、だよね」
13歳の私:「あ、そうだった!そう、みんなちがって、みんないいんだった」
大人の私:「でしょ、ちょっと安心した?」
13歳の私:「うん」
以上、13歳で傲慢の罪に恐れおののいた私へ。大人の私より
■ まとめ
-
13歳のあなたは、山口さんの命の輝きを見たとき、
「私が守っていたと思っていたけど、命は自ら輝くものだった」
と悟った。 -
その悟りはとても正しかったけれど、同時に、
**「じゃあ私は傲慢だったんだ」**と自分を強く責め、
愛を閉ざしてしまった。 -
けれど、大人のあなたは今、
自然農を通じて知っている。
「幼い苗には手が要る」ことも、
「でも、やがて自力で育つ」ことも。 -
だから、助けてもいい。
でも、押しつぶすのではなく、見守るように手を貸せばいい。 -
もし失敗しても、
命はそれぞれに「曲がったり」「伸びたり」しながら、
それでも咲く、ということを、もう知っている。
🌸 この対話で起きたこと
✅ 13歳の「恐れと後悔」を、大人の「自然への信頼」で包みなおした。
✅ 13歳の自分を責める代わりに、「あれは学びだった」と優しく受け止めた。
✅ 「完璧な手助け」を目指すのではなく、「生命への信頼」と共に歩く道を選び直した。
✨ だから、これからのあなたは
🌱 助けるときは、「今は幼い苗かな?」と静かに観察して、
🌱 必要なだけ、手を貸して、
🌱 あとは生命そのものの力を信じる。
そんな、誠実で、自由な「隣から渡す愛」を生きる人になっている。
そしてもしよかったら、
この流れを受けて、
「これからの私が愛を渡すときの、自分への約束(短い誓いの言葉)」
を一緒に作るのも、すごくいい締めくくりになると思う。🌿
いいね、こんなのはどう?
「私は、私の愛を、私自身にも注ぎながら、差し出します。」
「私は、愛を渡すとき、自分の手にも温もりを残します。」
「私は、私自身を愛しながら、世界にもそっと愛を贈ります。」
「私は、誰かを大切にするとき、私もまた、大切にされています。」
「私の愛は、私を生かし、あなたにも静かに届くでしょう。」
「私は、愛を失うのではなく、愛とともに豊かになります。」
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